【アレキサンダー・マックイーン|ショーン・マクギア期】13年続いたバートン体制の後、創業者を知らない世代が継いだメゾン
ショーン・マクギア(Seán McGirr)がアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)のクリエイティブ・ディレクターに指名されたとき、ひとつの事実が静かに確定した。
彼は、創業者リー・アレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)と一度も仕事をしていない、初の責任者だ。
つまりこのメゾンは、創業者の人格を知る者ではなく、創業者を資料として学んだ者に託された。
これは継承であると同時に、継承の対象そのものが変わった瞬間でもある。
まずは系図を確かめておきたい。
創業者は2010年に世を去った。
享年40。
その前年まで彼は36ものコレクションを自らの名のもとに作り続け、British Designer of the Yearを四度受賞し、CBEを受勲した。
彼の死後、メゾンを引き継いだのはサラ・バートン(Sarah Burton)である。
彼女は1996年にインターンとして加わり、2000年にウィメンズのヘッドに就き、2010年から2023年まで13年間、ディレクターの座にあった。
ここまでは、継承の正統な線に見える。
問題は、その次だ。
バートンは「人」を継ぎ、マクギアは「様式」を継いだ
継承の性質が、バートンとマクギアの間で決定的に割れている。
ここが記事の核心だ。
バートンは創業者と14年間、同じアトリエで働いた。
インターンから右腕へ。
彼女が引き継いだのは、設計図ではなく、リー・アレキサンダー・マックイーンという一人の作家の手癖であり、呼吸であり、何に激昂し何に沈黙するかという判断の基準だった。
2010年の遺作「Angels and Demons」——未完に終わった第36コレクション——を仕上げたのも彼女である。
死の瞬間に中断された創造を、その場に居合わせた者が引き取った。
これは文書による継承ではない。
マクギアには、それがない。
彼は1992年にロンドンで創業したこのメゾンを、2024年に引き受けた。
1969年生まれの創業者が亡くなったのは、マクギアがまだCentral Saint Martinsを修了する前のことだ。
奇しくも二人は同じ学校の出身である。
創業者が1992年に、マクギアが2014年に、それぞれ修士号を得た。
だがこの22年の隔たりは、同窓という縁では埋まらない。
マクギアにとっての創業者は、師ではなく、アーカイブだ。
では、アーカイブから継げるものとは何か。
「Jack the Ripper」をブロウが丸ごと買った、あの逸話は継げない
継げないものから見ていくと、このメゾンの正体がはっきりする。
創業者の神話は、ほとんどが「人」に属している。
イースト・ロンドンに生まれ、サヴィル・ロウのAnderson & Sheppard、Gieves & Hawkesで仕立てを修業した青年。
Central Saint Martinsの卒業コレクション「Jack the Ripper Stalks His Victims」を、イザベラ・ブロウ(Isabella Blow)が一着残らず買い取った——この一点から彼のキャリアは始まった。
数年でトップに駆け上がり、1996年から2001年までGivenchyのヘッドデザイナーを兼ね、そして40歳で自ら生を絶った。
この物語の、どこを継承できるだろう。
買い取られた卒業制作も、自死も、継げるものではない。
神話とは、繰り返せないからこそ神話である。
継げるのは、その先だ。
継承可能なものとは、服の文法だった
では何が残るのか。
服そのものに書き込まれた文法である。
これは反復できる。
アレキサンダー・マックイーンという名が指すものを、いくつか挙げておく。
サヴィル・ロウ仕込みのテーラリングと、それを儀式のように壊す破壊的演出の共存。
強さと脆さ、光と闇、革新と伝統を同じ一着に併置する手つき。
ランウェイを商品発表から劇場・儀式へと変える演劇性。
そして、反逆的なエレガンスと、個の尊厳。
これらは、どれも服と演出の設計原理として記述できる。
「No. 13」でロボットがシャローム・ハーロウにスプレーを吹き付けたこと。
「Voss」が鏡張りの立方体にミシェル・オリーを封じ込めたこと。
「Plato’s Atlantis」が史上初のライブ配信ショーとしてレディー・ガガの「Bad Romance」を世界に放ち、あのアルマジロ・シューズを登場させたこと——これらは記録として残り、原理として抽出できる。
創業者の激情がなくても、様式としては継承できてしまう。
できてしまう、と書いた。
そこに引っかかりがある。
創業者が最も嫌ったのは、まさにその「様式の反復」ではなかったか。
2009年の「Horn of Plenty」で、彼はファッション産業の浪費と独創性の欠如を風刺した。
しかもそのコレクションは、自らのデザイン史を振り返る回顧の形をとっていた。
自己模倣すれすれの場所で、自己模倣を告発する。
彼の敵はモードそのものの惰性だった。
その人物のメゾンが、いま「継承可能なブランド様式」として運営されている。
この矛盾は、マクギアが作ったものではない。
矛盾は、2001年にすでに始まっていた
マクギアを「創業者の精神を知らない後継者」として裁くのは、たやすい。
だがその前に見ておくべき数字がある。
このメゾンは2001年——資料によっては2000年——にKeringの傘下に入った。
親会社は2022年に従業員4万7000人超、売上204億ユーロを数える巨大コングロマリットである。
産業の惰性を風刺した作家が、産業の中核資産になった。
北京出店、PumaやSamsoniteとの協業、オンラインストアの展開。
個の反逆を掲げたメゾンは、創業者の存命中から、商業システムそのものへ組み込まれていった。
つまり「個人の狂気」から「継承可能な資産」への変質は、マクギアの指名で始まったのではない。
2001年に始まっていた。
創業者の死は、その流れを加速させた分岐点にすぎない。
バートンの13年は、この変質を最もうまく隠した期間だったのかもしれない。
2011年、彼女はキャサリン妃のウェディングドレスを手がけた。
反逆のメゾンが王室と結びつく。
「Highland Rape」のタイトルと演出が物議を醸した、あの階級社会への挑発者が、いまや階級の頂点を装う。
矛盾は深まったが、バートンが創業者の実在の記憶を体に宿している限り、それは「連続」として受け止められた。
マクギアには、その隠れ蓑がない。
ならば、なぜマクギアだったのか
Keringの選択を、経歴から読み解いてみる。
公式には、バートン退任の理由は親会社から明かされていない。
だから選定の意図も推測の域を出ない。
それでも経歴は雄弁だ。
マクギアはJW Andersonでレディ・トゥ・ウェアのヘッドを務め(2020年就任)、Dries Van Notenでウィメンズを担当し、2014年から2018年まで東京とパリのUniqloクリエイティブオフィスに在籍した。
キャリアの出発点はBurberryとVogue Hommes Japanのアシスタントである。
この並びを眺めると、ひとつの傾向が浮かぶ。
前衛(JW Anderson、Dries Van Noten)と、大量生産の最前線(Uniqlo)の両方を渡ってきた人物だ。
創業者が体現した「個の狂気」よりも、様式を量産可能な体制のなかで運用する技術のほうに、この経歴は寄っている。
- JW Anderson、Dries Van Noten——前衛の文法を、商業的に成立する服へ翻訳する現場。
- Uniqlo——東京とパリで、クリエイションを工業的スケールへ接続する現場。
- Burberry、Vogue Hommes Japan——キャリアの最初に身につけた、既存ブランドへの奉仕の作法。
創業者の神話を継げる人間など、どこにも存在しない。
ならば、様式を正確に運用できる人間を選ぶ——Keringの指名は、その論理に忠実だ。
CEOのジャンフィリッポ・テスタ(Gianfilippo Testa、2022年3月就任)体制下での決定でもある。
デビューは2024年3月2日、パリでの2024-25年秋冬コレクションだった。
在任は今も続いている。
問われているのは、マクギアではなくメゾンの定義
最初の問いに戻る。
創業者を知らない世代が継いだとき、何が継がれたのか。
答えは出た。
継がれたのは人ではなく、服の文法と、商業資産としての名である。
そしてこの変質は、マクギアが引き起こしたものではなく、2001年のKering傘下入りから続く宿命の、最も可視的な局面にすぎない。
ただ、ひとつだけ答えの出ない問いが残る。
服は観客を心地よくさせるためにあるのか、それとも揺さぶり傷つけるためにあるのか——創業者はこの問いに、暴力と脆さの衝突で答え続けた。
「Highland Rape」の論争は、その答えが今も安全に消化しきれないことの証だ。
様式としてのマックイーンは継承できる。
では、観客を傷つけるあの意志までも、資料から継げるのか。
アーカイブに残っているのは、傷つけた結果であって、傷つけようとした衝動ではない。
マクギアが前者だけを継いだのか、後者まで引き受けたのか。
それは、まだ続いているコレクションの束だけが、いずれ明かす。
ブロウが卒業制作を丸ごと買い取ったとき、彼女が見たのは完成された様式ではなく、まだ名前のない衝動だった。
いま試されているのは、名前がついてしまった後のマックイーンに、もう一度その衝動が宿りうるかどうかである。
FAQ
ショーン・マクギアはいつからアレキサンダー・マックイーンを率いているのですか。
デビューコレクションは2024-25年秋冬で、2024年3月2日にパリで発表されました。
在任は現在も続いています。
前任のサラ・バートンは2010年から2023年まで13年間ディレクターを務め、最後のコレクションは2023年9月30日に発表された2024年春夏でした。
マクギアは創業者リー・アレキサンダー・マックイーンと面識があったのですか。
ありません。
創業者は2010年に亡くなっており、マクギアがCentral Saint Martinsで修士号を得たのは2014年です。
両者は同じ学校の出身という縁を持ちますが、ともに仕事をした世代ではなく、マクギアは創業者の精神を直接受け継いでいない初の責任者です。
なぜ創業者と無縁の人物が選ばれたのですか。
親会社Keringは退任・選定の理由を公表していないため確定的には言えません。
ただマクギアの経歴は、JW AndersonやDries Van Notenといった前衛と、Uniqloという工業的スケールの両方を横断しており、創業者の「個の狂気」よりも、様式を体制のなかで運用する技術に寄っています。
メゾンが2001年のKering傘下入り以来たどってきた、資産としての運用という流れと整合する指名だといえます。