【Ralph Lauren|James M. Jeter期】創業50年、初の黒人クリエイティブディレクターが継いだ「アメリカの夢」の担い手

2026.10.02 Ralph Lauren 編集部
血統なき者が服だけで「アメリカの夢」を発明し、その編集権が今新たな担い手へ渡る瞬間を象徴として理解させる

2024年8月1日、ジェームズ・M・ジェター(James M. Jeter)がメンズPoloのクリエイティブディレクターに昇進した。
Ralph Laurenの50年以上の歴史で、黒人がこの役職に就いたのは初めてである。
ここで問われるのは昇進の是非ではない。
ブロンクスのユダヤ系移民の子が服だけで組み立てた「アメリカの夢」を、今度は誰が編集するのか——その担い手が一人ぶん広がった瞬間の意味である。

まず、ひとつ確認しておきたいことがある。
この夢は、最初から誰かの血筋のものではなかった。

発明された夢には、血統の裏付けがない

Ralph Laurenの「アメリカ」は、本人が生きたアメリカではない。
借りてきた憧れを、本物として組み直したものだ。

創業者の本名はラルフ・リフシッツ(Ralph Lifshitz)という。
1939年、ニューヨークのブロンクスに生まれた。
両親はベラルーシから渡ってきたアシュケナージ系ユダヤ人移民である。
彼は16歳で名字をリフシッツからローレンへと法的に改めた。
服飾デザインの教育は受けていない。
市立大学バルーク校でビジネスを2年学び、卒業を待たずに中退している。

ここに、東海岸のアングロサクソン的な貴族趣味を支える要素は、ひとつもない。

彼の出発点はネクタイだった。
1967年、ボー・ブルンメル社でデザイナーとして働き始める。
当時の主流は細いネクタイで、彼はそれに逆らって幅広で大胆な柄を作った。
翌1968年、最初のメンズフルライン「Polo」を発表する。
ポロ——馬上の球技。
イギリスの上流階級が興じ、アメリカの旧家がそれを真似た、まさに血統の遊びだ。
その名を、改名した移民の子が商標として選んだ。

出自で決まる正統を、服で上書きできるか。
これが彼の最初の賭けだった。

賭けは当たったように見える。
1969年にはブルーミングデールズがPoloのショップインショップを設けた。
1971年、女性向けのテーラードシャツが登場し、その袖口にあのポロ競技者のエンブレムが初めて縫い込まれる。
同じ年、ロデオドライブに初の路面店。
1972年には、競技者のロゴを刺繍した半袖コットンシャツを24色で出した。
のちに「ポロシャツ」と呼ばれるものだ。

階級の象徴だったものが、24色で誰でも買える記号になった。
ただ、ここには後で引っかかってくる矛盾が仕込まれている。
あとで戻る。

ブロンクスのユダヤ系移民の子が、ネクタイと改名から上流趣味を自作した出発点を理解させる

映画のスクリーンが、本物の代わりになった

彼の「オーセンティシティ」は、実体験ではなく虚構から立ち上がっている。
ここが、この物語のいちばん奇妙なところだ。

1974年、映画『華麗なるギャツビー』の男性キャストの衣装をRalph Laurenが手がけた。
ロバート・レッドフォード演じるジェイ・ギャツビーの、あのピンクのスーツ——これだけは彼が特別にデザインした唯一の例外だったという。

考えてみてほしい。
ギャツビーもまた、出自を消し、富と名前を自作して上流社会に入り込もうとした男だ。
その虚構の人物に、改名した移民の子が服を着せた。
スクリーンの中の自己創造と、スクリーンの外の自己創造が、ピンクのスーツ一着で重なっている。

1977年には『アニー・ホール』。
ダイアン・キートンとウディ・アレンがRalph Laurenを着て、「アニー・ホール・ルック」が流行した。
映画が服を広め、服が映画の理想像を強化する。
この相互作用の回路を、彼は早くに握った。

彼の「本物らしさ」は、現実の旧家から来たのではない。
映画と神話から借りて、本物より完璧に組み直されたものだった。

西部もそうだ。
1993年に始まったRRL(Double RL)は、コロラドの自身の牧場にちなむ。
20世紀初頭のワークウェア、軍服、アメリカ西部の神話がテーマになっている。
1984年には「Safari Collection」でアフリカを纏わせた。
1992年の「STADIUM 1992」は1920〜30年代のアメリカ人オリンピック選手の制服を下敷きにする。

西部・アイビー・サファリ・スポーツ。
どれも彼が生きた世界ではなく、アメリカが自分について語ってきた物語の断片だ。
彼はそれを拾い集め、服とホームコレクション、やがてレストランにまで広げた。
生活のすべてを、ひとつの夢として設計した。

ひとつ引っかかる。
「オーセンティシティ(本物であること)」を掲げながら、その世界は改名した名前と、借り物の憧れの上に建っている。
これは欺瞞なのだろうか。

実体験ではなく映画『華麗なるギャツビー』の虚構からオーセンティシティが立ち上がった奇妙さを理解させる

ロゴは、夢を売ると同時に人を仕分ける

答えを出す前に、別の矛盾を置く。
生まれで決まらない自由を体現したはずのロゴが、着る者を所属で仕分ける記号として働いてきた、という矛盾だ。

ポロ競技者のエンブレムは、憧れを民主化する装置だった。
24色のポロシャツは、その証拠である。
誰でも買えて、誰でも「あちら側」の雰囲気を纏える。

だが記号は分類もする。
Poloを着ることは、ある階級・ある所属に自分を位置づけることでもあった。
2004年に大学生向けの低価格ライン「Rugby」が始まったとき、エンブレムはPoloではなくラグビー選手やラグビーシャツに差し替えられた。
価格帯に応じて、身につける記号が変わる。
誰のものでもあり得る夢が、記号によって細かく層へ分けられていく。

2011年、会社は社名を「Ralph Lauren Corporation」に変えた。
Poloの名やロゴを使わないブランドが増えたから、という理由である。
ロゴが所属を語りすぎることへの、企業なりの調整だったとも読める。

自由の記号が、所属の記号でもある。
この二重性を抱えたまま、「アメリカの夢」は半世紀走ってきた。

では、その夢を誰が編集してきたのか。
長いあいだ、答えは一人だった。

同じエンブレムが憧れを民主化する一方で着る者を階級へ分類する二重性を理解させる

担い手が一人ぶん、広がった

ジェームズ・M・ジェターの昇進が意味を持つのは、この「一人だった担い手」が初めて外へ開いた点にある。

経緯を事実で追う。
2022年3月、Polo Ralph Laurenは「Morehouse and Spelman Colleges Collection」を発売した。
Morehouse(モアハウス)とSpelman(スペルマン)は、アメリカの歴史的黒人大学(HBCU)である。
黒人の学生たちが学問と自負を育ててきた場所だ。
ジェターは、このコレクションのリードデザイナーを務めた。

アイビーの意匠を核にしてきたRalph Laurenが、HBCUを主題に据えた。
これは小さくない。
Ralph Laurenの「大学らしさ」は長らく東海岸の白人エリート校の空気を下敷きにしてきた。
そこにMorehouse・Spelmanが入るとき、「アメリカの大学の夢」の輪郭そのものが描き直される。

そして2024年8月1日、ジェターはメンズPoloのデザインとブランドディレクションを担うクリエイティブディレクターに昇進した。
同社50年以上の歴史で、初の黒人クリエイティブディレクターである。

HBCUコレクションのリードから、Poloの編集権を持つ立場へ。
この順序に、見立てを急ぎたくなる。
借り物の「アメリカ」を組み立ててきたメゾンが、ついに当事者に編集を委ねた——と。

ただ、美談として閉じるのはまだ早い。
会社は同時に、別の方向にも走っている。

2025年9月、会話型AIショッピング「Ask Ralph」を導入した。
Microsoft AzureのOpenAIを使い、アプリのユーザーに向けて提供される。
環境面では「Earth Polo」を拡大し、平均12本のペットボトルから一枚を作る。
2025会計年度の売上は71億ドル、2026会計年度には史上初めて81億1000万ドルを超えた。

手作りの神話は、いまやAIと数値で更新されていく。
担い手の拡張も、サステナビリティも、81億ドルを追うNYSE上場企業(NYSE:RL)の経営判断の内側で起きている。
ジェターの昇進を、純粋な理念の勝利と呼ぶには、周囲の文脈が商業的すぎる。

それでも、だ。

誰のものでもあり得る夢を、誰が編集するか

ここで最初の問いに戻る。
「オーセンティシティ」が借り物の上に建っていることは、欺瞞なのか。

おそらく違う。
Ralph Laurenの夢が最初から発明品だったからこそ、担い手を替えられる。
血統で決まる正統なら、他人には継げない。
だが、改名した移民の子が映画と神話から組み立てた夢なら、原理的に「誰のものでもあり得る」。
そこにMorehouseが入り、Spelmanが入り、黒人のクリエイティブディレクターが編集権を持つことに、構造上の矛盾はない。
むしろ、この夢が本当に発明品であったことの、遅れてきた証明である。

とはいえ、ロゴの二重性は消えていない。
自由の記号は、いまも所属を仕分ける。
ジェターがPoloを編集するとき、彼が向き合うのは、憧れを開くと同時に人を層に分けてきた、あのエンブレムそのものだ。
担い手が広がっても、記号が仕分けをやめるかどうかは、まだわからない。
それは、これから彼の手が作る服が答える。

1974年、改名した男は、出自を自作したギャツビーにピンクのスーツを着せた。
半世紀後、その夢の編集権が、Morehouseの意匠を手がけた一人のデザイナーに渡った。
ギャツビーの自己創造は悲劇に終わる。
この自己創造が、どこへ着地するのか。
ピンクのスーツの続きは、まだ縫われている途中だ。

FAQ

ジェームズ・M・ジェターはいつクリエイティブディレクターに就任したのか?

2024年8月1日、Ralph LaurenのメンズPoloのデザイン&ブランドディレクションを担うクリエイティブディレクターに昇進した。
それに先立つ2022年、HBCU(歴史的黒人大学)を主題にした「Morehouse and Spelman Colleges Collection」でリードデザイナーを務めている。

なぜこの起用が「初」として注目されるのか?

Ralph Lauren Corporationは1967年の設立以来、50年以上の歴史を持つが、ジェターは黒人として初めてクリエイティブディレクターに就いた人物だからである。
長く東海岸のアングロサクソン的な貴族趣味を単一の理想としてきたメゾンにとって、「アメリカの夢」の担い手が拡張された瞬間として読める。

ラルフ・ローレン本人は「本物」のアメリカ上流階級の出身なのか?

いいえ。
本名はラルフ・リフシッツで、ベラルーシから移住したユダヤ系移民の子としてブロンクスに生まれ、16歳で名字をローレンに改めた。
服飾の正式教育も受けていない。
彼が築いた「アメリカの夢」は、実体験ではなく『華麗なるギャツビー』のような映画や西部・アイビーの神話から借りて組み立てられた、発明としての世界観である。

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