【Lanvin|Alber Elbaz期】独立を取り戻したメゾンを14年で立て直した、寄り添うクチュリエ

2001年10月、ロレアル(L’Oréal)の手を離れ、台湾の実業家シャオ・ラン・ワン(Shaw-Lan Wang)のもとで独立を回復したばかりのランバン(Lanvin)に、一人のクチュリエが入った。
アルベル・エルバス(Alber Elbaz)。
以後14年、彼はこのパリ最古のメゾンを、女性の身体に寄り添う服という一点で立て直す。
これはその在任期を、コレクションと具体物だけで追う記録である。
独立といえば聞こえはいい。
だが2001年のランバンが手にしていたのは、自由よりもむしろ、方向を失った時間のほうだった。
引き継いだのは、方向の定まらないメゾンだった
エルバスがまず受け取ったのは、栄光ではなく空白である。
ランバンは1889年にジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)が帽子店から始め、母と娘の絆を核に香水や室内装飾までを束ねた総合的な美意識で知られた。
1946年に創業者が没したあとも、アントニオ・カスティーヨ(Antonio Castillo)、ジュール・フランソワ・クライエ(Jules François Crahay)、クロード・モンタナ(Claude Montana)と作り手を替えて続いてきた。
現存する最古のフランス・メゾンである。
問題はその後だ。
1990年にオルコフィ(Orcofi)が買収し、やがてロレアルへ渡る。
そして2001年、ワンがロレアルから過半数株を取得して、ランバンはふたたび独立する。
ここで、話は美しく回り出すはずだった。
ところが独立とは、後ろ盾を失うことでもある。
名前は古く重く、方向は定まらない。
エルバスが引き継いだのは、そういう状態のメゾンだった。
彼が持っていたのは、いずれ18%近くにおよぶ自社株と、まだ形になっていない方針だけである。
創業者の物語は私的で親密なものだった。
母が娘へ向ける眼差しから服が生まれる。
その原点を、資本が転々とした末のメゾンでどう現代の服に翻訳するのか。
答えはまだ出ていない。

2004年秋冬で、輪郭が定まった
エルバスのランバンが何であるかは、2004年秋冬のコレクションではっきりした。
就任から三年。
この秋冬で示されたのは、身体に沿って柔らかく落ちる服だった。
硬い構築ではなく、生地の重みと女性の動きに任せる仕立て。
裁ち目をあえて見せ、飾りを外に出す。
完成された鎧ではなく、着る人がその中で息をする服だ。
ここでエルバスの輪郭が定まる。
つまり彼は、創業者の原点を様式としてではなく態度として引き継いだ。
ジャンヌ・ランバンが娘に向けた「寄り添う」眼差しを、着る女性の身体そのものへ向け直したのである。
声高な主張はない。
かわりに、纏う人を守るような優しさがある。

クチュールのメゾンが、なぜデニムなのか
寄り添うという方針は、意外な場所でも一貫していた。
デニムである。
ランバンはエルバスの在任初期に、初のデニム・コレクションを出した。
製造を担ったのはアクネ(Acne)。
エルバスが掲げたのは、男女それぞれのための40点からなる「デニム・ワードローブ」という構想だった。
クチュールのメゾンがデニムを手がける。
それは格を下げる回り道に見えたかもしれない。
だが「ワードローブ」という言葉を思い返してほしい。
単発の話題づくりではなく、日常の一式として組むということだ。
朝、クローゼットを開けた女性が、迷わず手を伸ばして家を出る——その一着として想定されている。
単発の話題づくりではない。
素材はデニムに替わっても、着る人の生活の側から服を考えるという視線の向きは、2004年の柔らかな仕立てと変わらない。
異なる素材で、同じ態度が反復されている。

125周年、そして美術学校の真珠
在任の到達点は、メゾンの節目と重なった。
ランバンは2014年から2015年にかけて創業125周年を迎える。
この時期、エルバスはすでにランバンの現代における顔になっていた。
1889年に始まった名が、途中で幾度も所有者を替えながら、彼のもとで最も長く一つの美意識に貫かれていた。
その125周年を彩ったのが、パリの国立美術学校で見せた2015年春夏のコレクションである。
会場を歩いたモデルには、アンバー・ヴァレッタ(Amber Valletta)、イーディ・キャンベル(Edie Campbell)、オードリー・マルネ(Audrey Marnay)らが並んだ。
シフトドレスの縁を真珠が細く縁取り、ブロケードが光を含んで沈み、タキシードの仕立てが女性の身体を鎧わずに凛と立たせる。
装飾と構築が、争わずに同じ一着の上で釣り合っている。
その均衡が、そのまま在任期の要約になっていた。
真珠の縁取りは2004年以来の「守る」優しさへ、ブロケードはジャンヌ以来の職人的な手仕事へ、タキシード仕立ては身体を締めつけずに凛とさせる方針へ、それぞれ帰っていく。
私的な愛着を公共の装いへ翻訳できるか。
冒頭に置いた問いに、この一回の発表がほぼ答えてしまっている。
美術学校という会場もまた雄弁だった。
工芸と芸術が交わる場所で、生活の様式としての服を見せる。
到達点に見える。
ただ、その半年後に起きたのは祝福ではなかった。
18%を持つ者が、なぜ追われたのか
在任は、拍手ではなく解任で閉じる。
2015年10月、エルバスの退任が明らかになった。
メゾンの広報ジュリア・エルドマン(Julia Erdman)が認め、エルバス自身も認めた。
ここで見落とせないのは、彼が18%近い自社株を持つ立場だったことだ。
株を握る創作者が、メゾンから追われた。
社員は反発した。
単なる後任人事なら、そうはならない。
母と娘の親密な物語を紋章に掲げてきたメゾンで、その物語を14年かけて現代へ翻訳した人物が、資本の論理で退けられたのである。
創業神話の私性と、経営の非情さ。
両者がここで正面から衝突した。
そして、そこから先が長かった。
翌2016年3月14日、女性コレクションのアーティスティック・ディレクターにブシュラ・ジャラール(Bouchra Jarrar)が就く。
最初のコレクションは2017年春夏、パリのオテル・ド・ヴィルで発表された。
だが翌2017年7月14日にはオリヴィエ・ラピドゥス(Olivier Lapidus)が後を継ぎ、その彼も2018年には去る。
2018年2月、ランバンは中国のコングロマリット、フォースン・インターナショナル(Fosun International)に買収された。
ワンが独立を買い取った2001年から、17年での資本の再交代である。
取り戻した独立は、それほど脆かった。
エルバス期の14年に匹敵する持続は、その後のランバンにしばらく訪れない。
ブルーノ・シアレリ(Bruno Sialelli)が2019年に就き2023年に離れ、2024年にピーター・コッピング(Peter Copping)が入る。
名前は替わり続ける。
祝福されるべき125周年の真珠と、半年後の解任。
母が娘へ向けた眼差しから生まれ、その図像を今も紋章に持つメゾンが、その眼差しを最も忠実に現代へ移した男を、眼差しとは無縁の理由で手放した。
愛着から始まった物語を、愛着では守れなかった——最古のメゾンが抱える矛盾は、あの真珠の縁取りとこの解任の落差に、いちばん鮮明に露出している。
FAQ
アルベル・エルバスはランバンで何を成し遂げたのか
2001年の独立回復直後、方向の定まらないメゾンを引き継ぎ、2004年秋冬で身体に寄り添う柔らかな仕立てという輪郭を確立した。
アクネ製の40点デニム・ワードローブから125周年の2015年春夏まで、着る女性の側から服を考える一貫した態度でメゾンを立て直した。
なぜ退任が問題になったのか
エルバスは18%近い自社株を持つ立場でありながら、2015年10月に解任された。
株を握る創作者が追われる異例の事態に、ランバンの社員が反発した。
創業神話の私的な物語と、資本・経営の論理との衝突が表面化した一件である。
エルバスのあと、ランバンはどうなったのか
2016年にブシュラ・ジャラール、2017年にオリヴィエ・ラピドゥスと女性コレクションの責任者が短期間で替わり、2018年には中国のフォースン・インターナショナルが買収した。
以後もブルーノ・シアレリ(2019〜2023年)、ピーター・コッピング(2024年〜)と交代が続き、エルバス期のような長期の持続には至っていない。



