ディオール(Christian Dior)はなぜ「フランスの老舗」なのに実はLVMHの会社なの? 素朴な疑問を解く

老舗メゾンの優雅な表の顔と、それを所有する巨大資本という裏の構造が同居していることを一枚で理解させる
ディオール(Christian Dior)はなぜ「フランスの老舗」なのに実はLVMHの会社なの? 素朴な疑問を解く

パリの老舗、というイメージは半分だけ正しい。
Christian Diorは確かに1946年にパリで生まれたクチュールメゾンだが、その服を作る会社はいま、世界最大のラグジュアリー・コングロマリットLVMHに完全に組み込まれている。
2017年、約121億ユーロで最後の隙間まで買い取られた。
この記事は、その一点を「会社の仕組みなんて知らない」という人にも分かる言葉でほどいていく。

まず、素朴な疑問のほうから始めたい。
「Dior=独立した老舗」というイメージは、どこから来たのだろう。

ブランド名と会社は、別物である

答えを先に言えば、私たちが「Dior」と呼んでいるものは、少なくとも二つある。

ひとつは、モンテーニュ通り30番地で1946年に開いたクチュールメゾン。
創業者Christian Ernest Diorという一人の人間の美学から始まった、服とその名前だ。
もうひとつは、その名前を使って服やバッグや香水を作り、売り、利益を上げる企業体である。

普段、私たちが目にするのは前者だけだ。
ショーの映像、New Lookの写真、モンテーニュ通りの店構え。
だから「Dior」と聞けば、一人の作家と一軒のメゾンが浮かぶ。

だが会社という器は、名前と切り離して売買できる。
ここがつまずきやすい。

創業者は1957年に世を去っている。
満52歳だった。
それでもメゾンは止まらなかった。
Yves Saint Laurentが21歳で後を継ぎ、Marc Bohanが約30年、創業者本人より長く指揮を執り、Gianfranco Ferré、John Galliano、Raf Simons、Maria Grazia Chiuriと続いた。

つまり「Dior」は、とうの昔に一人の人間の手を離れている。
名前だけが残り、中身は入れ替わり続けてきた。

その入れ替わりが可能なのは、名前が資産だからだ。
そして資産は、持ち主が変わる。

私たちが「Dior」と呼ぶものが、一人の作家のメゾンと、名前を売買できる企業体という二つに分かれていることを理解させる

才能に資本を接ぎ木する——Diorはそうやって生まれた

意外に思われるかもしれないが、独立独歩の職人が裸一貫で始めた、という話ですらない。

もっとも、Christian Dior自身がそのことを誰より知っていたはずだ。
療養中に描いたスケッチをPatouやWorth、Elsa Schiaparelliに売って糊口をしのぎ、1938年にRobert Piguetに雇われて3つのコレクションを任され、次いでLucien Lelongのメゾンで働いた。
彼はまず、他人のメゾンで才能を貸し出す側から始めている。
デザイナーの創造が、資本と組織の器に接がれてはじめて服になる——その仕組みを、下積みの日々で骨身に刻んでいた。

1946年の創業には、綿織物で財を成した実業家Marcel Boussacの資金がついていた。
初期資本は資料により600万〜6000万フラン、従業員は80〜85人と異同がある。
いずれにせよ、デザイナー一人の才覚だけでなく、はじめから資本家の後ろ盾があって回っていた事業だった。

香水はさらに分かりやすい。
1947年、最初の香水Miss Diorを出したとき、香水部門の株はDior側が25%、Coty社のマネージャーが35%、Boussacが40%。
つまりDiorの名を冠した香水会社で、Dior本体は少数株主にすぎなかった。

この構図は、いま見ると象徴的に思える。
ただ、当時これを問題と見た者はいない。
才能に資本を接ぎ木するのは、戦後クチュールの標準的な立ち上げ方だった。
かつて自分が貸し出される側にいた男が、今度は自分の名前に他人の資本を接がせる番になった。
ただそれだけのことでもある。

さらに1950年、Diorは「Dior」という名前そのものをライセンスに出しはじめた。
ネクタイ、ストッキング、帽子、ハンドバッグ、ジュエリー、ランジェリー。
デザイナーが一針一針縫うのではなく、名前を貸してロイヤリティを取る。

名前を切り離して商売にする仕組みは、創業からわずか数年で始まっていた。

その名前が、後にひとつの巨大企業へと吸い上げられていく。

デザイナーの才能が資本と組織の器に接ぎ木されてはじめて服になるという、戦後クチュールの立ち上げ構造を理解させる

Bernard Arnaultは、まず「入れ物」を買った

ここから会社の話が少しややこしくなる。
順を追う。

鍵を握るのはBernard Arnaultという人物だ。
1984年、彼はDiorを所有していたBoussacグループを買収した。
だが狙いは、繊維事業そのものではなかったと広く語られてきた。

なぜ繊維本業ではなく、傘下の名前だったのか。
時代を思い出せばいい。
綿織物で立ったBoussacの本業は、戦後の合成繊維と安価な輸入に押され、往時の勢いを失っていた。
工場と設備は重荷であり、Boussacグループは経営難のなかで身売りされる。
工場が縮んでいくその同じ時期に、傘下に眠っていたDiorという四文字だけが、色褪せずに価値を保っていた。
布を織る力は摩耗する。
だが「New Lookを生んだメゾン」という記憶は摩耗しない。
Arnaultが本当に欲しかったのは、この摩耗しない資産だった。

老舗の名前を、実業家が手に入れる。
ここまでは、Boussacの時代の続きにも見える。

だがArnaultの動きは、そこで止まらなかった。

1988年、彼が握る持株会社Christian Diorが、LVMHの株を32%取得する。
以後、数字を少しずつ積み上げていく。
徐々に、しかし確実に、支配の比率を上げていったのだ。

一度に全部を買うのではなく、時間をかけて外堀を埋める。
この積み上げ方は、後の総仕上げの伏線になる。

香水部門については、話がもっと早い。
Diorの香水は1960年代からLVMHの所有だ。
つまり、私たちが「Dior」と呼ぶものの一部は、半世紀以上前からこのコングロマリットの中にあった。

香水は早く、クチュールは最後まで残った。
その最後の壁が崩れるのが2017年である。

衰退する繊維本業ではなく摩耗しない名前という資産こそが買われたことを理解させる

2017年、最後の26%

そして総仕上げが来る。
答えの残り半分は、ここにある。

2017年、LVMHはChristian Diorに残っていた26%の株式を買い取り、Christian Dior Coutureをグループに正式に組み込んだ。
金額は約121億ユーロ。
これで、服を作るクチュール部門までもがLVMHの完全な支配下に入った。

香水は1960年代から。
名前と持株会社は1984年から段階的に。
そしてクチュールが2017年に。
三段階に分けて、ひとつのメゾンが丸ごと吸収されたことになる。

なぜこの26%がそれほどの意味を持つのか。
数字で見ると、その小ささに驚くはずだ。

2001年時点で、Christian Dior Coutureの売上は、LVMH全体の売上高120億ユーロのうち、わずか3億5000万ユーロ、全体の2%にすぎなかった。
額としては小さい。
それでも、この2%を最後まで囲い込むことに121億ユーロが動いた。

売上の規模ではなく、名前そのものに値がついている、と読むほかない。

New Lookを生んだメゾン。
パリを戦後のモードの首都へ引き戻したという神話。
その物語のすべてが、この「Dior」という四文字に折り畳まれている。
買われたのは布や工房ではなく、記憶のほうだったのだろう。

「フランスの老舗」は、嘘ではない

では、Diorをフランスの老舗と呼ぶのは間違いなのか。
そう言い切りたくなる。
だが、それも違う。

メゾンとしてのDiorは、確かにフランスで生まれた。
1905年、ノルマンディーの海辺の町グランビルに生まれた一人の男が、画商として身を立てようとして破産し、結核を患い、療養中に描いたファッションのスケッチをクチュールメゾンに売ることから服の世界に入った。
遅咲きの創造者だ。
その来歴も、モンテーニュ通りの住所も、New Lookの記憶も、本物である。

老舗という看板は嘘ではない。
ただ、その看板を掛けている柱が、いつのまにか別の持ち主のものになっていた。
それだけのことだ。

ここまでの話を「だからDiorはもう本物のフランスブランドではない」と読まれると、それは違う。
文化としての連続性と、資本としての所有は、別の層で走っている。
二つは矛盾しない。
矛盾しないからこそ、私たちは平気で「フランスの老舗」と口にできてしまう。

創業者の名を冠しながら、創業者はいない。
フランスの魂を掲げながら、その器は巨大資本の中にある。
この二重性こそ、いまのラグジュアリーの標準的な姿だ。
Diorはその最も鮮明な標本にすぎない。

冒頭の疑問に戻ろう。
「独立した老舗でしょ?
」という思い込みは、半分正しくて半分ずれていた。
老舗であることは正しい。
独立している、という部分だけが、創業当初から一度も完全には当てはまっていなかった。
名前は最初からBoussacの資本と手を組み、最後にはArnaultの資本へ収斂した。

グランビルの海辺で生まれた男の名前は、いまもモンテーニュ通り30番地のショーの幕に大きく掲げられている。
その幕が上がる瞬間、パリの老舗が観客を迎えているように見える。
だが幕の裏で誰が数字を数えているかを知ってから見上げると、あの四文字は少し違って見えるはずだ。

FAQ

なぜ香水部門だけ、こんなに早く1960年代にLVMH側へ渡ったの?

そもそも香水は、創業時点でDior本体の持ち物ではなかったからです。
1947年の設立時、香水部門の株はDior側がわずか25%で、Coty社のマネージャーやBoussacが多数を握っていました。
服を作るクチュールと違い、香水は最初から資本家主導の別会社として設計されていた。
だからこそ、後にLVMHの前身へと早く吸い込まれても不思議はなかったのです。
名前は共通でも、所有の履歴はまったく別々に流れていました。

「ブランド」と「会社」が別物というのは、どういう意味?

「Dior」という名前や美学は文化的な資産であり、それを使って服や香水を作って売る企業体とは別のものだと考えると分かりやすくなります。
名前は資産なので売買でき、実際に持ち主が何度も変わってきました。
1950年にはDior自身が「Dior」の名前をライセンスに出し、名前を貸して収益を得る仕組みを早くから始めています。

創業者Christian Dior本人は、いまの会社と関係あるの?

直接の関係はありません。
本人は1957年に亡くなっています。
以後はYves Saint LaurentやMarc Bohan、John Galliano、Maria Grazia Chiuriらが、それぞれの美学で「Dior」の名のもとに服を作ってきました。
創業者不在のまま、名前だけが受け継がれて稼働し続けている。
それが現在のDiorです。

この記事について

本記事は、公開されている一次情報を多言語で収集し、記述ごとに出典と突き合わせて検証したうえで執筆しています。裏が取れなかった事項は断定せず、資料が食い違う点は両論を併記します。編集部の二段階の査読(事実の正確性/編集としての品位)を経て公開しています。

執筆・編集:REPOSITORY ONE 編集部