女性クチュールを学んだ一人の女性が、38年にわたって男の服だけを作り続けた。エルメス(Hermès)の隣、女性向けプレタポルテがMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)からJean Paul Gaultier(ジャン・ポール・ゴルチエ)、Christophe Lemaire(クリストフ・ルメール)、Nadège Vanhee-Cybulski(ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキ)へと持ち回されていたあいだも、メンズは一人のままだった。ここで問いたいのは彼女の才ではない。なぜエルメスは、メンズにだけこの長い時間を許したのか、ということだ。
女性クチュール出身が、男の服だけを作り続けた
Véronique Nichanian(ヴェロニク・ニシャニアン)は1988年、当時会長だったJean-Louis Dumas(ジャン=ルイ・デュマ)に任命され、エルメスのメンズ・クリエイティブディレクターに就いた。以後、退任まで38年。
奇妙な話ではある。彼女が学んだのはパリのÉcole de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienneで、専攻は女性のクチュールだった。にもかかわらず、生涯の仕事場に選んだのは男の服だった。
前職はCerruti(チェルッティ)。ここで12年間、メンズのコレクションを手がけている。エルメスに来る前に、すでに男の服だけで一つの職業を成立させていたわけだ。
女性クチュールの訓練を積み、男の服に転じる。この経路そのものが、彼女の仕事の質を決めていたように見える。ただ、その「質」が何なのかは、制作の手順を追わないと見えてこない。

色から始め、素材を作り、最後に形へ
彼女の制作は色の研究から始まる。次に、そのコレクションのためだけの素材を開発する。形やライン、シルエットに手をつけるのは、その後だ。
順序が逆だと言いたくなる。ふつう服は形から考えるものではないのか。デザイン画を引き、シルエットを決め、それに合う生地を探す。そう思い込んでいる。
だが彼女はそうしない。まず色があり、次にその色を宿す素材があり、形は最後に来る。服が身体をどう包むかより先に、布そのものが何でできているかを問うている。
これはエルメスの論理と正確に重なる。一人の職人が一つの鞍を最初から最後まで、約40時間かけて仕上げる。二本の針と一本の蝋引き麻糸を往復させるcouture sellier、すなわち鞍縫いという技法が、このメゾンの根にある。素材と手の記憶を、形より先に置く思想だ。
女性クチュールの出身者が、なぜ男の服で長く続いたのか。手がかりはここにある。彼女の手順は、服の様式ではなく、メゾンの素材哲学に接続していた。だから流行の周期に急かされない。もっとも、これだけでは説明しきれない。同じ哲学を共有していたはずの隣のラインは、まるで違う運命をたどったからだ。

隣では、四人が入れ替わっていた
同じ時期、エルメスの女性向けプレタポルテは目まぐるしく人を替えている。
Martin Margielaが1997年にJean-Louis Dumasに招かれ、6年間で12のコレクションに署名した。反ロゴを掲げ、六つの穴を持つボタンを作り、糸が控えめに「H」を描くようにした。losange(菱形のスカーフ)を発明し、Cape Codの時計にdouble tour、すなわち二重に巻くストラップを与えた。誇示せずに帰属を示す、という逆説をモードに残した仕事だ。
次がJean Paul Gaultier。2003年から、実に25年ぶりに自分以外のブランドを手がけた。シルエットを解体し、Shoulder Birkinを引き伸ばし、Kellyを平らに畳んだ。2009年にはフリンジのKelly、ピラミッド鋲のMedorクラッチ。攻めの意匠だった。
そのあとがChristophe Lemaire。2011年のFall/Winterが最初で、鷹狩りと弓術を引いた。翌年のSS12はミニマルでオリエンタル。2014年に去った。
そしてNadège Vanhee-Cybulski。Margielaのもとで3年、Phoebe PhiloのCélineで3年、The Rowを経て2014年に就任した。20年ぶりの、女性による女性プレタポルテの芸術監督だった。
四人。それぞれ強い作家性を持ち、それぞれ数年で去った。エルメスは外部の才を招いては、自らの寡黙な文法へと吸収してきた。それがこのメゾンの一つのやり方である。だが吸収には摩擦がある。人が替わるたび、女性ラインはエルメスと外来の作家性のあいだで振れた。
メンズには、その振れがなかった。

更新しないことを、更新の圧力のなかで貫く
一人が38年続くとは、様式を人格に預けるということだ。これはリスクでもある。
作家が替われば話題になる。展覧会が開かれる。「Margiela: les années Hermès」はアントワープのMode MuseumとパリのMusée des Arts Décoratifsで開かれた。短い在任でも、強い署名は文化の記憶に残る。更新は、それ自体がモードの燃料だ。
Nichanianはその燃料を使わなかった。話題より継続を、署名より一貫を選んだ。饒舌さより手の記憶を信じる、というこのメゾンの人格を、彼女は最も長い時間で体現した。
もっとも、それを美談だけで語ると足をすくわれる。彼女の38年が可能だったのは、エルメスが家族支配で長い時間軸を守れる会社だったからでもある。Hermès家は資本の約66.7%、議決権の76%超を握る。2010年にBernard ArnaultのLVMHが最大約23%まで買い進めたときも、H51と20年のロックアップ協定で退けた。市場に上場しながら、市場に急かされない構造を作ったわけだ。
短期の株主に応える必要がなければ、38年の一貫は許される。彼女の遅さは、資本の設計に支えられていた。個人の意志だけの物語ではない。
59体と、幾度ものお辞儀
退任は、劇的に演出された。
最終コレクションのショーは、数十年にわたる彼女のお辞儀の映像を集めたモンタージュで幕を開けた。ランウェイには59体のシルエット。彼女が去るという事実そのものを、コレクションの構成に組み込んだわけだ。
幾度ものお辞儀。同じ人物が、同じ場所で、幾度も同じ所作を繰り返してきた記録である。これほど雄弁に「変わらなかったこと」を示す映像もない。皮肉なことに、更新を拒んだ38年は、最後に退任という更新の瞬間を迎えて初めて、映像として物語になった。
一人が長く続くことは、様式を作る。Leïla Menchari(レイラ・マンシャリ)がFaubourg Saint-Honoréのウィンドウを1978年から2013年まで一人で手がけたように、エルメスには個人の長い時間が文法に変わる伝統がある。Nichanianの38年も、その系譜に置かれるだろう。
冒頭の問いに戻る。なぜメンズにだけ、この長い時間が許されたのか。おそらく答えは一つではない。ただ、色から素材へ、素材から形へと進む彼女の手順が、鞍を約40時間かけて一人で仕上げるメゾンの論理と最初から同じ向きを向いていたことは、確かだ。隣の女性ラインが外来の作家性と摩擦しながら振れていたあいだ、彼女は摩擦を起こさなかった。吸収する必要のない才だった、と言い換えてもいい。
女性クチュールを学んだ一人が、38年、男の服だけを作った。その例外は、エルメスが「変わらないこと」をどう制度に変えてきたかを、隣のラインの目まぐるしさよりも静かに、しかし正確に語っている。
FAQ
Véronique Nichanianはなぜこれほど長く在任できたのか
彼女の制作手順、すなわち色の研究から始め、独自素材を開発し、最後に形へ進むという順序が、素材と時間を形より優先するエルメスの職人哲学と一致していたことが大きい。加えて、家族が資本の約66.7%・議決権76%超を握る統治構造が短期の市場圧力を退け、長い時間軸を許した。
女性ラインとメンズで、なぜ人事の頻度がこれほど違ったのか
女性向けプレタポルテはMargiela、Gaultier、Lemaire、Vanhee-Cybulskiと数年ごとに強い作家を招き、外来の署名とエルメスの文法のあいだで振れ続けた。メンズはNichanian一人が38年担い、その振れがなかった。本記事はこの対照を軸に据えている。
最終コレクションはどのようなものだったか
数十年にわたる彼女のお辞儀を集めたモンタージュで幕を開け、59体のシルエットが披露された。退任という出来事そのものをショーの構成に組み込んだ演出だった。なお最終コレクションのシーズンについては、Fall/Winter 2026とSpring/Summer 2026の両説がある。
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