【徹底ブランド解説】知られざるバーバリー(Burberry)の歴史|雨に濡れた英国の空を、両手を広げて受け入れた男たち

2026.09.07 Burberry 通史 編集部
バーバリーの根本DNA——自然という敵を制圧せず両手を広げて受け入れる姿勢を、雨の英国の空とトレンチコートで象徴的に理解させる

バーバリー(Burberry)は、1856年に英国で創業したラグジュアリーメゾンだ。
防水生地ギャバジン(gabardine)を武器に雨具の常識を覆し、トレンチコートとチェックで「英国的であること」の視覚記号を作り上げた。

だが、その歴史はまっすぐではない。
極地探検家と兵士のために磨かれた気高い機能が、やがて英国のパブで着用を禁じられるほど嫌われた時期がある。
誰にでも開かれた服を謳いながら、誰に着てほしいかを選び続けてきた。
その揺れこそ、このメゾンを読み解く鍵になる。

History

第1章 トマス・バーバリー(Thomas Burberry)期 — 21歳の呉服見習いが雨具を作り替えるまで

1835年、トマス・バーバリー(Thomas Burberry)はサリー州ブロッカム・グリーン(Brockham Green)に生まれた。
ドレイパー(呉服商)の徒弟だった彼が、ハンプシャー州ベイジングストーク(Basingstoke)に最初の店を開いたのは1856年、まだ21歳のときだ。
ここがすべての出発点になる。

1858年にはキャサリン・ハンナ・ニューマン(Catherine Hannah Newman)と結婚し、二男四女をもうけた。
息子たちはやがて家業に加わる。
事業は1870年ごろからアウトドア衣料の開発に軸足を移していった。

彼が挑んだ敵は、英国の湿った空と、当時の防水衣そのものだった。
それまでの雨具はゴム引き綿が主流で、重く、蒸れて、扱いづらい代物だった。

その限界を破ったのがギャバジンだ。
糸の段階で防水加工してから織り上げるという発想が新しく、丈夫で撥水性がありながら通気性を保った。
1888年に特許を取得し、レインウェアを一変させた。

もっとも、ギャバジンを「発明話の誇張」と見る向きは今もある。
だが糸を織る前に防水するという手順そのものが技術の核心であり、ゴム引き綿とは別種の解決だった。

1891年にはロンドンのヘイマーケット(Haymarket)に店を構える。
この場所は、近年までバーバリーの本社が置かれていた。
1889年からは末子アーサー(Arthur Michael Burberry)が、ジャーミン・ストリート・ホテルの富裕な客から注文を取る役を任されている。

1901年、ブランドの顔となる騎士のロゴ、エクエストリアン・ナイト(Equestrian Knight)が生まれた。
13〜14世紀の甲冑に着想を得たこの紋章は、掲げるラテン語「Prorsum(前へ)」を伴い、1909年に商標登録された。
権威づけのために社内で完璧に描かれた紋章、と思われがちだが、実際は公開コンペで一般から募った案が元になっている。
いわばクラウドソーシングの産物だ。

トレンチコートの原型が特許を取ったのも、この時期に近い。
1895年の「タイロッケン(Tielocken)」コートがそれだ。

— 要点 —
– 1856年、21歳のトマス・バーバリーがベイジングストークで創業
– 1888年、ギャバジンを特許取得しレインウェアを一変
– 1901年に騎士ロゴ誕生、実態は公開コンペによる公募案

21歳の呉服見習いがギャバジンという素材革命を成し遂げ、雨具の常識を覆した出発点を理解させる

第2章 探検と戦争の時代 — トレンチコートはどこで生まれたか

トレンチコートは、第一次大戦の塹壕のためにゼロから生まれた戦時の発明だ——そう信じられてきた。
だが原型のタイロッケンは1895年、大戦よりずっと前に特許を取っている。

しかも、このコートが最初に軍装として役割を担ったのはボーア戦争(1899〜1902)だった。
「trench coat(塹壕のコート)」という呼称は、タイロッケンの特許から13年後、兵士たちが第一次大戦の塹壕でこれを着たことに由来する。
名が実より遅れてついた、というわけだ。

ベルト、エポレット、ガンフラップ、Dリング、ストームシールド。
これらの古典的なディテールは、軍務の必要に応じて足されていった。
第一次大戦後、兵士のためのこの服は市民の普遍的なワードローブへと解き放たれる。

この時代、ギャバジンは英国の到達史そのものに同行した。

1911年、バーバリーは人類初の南極点到達者ロアール・アムンセン(Roald Amundsen)の装備を手がけた。
1914年に南極大陸横断を率いたアーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)も、三度の極地探検でギャバジンを纏っている。
1924年、ジョージ・マロリー(George Mallory)はバーバリーのギャバジンのジャケットでエヴェレストに挑んだ。

空にも記録は伸びた。
1930年にはヴィクター・ブルース夫人(Mrs Victor Bruce)の世界一周飛行を支え、1937年にはA・E・クロウストン(A. E. Clouston)とベティ・カービー=グリーン(Betty Kirby-Green)が、ブランドが支援した「ザ・バーバリー(The Burberry)」号でロンドン〜ケープタウン往復飛行の世界記録を樹立した。

第二次大戦では、英国陸軍にトレンチコートをはじめとする軍装を供給した。
空軍、海軍、士官候補生訓練部隊、女性補助部隊まで対象は広い。
一方で市民服の生産も続け、空襲時に着る女性用「サイレンスーツ」まで製品ラインに加えている。

極限を裏づけとする信頼性の物語。
これがバーバリーのDNAの太い一本になった。

— 要点 —
– トレンチの原型タイロッケンは1895年特許、大戦以前のボーア戦争で軍装化
– 「trench coat」の名は特許から13年後、塹壕での着用に由来
– アムンセン・シャクルトン・マロリーがギャバジンを纏い探検史に同行

極地・空・山岳・塹壕という極限環境がバーバリーの信頼性の物語を裏づけたことを理解させる

第3章 チェックと大衆化 — 裏地から表舞台へ、そして階級記号へ

バーバリーのチェックは、最初から前面に押し出された高級の象徴だったわけではない。
少なくとも1920年代から使われているが、当初はトレンチコートの裏地にすぎなかった。

表舞台に出たのは1960年代。
パリ店のバイヤーがアクセサリーにこの柄を使い始めたのがきっかけだ。
1990年代にはスカーフ、バッグ、衣服の主役へと躍り出た。
ベージュ・黒・白・赤のあの組み合わせが、ブランドの顔になっていく。

企業の側でも転機が続いた。
1955年まで家族経営の独立企業だったバーバリーは、この年にグレート・ユニバーサル・ストアズ(Great Universal Stores、GUS)に買収されている。
「創業以来ずっと独立した家族経営」というイメージは、ここで一度切れる。
2002年7月にバーバリー・グループ(Burberry Group plc)としてロンドン証券取引所に上場し、GUSが残る持ち分を手放したのは2005年12月のことだ。

ローズ・マリー・ブラボー(Rose Marie Bravo)はCEOとしてブランドをマスマーケットの成功へ導き、2006年に退いた。
この成功が、次の章で見る問題と表裏になる。

チェックが主役になったちょうどその頃、事態は反転する。

— 要点 —
– チェックは1920年代から裏地、1960年代にアクセサリーで表面化、1990年代に主役へ
– 1955年にGUSへ買収され家族経営が終わる、2002年上場・2005年に完全独立
– ブラボーのマスマーケット成功が次の危機の伏線になる

チェックが裏地という隠れた存在から表舞台の主役へ、さらに階級記号へと意味を変えていく過程を理解させる

第4章 チャヴの時代とアレンドツ(Angela Ahrendts)期 — 大衆化を畳んで希少へ

極地と塹壕から生まれた気高い記号が、英国の路上で意味を反転させた。
1990年代から2000年代初頭、ノヴァチェック(Nova check)が「チャヴ(chav)」文化と結びついたのだ。

2002年、女優ダニエル・ウェストブルック(Danielle Westbrook)が全身ノヴァチェックで登場したことが決定打になった。
バーバリーは英国上流階級から敬遠され、フーリガンやチャヴとの連想から、一部のパブで着用が禁じられた時期すらある。
高級百貨店はショーウィンドウからバーバリーを外した。
2000年代には模造品の氾濫もブランドイメージを一時的に傷つけている。

ブランドが自ら生んだチェックを、自ら封印せざるを得なくなった。
実際、一部のノヴァチェック製品は廃止された。
開かれた腕で万人を受け入れると謳うメゾンが、誰に着てほしいかを選ばざるを得なくなった瞬間だ。

立て直しを託されたのが、2006年にブラボーの後を継いだアンジェラ・アレンドツ(Angela Ahrendts)だった。

彼女は利益率の高いトレンチコートなど中核製品へ回帰させた。
世界規模のライセンス供与を打ち切り、「どこにでもある」状態をやめてブランドを希少なものへ戻そうとした。
デジタルメディアと徹底したスタッフ研修も、この立て直しの柱だった。

大衆化と希少化。
バーバリーはこの二つのあいだで、以後も揺れ続けることになる。

— 要点 —
– ノヴァチェックがチャヴ文化と結びつき、上流階級から敬遠・パブで着用禁止も
– 2002年のウェストブルック事件が決定打、百貨店がショーウィンドウから撤去
– アレンドツがライセンスを畳み中核製品へ回帰、希少性を取り戻す

気高い記号が路上で意味を反転させ、ブランドが自ら生んだチェックを封印し希少へ回帰する矛盾を理解させる

第5章 ベイリー(Christopher Bailey)期 — アウターの老舗をデジタルの先駆けに変えた17年

クリストファー・ベイリー(Christopher Bailey)は、遺産的なアウターブランドをグローバルなラグジュアリーへと変貌させた中心人物だ。

2001年に入社し、フルのプレタポルテ(高級既製服)コレクションを育て、現代的な視点を持ち込んだ。
2011年秋には、鮮やかな色のバッファローチェックのコート、繭のような袖のシルエット、ダウンジャケット、キャメルコート、ファーを纏ったルックを並べた。
2015年春夏コレクション「The Birds and the Bees」は、1940年代の英国の昆虫や野生生物の図鑑に着想を得ている。
ジョーダン・ダン(Jourdan Dunn)やスキ・ウォーターハウス(Suki Waterhouse)らが主要ルックを飾った。

ベイリーの功績は服だけではない。
バーバリーをデジタルの先駆けにしたのが、この期だ。

「SNSに力を入れたのは近年の流れに乗った後発の動き」という見方は、事実に反する。
2008年にはファッションショーをライブ配信し(一部資料は2010年とする)、2009年にストリートスナップのブログ「Art of the Trench」を、2011年にTwitterの「Tweetwalk」を立ち上げた。
2016年にはSnapchatのDiscoverでネイティブ広告を展開している。
ラグジュアリーがデジタルへ踏み出す最初の一歩を、このメゾンが刻んだ。

2017年には、封印されていたチェックを9月のコレクションで再び前面へ戻した。
ストリートウェアの潮流に接続する動きだ。
アレンドツが「どこにでもある」状態を嫌ってライセンスを畳んだのとは逆に、ベイリーはチェックの露出を取り戻した。
同じメゾンの内側で、判断は振れ続ける。

2017年夏までの3年間、ベイリーは取締役会とデザインスタジオの両方を任された。
だが2018年、17年の在籍を経て退任を発表する。
最後のショーは同年2月のロンドン、助言役として同年末まで残った。

— 要点 —
– 2001年入社、アウターの老舗をグローバルなラグジュアリーへ転換
– 2008年ライブ配信・2009年Art of the Trench等でデジタルの先駆けに
– 2017年にチェックを再び前面へ、大衆化と希少化の振れを体現

アウターの老舗をデジタルの先駆けへ転換させ、封印されたチェックを再び前面へ戻した振れを理解させる

第6章 ティッシ(Riccardo Tisci)期 — TBモノグラムと嵐の劇場

リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)は2005年から2017年までジバンシィ(Givenchy)のクリエイティブディレクターを務めた人物で、2018年3月にバーバリーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに着任した。

彼の最初の仕事は、ブランドの記号を書き換えることだった。
2018年9月のデビューコレクションで、ピーター・サヴィル(Peter Saville)の手によるTB(Thomas Burberry)のインターロッキング・モノグラムへとロゴを刷新した。
創業者のイニシャルを組み合わせた新しい記号で、チェックに代わる選択肢になった。

2019年秋冬コレクション「Tempest(嵐)」は、その演出でも記憶される。
2019年2月17日、テート・モダン(Tate Modern)のタンク(Tanks)内に設けた対照的な二つの特設空間で発表された。
ここで彼はヴィンテージのチェックと、トマス・バーバリーのモノグラムを再び手に取っている。

ティッシの狙いは、ビジネスウェアにエッジと官能を、そして格上げしたストリートウェアに切迫感を与えることだった。
もっとも、TBモノグラムもまた、起源への回帰という宿命の一部だ。
新しく見える記号が、実は創業者の名に立ち返っている。

— 要点 —
– ジバンシィ出身、2018年3月着任
– サヴィルによるTBモノグラムでロゴを刷新、チェックの代替に
– 2019年「Tempest」をテート・モダンの二つの空間で発表

新しく見えるTBモノグラムが実は創業者の名へ回帰する宿命の一部であることと、嵐の劇場の演出を理解させる

第7章 リー(Daniel Lee)期 — 英国のルーツへ帰り、若返らせる

ダニエル・リー(Daniel Lee)は、バーバリーを英国の起源へ引き戻す役を担っている。

ボッテガ・ヴェネタ(Bottega Veneta)出身の彼は、ティッシの退任を受けて2022年9月に着任した。
デビューコレクションは南ロンドン、ケニントン(Kennington)のセント・アグネス・プレイス(St Agnes Place)で発表され、ロンドンファッションウィークの2023年秋シーズンを締めくくった。
メゾンに若々しい空気を持ち込んだ、と評される。

このデビューで、1901年生まれのエクエストリアン・ナイトが復活した。
ティッシが立てたTBモノグラムから、さらに古い騎士の紋章へ。
バーバリーは常に自らの起源へ帰り、そこから再出発する。

キャンペーンも英国色が濃い。
タイロン・レボン(Tyrone Lebon)が撮影した生々しい映像に、ヴァネッサ・レッドグレイヴ(Vanessa Redgrave)、ジョン・グレイシャー(John Glacier)、シャイガール(Shygirl)、レノン・ギャラガー(Lennon Gallagher)、リバティ・ロス(Liberty Ross)、チョン・ジヒョン(Jun Ji-hyun)を起用した。

経営では、CEOのジョナサン・アカロイド(Jonathan Akeroyd)がリーと組み、「英国のルーツへ戻す」と約束した。
2025年の時点ではジョシュ・シュルマン(Josh Schulman)が新CEOに就いている。

2018年にはファーフリーを宣言済みだ。
近年は「It’s Always Burberry Weather」を掲げ、ロンドンを賛歌する。
2025年の「Postcards from London」ではオリヴィア・コールマン(Olivia Colman)が日常のロンドンの人々を演じ、夏の「London in Love」ではケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)、リチャード・E・グラント(Richard E Grant)、ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)が出演した。

— 要点 —
– ボッテガ・ヴェネタ出身、2022年9月着任、2023年秋にデビュー
– エクエストリアン・ナイトを復活させ、若返りと起源回帰を両立
– 「It’s Always Burberry Weather」でロンドンを賛歌、2018年にファーフリー宣言

エクエストリアン・ナイトの復活と若返り、そして英国性・ロンドンへの回帰という宿命を理解させる

不変の核(ブランドDNA)

バーバリーの核は、自然という敵に「両手を広げて向き合う」ことにある。
制圧ではなく、受け入れる。
企業パーパスも「To Embrace The Elements With Open Arms(両手を広げて自然の要素を受け入れる)」だ。

その中心には、いくつかの動かない要素がある。

糸を織る前に防水するギャバジンという素材革命。
軍装由来の機能美を凝縮したトレンチコート。
極地・空・山岳という極限環境を裏づけとする信頼性の物語。
「Prorsum(前へ)」を掲げる騎士の紋章。
そして、デジタルを最初期に取り込む革新性。

チェックだけは、性格が違う。
裏地から表舞台へ、さらに階級記号へと意味を変え続けた。
DNAでありながら、最も不安定な一本でもある。

素材は今も受け継がれている。
クラシックなチェックのカシミアスカーフは、125年にわたる長期パートナー、スコットランドのジョンストンズ・オブ・エルギン(Johnstons of Elgin)が製造する。
ギャバジンはヨークシャーのキースリー(Keighley)にあるバーバリー・ミルで織られ、ヘリテージ・トレンチコートはキャッスルフォード(Castleford)で作られている。

矛盾・批評:開かれた腕は、誰を選んできたか

バーバリーの最大の矛盾は、チェックが体現している。

極地探検家と兵士のための究極の機能から生まれた記号が、1990年代から2000年代にかけてチャヴ文化やフーリガンと結びついた。
一部のパブでは着用が禁じられ、高級百貨店はショーウィンドウから外した。
「開かれた腕で万人を受け入れる」と謳いながら、実際には誰に着てほしいかを選び続けてきた。

その選択は一貫していない。
アレンドツは「どこにでもある」状態を嫌ってライセンスを畳んだ。
その数年後、ベイリーは2017年にチェックを再び前面へ戻した。
同じメゾンが、希少化と大衆化のあいだで方向を反転させている。

これを「一貫性のなさ」と切り捨てることもできる。
だが見方を変えれば、バーバリーはラグジュアリーの記号が「誰の身体を通るか」で意味を反転させる仕組みを、身をもって露呈させた。
チェックは高級の象徴にも、排除の記号にもなった。
ファッションと階級の関係を映す鏡が、ここにある。

誤解

トレンチコートは第一次大戦の塹壕のために生まれた戦時の発明だ。
——原型のタイロッケンは1895年、大戦よりずっと前に特許を取っている。
「trench coat」の名は特許から13年後、塹壕での着用に由来し、コート自体はボーア戦争(1899〜1902)ですでに軍装として役割を担っていた。

チェックは最初からブランドの顔だった。
——少なくとも1920年代から使われているが、当初はトレンチの裏地にすぎない。
表舞台に出たのは1960年代、主役になったのは1990年代だ。
しかもその後、チャヴ文化との連想でブランド自身が距離を置こうとした。

創業以来ずっと独立した家族経営の老舗だ。
——家族経営は1955年まで。
同年にGUSに買収され、2002年に上場、完全独立は2005年12月のことだ。

騎士のロゴは権威づけのため社内で描いた紋章だ。
——1901年のこの紋章は、公開コンペで一般から募ったクラウドソーシングの産物だ。

SNSやライブ配信は近年の流れに乗った後発の動きだ。
——バーバリーはむしろ先駆けで、2008年にショーをライブ配信し、2009年にブログ、2011年にTweetwalk、2016年にSnapchat広告を展開した。

神話と、その裏側

創業神話はこうだ。
呉服商の徒弟だった21歳のトマス・バーバリーが1856年に小さな店を開き、ギャバジンを発明して雨具の常識を覆す。
その布はアムンセン、シャクルトン、マロリーを極地とエヴェレストへ送り出し、塹壕の兵士を包んでトレンチコートになった。

この神話を、バーバリー自身が映画にしている。
160周年を記念した3分間の『The Tale of Thomas Burberry』だ。
Kodakの35mmフィルムでワイドスクリーン撮影され、ドーナル・グリーソン(Domhnall Gleeson)がトマス・バーバリーを、ドミニク・ウェスト(Dominic West)がサー・アーネスト・シャクルトンを演じた。

裏側を見ておきたい。
この映画には、シエナ・ミラー(Sienna Miller)演じる「架空の初恋」が配されている。
つまり機能の歴史に、実在しない恋愛の物語が織り込まれている。
神話は事実の記録ではなく、事実を叙事詩へ昇華させた作り物だ。
それを承知で観るべきものだろう。

こぼれ話

1937年、A・E・クロウストンとベティ・カービー=グリーンは、ブランドが支援した「The Burberry」号でロンドン〜ケープタウン往復飛行の世界記録を樹立した。

第二次大戦中、バーバリーは空襲時に着る女性用「サイレンスーツ」まで製品ラインに加えていた。
天候だけでなく、戦火という「自然でない自然」にも服で向き合ったことになる。

2025年の祝祭では、クラリッジズ(Claridge’s)とのコラボレーションで、バーバリーの監修による特注のクリスマスツリーが用意された。
ロンドンへの回帰は、こうした細部にも表れている。

行き着く上位概念

バーバリーをたどると、いくつかの大きな主題に行き着く。

ひとつは Weather / Nature。
雨風と極地という敵を制圧するのではなく、受け入れるという構えだ。
もうひとつは Function——探検と戦争で試された機能が、そのまま美意識になった。

そして Class と Britishness。
チェックが階級の記号として読み替えられた事件は、ラグジュアリーが誰の身体を通るかで意味を変えることを示した。
起源と英国性への回帰は、Heritage という主題に直結する。
最後に Digital Modernity——このメゾンは、ラグジュアリーがデジタルへ踏み出す最初の一歩を刻んだ。

冒頭で立てた問いに戻ろう。
機能から生まれた記号は、誰の身体を包み、誰を排除するのか。
バーバリーはこの問いに、きれいな答えを出せていない。
パブで禁じられ、自ら封印し、また前面へ戻した。
開かれた腕を掲げながら選び続けるその揺れこそ、このメゾンが今も抱えたままの宿題だ。

FAQ

バーバリーの創業はいつ、誰によって?

1856年、当時21歳のトマス・バーバリー(Thomas Burberry)が英国ハンプシャー州ベイジングストークに開いた店が始まりだ。
彼は呉服商の徒弟出身だった。
現在の本社はロンドン・ウェストミンスターのHorseferry Houseにあり、ロンドン証券取引所に上場している。

トレンチコートはバーバリーが第一次大戦のために発明したのか?

ゼロから生まれた戦時の発明ではない。
原型の「タイロッケン(Tielocken)」コートは1895年に特許を取り、ボーア戦争(1899〜1902)ですでに軍装として使われていた。
「trench coat」という呼称は特許から13年後、兵士が塹壕で着たことに由来する。

ギャバジンとは何が画期的だったのか?

糸の段階で防水加工してから織り上げる点だ。
1888年に特許を取得し、丈夫で撥水性がありながら通気性を保った。
それ以前の防水衣料はゴム引き綿が主流で、重く蒸れて扱いづらかった。
ギャバジンはレインウェアを一変させ、アムンセンやシャクルトン、マロリーの探検にも用いられた。

チェック柄はなぜ一時「安っぽい」とされたのか?

1990年代から2000年代初頭、ノヴァチェックが英国の「チャヴ(chav)」文化と結びついたためだ。
2002年に女優ダニエル・ウェストブルックが全身チェックで登場したのが決定打となり、上流階級から敬遠され、一部のパブで着用が禁じられた。
バーバリーは一部製品を廃止してまで距離を置こうとした。

バーバリーはずっと家族経営だったのか?

いいえ。
1856年の創業後、家族経営は1955年まで続いたが、同年にグレート・ユニバーサル・ストアズ(GUS)に買収された。
2002年7月にロンドン証券取引所へ上場し、GUSが残る持ち分を手放して完全に独立したのは2005年12月のことだ。

歴代のクリエイティブディレクターは誰?

創業者トマス・バーバリーに始まり、近年はクリストファー・ベイリー(2001年入社、2018年退任)、リカルド・ティッシ(2018年着任、TBモノグラムを導入)、ダニエル・リー(2022年着任、エクエストリアン・ナイトを復活)と続く。
それぞれが英国性と起源への回帰を、異なる顔で試みてきた。

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