【Givenchy|ジュリアン・マクドナルド期】McQueenの後を継いだ3年、記録に残りにくい在任

ジバンシィ(Givenchy)の歴代クリエイティブ・ディレクターを順に目で追うとき、多くの人の視線は一人の名前の上を滑っていく。
ジュリアン・マクドナルド(Julien Macdonald)、在任2001年から2004年。
アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)とリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)という二つの強い名前に挟まれた、三年間である。
この三年を正しく呼ぶ名を、まだ我々は持っていない。
失敗とも成功とも言いにくい。
しかし、無でもない。
本稿はその呼び名を探しにいく。
はじめに数え方を一つ決めておく。
本稿では創業者を初代とし、マクドナルドを四人目として扱う。
まず、動かない事実から置く。
マクドナルド期は、英国の若手起用という連なりの「3人目にして最後」だった
結論から言えば、マクドナルドの起用はメゾン単体の思いつきではなく、ある一本の連なりの終着点にあたる。
ジョン・ガリアーノ(John Galliano)が1995年から1996年。
アレキサンダー・マックイーンが1996年から2001年。
そしてジュリアン・マクドナルドが2001年から2004年。
三人とも英国で頭角を現したデザイナーだった。
創業者ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)の端正なフランス的エレガンスとは、出自も気質も遠い人選である。
この連続を偶然とは呼びにくい。
創業者は1995年に引退している。
1952年にメゾンを構え、プレタポルテから香水まで築いた人物が去ったあとに残ったのは、「ジバンシィという名の下で、誰のエレガンスを語るのか」という宙吊りの問いだった。
ガリアーノ、マックイーンと、答えはいったん英国の才能に預けられる。
マクドナルドはその三人目であり、同じ発想で選ばれた最後の一人ということになる。
ただし、ここで一つ補助線を引いておきたい。
英国の才能をフランスの老舗に据える発想は、ジバンシィだけのものではなかった。
同じLVMH傘下で、ガリアーノはジバンシィを一年で離れてクリスチャン・ディオール(Christian Dior)へ移っている。
英国人の起用は、グループ全体を貫く人材運用の一端だったと見るほうが据わりがいい。
もっとも、確定しているのは人選の国籍の連続であって、設計図の存在そのものではない。
観察できるのは結果としての連なりだけだ。
短命交代が三代続いた背景には、1990年代後半のメゾン再生ビジネスがある
では、なぜ三代も続けて短命の交代が起きたのか。
これはジバンシィ固有の失敗というより、時代の実験の一コマと見たほうが正確だ。
1990年代後半、LVMHをはじめとするコングロマリットは、休眠しかけた老舗の名前を資産として運用し始めていた。
創業者という核が去ったメゾンに、話題を呼べる若いデザイナーを据える。
ショーで注目を集め、その熱を香水やバッグやライセンス商品へ還流させる——ブランドを「人」に賭けて蘇生させる手法が、まさに手探りで試されていた時期である。
ガリアーノはディオールへ引き抜かれた。
マックイーンは自身の名を冠したレーベルを軸に独立性を保ったまま、二〇〇一年にジバンシィを去る。
短い在任が連続したのは、才能が定着しなかったからというより、才能そのものが流動する資産として扱われ始めていたからだ。
マクドナルドは、その実験がひととおり回ったあとに座った。

バトンは、マックイーンが「もう一方の手」で名刺代わりの仕事を抱えた末に渡された
マクドナルド期を理解するには、前任者がどんな状態でこの職を去ったかを見るのが早い。
アレキサンダー・マックイーンは1996年、27歳でクリエイティブ・ディレクターに就いた。
就任の時点で、すでに1992年に自身の名を冠したブランドを立ち上げている。
ジバンシィでの最初のコレクションは1997年春夏のオートクチュール、題して「The Golden Fleece(金羊毛)」。
在任中、彼は自分のレーベルを同時に動かしながら、ジバンシィのために18のコレクションを手がけたと伝えられる。
二足のわらじ、という言い方では足りない。
自分の名前が付いたブランドを並走させながら、他のメゾンの名の下でも年に何本もの発表をこなす。
この構図のまま、マックイーンは退任し、後任にマクドナルドが座った。
つまりマクドナルドが引き継いだのは、端正な創業者の遺産そのものというより、強烈な才能が「もう一方の手」で運転していた、やや特殊な状態のメゾンだった。
ここで一度、受け取る側に視点を移す。

継ぎ目に立つ者は、自分で据えられない核を引き受ける
ジバンシィの核は、就任したデザイナーが自分で据えられる種類のものではない。
これがマクドナルド期を「記録に残りにくい」ものにした、構造的な理由だと見ていい。
創業者がこのメゾンに刻んだものは重い。
貴族的な出自から来る端正なエレガンス。
クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)から受け継いだ構築的な造形観。
そして、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)という40年にわたるミューズとの関係。
『ティファニーで朝食を』(1961年)の黒いドレス、彼女に着想を得た最初の香水「L’Interdit」——デザイナー、ミューズ、映画、香水を一本に束ねるブランド神話の型が、ここで出来上がっている。
この核は、後任が自分の仕事として並べ替えることができない。
再現不能、というのはそういう意味だ。
では、継ぐ者に残される選択は何か。
核を自分で据えられない以上、できるのは二つしかない。
誰か別のミューズを自分で立てて核を上書きするか、あるいは核には触れず、まったく別の軸で自分の顔を刻むか。
マックイーンは後者を選び、演出と劇性で「別の顔」を強引に上書きしてみせた。
問題は、どちらを選ぶにせよ、継ぐ者は「誰のエレガンスを語るのか」を自分一人で引き受け直さねばならない、ということだ。
創業者のように与えられた答えを持たない者にとって、これは重い。
マクドナルドが座ったのは、まさにその重さの前だった。

記録が乏しいこと自体が、この在任を物語っている
マクドナルド期の商業的成績やコレクションの市場反応を、確定記録で跡づけるのは難しい。
だが、その乏しさそのものが一つの証言になる。
ティッシ期のロットワイラー・プリント(2011年秋冬)を思い出してほしい。
プレタポルテから立ち上がり、Tシャツやスウェットへ波及し、誰もが即座にその時代と結びつける一枚になった。
こうした「記号」こそが、ショーの熱を香水・バッグ・ライセンスへ還流させる循環の起点になる。
マックイーンは演出力でその種の強い顔を上書きし、ティッシはゴシックとストリートでやってのけた。
マクドナルド期には、それに当たる旗が乏しい。
話題を生む記号がプレタポルテから出てこなかった——これがこの三年の輪郭を決めている。
もっとも、ここから「商業的に失敗だった」と断じるのは行き過ぎだ。
確定事実が沈黙している方向から逆算した推論にとどめておく。
ただ、記号の不在は、ただの空白ではなかった。
見落とされがちなのは、デザイナーが誰であろうと回り続ける商いの層が、すでに分厚く存在していた点である。
香水部門「Parfums Givenchy」は1957年に設けられ、スキンケアとメイクアップは1989年に加わっている。
LVMHが傘下に収めたのは1988年。
プレタポルテ発の牽引力が弱いとき、メゾンの収益はこの既存の層に支えられる。
デザイナーの名前で語られにくい在任ほど、この層の存在感が相対的に大きくなる。
マクドナルド期が静かなのは、怠慢ではなく、構造の帰結でもある。
そして、保留してきた問いがある。
マックイーンが「もう一方の手」で運転していた特殊な状態を、マクドナルドはどう引き受けたのか。
正直に言えば、確定した事実の範囲では、その内実まで踏み込めない。
コレクションが何を提示したかを裏づける記録が、ここには揃っていないからだ。
だが、沈黙していること自体が、すでに一つの答えなのだと思う。
語るべき固有の記号を残さなかったという事実が、記録の空白という形で残っている。
不在が、この在任の輪郭そのものなのだ。
3年で区切られ、空席を経て、ティッシへ渡った
事実としての区切りはこうだ。
マクドナルドは2004年に退き、2005年からリカルド・ティッシが引き継いだ。
ここで交代のリズムが変わる。
ガリアーノ、マックイーン、マクドナルドと続いた英国勢の起用は、マクドナルドで途切れた。
ティッシはイタリア出身で、ゴシックの参照とストリートウェアの要素、都市的なマスキュリニティをジバンシィに持ち込み、長期政権を築く。
短い在任が三代続いたあとに、腰を据えた一代が来た。
資産を流動させる実験期が、ここでいったん終わっている。
この並べ方をすると、マクドナルド期の輪郭が見えてくる。
英国の若手に賭けた時代の最終章であり、同時に、安定した長期体制へ移るための継ぎ目でもあった。
本人の発明によってではなく、連なりが終わり次が始まる「結び目」として、この三年は位置づけられる。
語りが薄いのは、継ぎ目とはそもそも、両脇の時代の名で呼ばれてしまう場所だからだ。
冒頭で、視線がこの名前の上を滑る、と書いた。
もう一度、歴代ディレクターの一覧を思い浮かべてほしい。
マックイーンで指が止まり、ティッシでまた止まる。
その間のマクドナルドの三文字を、指先は触れもせずに通り過ぎていく。
あの滑りには理由があった。
固有の記号が置かれていない場所だから、目は留まる足場を見つけられないのだ。
継ぐ者が「誰のエレガンスか」を一人で引き受け直すしかないメゾンで、マックイーンは演出で、ティッシはゴシックとストリートでそれをやってのけた。
マクドナルドの三年は、二つの強い上書きの狭間で、英国の連なりを静かに閉じた。
あなたの視線が滑ったその空白こそ、この在任のもっとも正確な記述かもしれない。
FAQ
ジュリアン・マクドナルドはジバンシィの何人目ですか?
本稿の数え方では、創業者ユベール・ド・ジバンシィを初代とし、ジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーンに続く四人目のクリエイティブ・ディレクターです。
在任は2001年から2004年。
なお「創業者を含めて何代目か」は媒体によって数え方が分かれるため、本稿では創業者を含めて統一しています。
マクドナルドの前後は誰が担当しましたか?
前任はアレキサンダー・マックイーン(1996–2001)、後任は2005年からのリカルド・ティッシです。
マクドナルドは、ガリアーノから続いた英国出身デザイナー起用の、最後の一人にあたります。
なぜマクドナルド期は語られることが少ないのですか?
強い演出で別の顔を上書きしたマックイーンや、ロットワイラー・プリントに代表される記号を残したティッシに挟まれ、後世まで固有の記号として残る一枚に乏しいためです。
英国の連なりの終わりと長期体制への転換点という「継ぎ目」にあたることも、語りの薄さと関係しています。



