【Burberry|Thomas Burberry期】呉服屋の徒弟が織る前に布を防水した日(1856–1926頃)

2026.09.09 Burberry 編集部
膜で塞ぐ旧来の防水と、糸の段階で防水する発想の転換を対比として理解させる

雨具の歴史は、布を水から守る歴史だった。
トマス・バーバリー(Thomas Burberry)はその前提を裏返した。
彼の答えは布の上に膜を貼ることではなく、織る前に糸そのものを水から遠ざけることだった。
この一手が、雨具の常識を根こそぎ入れ替える。

呉服商の徒弟だった二十一歳の青年が、なぜ布の作り方を最初から問い直せたのか。
そこから話を始めたい。

敵は布ではなく、布のつくり方だった

彼が倒そうとしたのは雨ではない。
雨をしのぐために当時人々が着ていた、あの重く息苦しい一枚のほうだった。

ゴム引き綿。
防水衣といえばこれだった。
綿の表面にゴムを塗り、水を通さなくする。
たしかに水は防げる。
ただ、重い。
呼吸をしない。
動けば内側が蒸れ、湿気が抜けない。
屋外で長く体を動かす人間にとって、防水と快適はそのまま二律背反だった。

ここで発想の向きが変わる。
膜で塞ぐのをやめ、糸の段階で防水する。
防水した糸を織り上げれば、布は水を弾きながら、織目のあいだで空気を通す。
丈夫で、水を弾いて、しかも呼吸する布——ギャバジン(gabardine)である。
1888年、特許取得。

織る前に処理する。
たったこれだけの順序の入れ替えが、防水と通気の両立という不可能を可能にした。

もっとも、これは一夜の閃きではない。
バーバリーは1856年、ハンプシャーのベイジングストークに最初の店を開いている。
1870年ごろには屋外用の衣服の開発へ軸足を移していた。
ギャバジンの特許はそこから十数年後だ。
順序を変えるという発想の裏には、屋外で体を動かす人間を長く見続けた実務の蓄積がある。

布に信頼を刻んだのは、探検家と兵士だった

素材の良し悪しは、研究室ではなく極限で決まる。
バーバリーのギャバジンは、人間が到達したことのない場所で試された。

1911年、南極点に最初に到達したロアール・アムンセン(Roald Amundsen)の装備をバーバリーが手がけた。
アーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)は20世紀初頭の三度の極地遠征でバーバリーのギャバジンをまとい、1914年の南極横断遠征にも臨む。
1924年、ジョージ・マロリー(George Mallory)はエヴェレスト挑戦にバーバリーのギャバジンのジャケットを着ていた。

南極、南極、そしてエヴェレスト。
人が生きて戻れるか分からない場所へ、この布は同行した。
宣伝文句ではなく、実地での耐久がそのまま信頼になる。

やがてバーバリーは空へも進む。
1930年、ヴィクター・ブルース夫人の世界一周飛行と日本への単独飛行に装備を供給し、1937年にはA・E・クラウストンとベティ・カービー=グリーンが「The Burberry」号でロンドン—ケープタウン間往復の世界記録を破った。
機体そのものにブランドの名がついていた。

極地から空へ。
信頼の物語は、いつも人間の到達史のそばにあった。

宣伝ではなく極限環境での実地の耐久が信頼を生んだ歴史的文脈を理解させる

トレンチコートは、戦争が名づける前から存在していた

トレンチコートは戦争の産物だと語られる。
半分は正しい。
ただ、原型が先にあった。

その原型はタイロッケン(Tielocken)コートと呼ばれた。
特許は1895年。
ボタンを使わず、ベルトで前身頃を留める構造だ。
第一次世界大戦の塹壕で英国将校がまとって初めて「トレンチコート(塹壕のコート)」という名がつく。
タイロッケンの特許から数えて十三年後のことだった。
名前より実物のほうが先に出来ていたわけだ。

軍装として鍛えられたディテールは、いまも残っている。
ベルト、エポレット、ガンフラップ、Dリング、ストームシールド。
飾りに見えるものが、ひとつずつ機能から来ている。

  • ベルト——タイロッケンから受け継いだ、前を留めるための構造
  • エポレット(肩章)——階級章や手袋を留めるための肩の帯
  • ガンフラップ——銃を構える肩の摩耗を防ぐ当て布
  • Dリング——装備を吊るすための金具
  • ストームシールド——雨を流し落とすための背の覆い

戦後、このコートは兵士の背から市民の肩へ移る。
塹壕の記憶を脱ぎ捨てて、20世紀のワードローブの定番になった。
軍装から普遍へ——機能が出自を離れて記号だけを残していく、その最初の例がここにある。

タイロッケンを原型に、各ディテールが機能から生まれた軍装由来の設計であることを理解させる

『Prorsum(前へ)』——紋章に刻まれた自己規定

1901年、バーバリーはエクエストリアン・ナイト(騎馬の騎士)の紋章を得る。
1909年に商標登録。
13世紀から14世紀の甲冑に着想を得たこの図像は、公募で選ばれたと伝えられる。

盾には「Prorsum」——ラテン語で「前へ」——の一語が掲げられた。
防水を最初から問い直し、極地と空へ布を送り出したメゾンが、自らの標語に選んだのが「前進」だった。
出来すぎた符合に見える。
ただ、彼の仕事の順序を追えば、後付けの神話とは言い切れない。
順序を疑い、限界を敵と定め、実地で試す。
前進は姿勢そのものだった。

エクエストリアン・ナイトの紋章と『前へ』という標語が前進の姿勢を象徴することを理解させる

呼吸する布は、階級の空気まで通してしまう

ここまでは発明と信頼の話だった。
だが、この物語には後日談がある。
極限のための布から生まれた気高い記号が、思いがけない場所で意味を反転させる。

チェック——ノヴァチェック。
ベージュ、黒、白、赤。
少なくとも1920年代から使われ、もともとはトレンチコートの裏地に潜んでいた。
裏地だ。
人目には触れない場所にあった模様である。

それが表へ出る。
1960年代、パリ店のバイヤーがアクセサリーにチェックを使い始めた。
1990年代、スカーフやバッグや衣服の表舞台へ躍り出る。
裏地から主役へ。
ここまでは記号の栄達の物語だった。

ところが、2000年前後の英国で、この模様は別の身体を包み始める。
「チャヴ(chav)」と呼ばれた文化と結びつき、フーリガンの記号と読み替えられた。
2002年、女優ダニエル・ウェストブルックが全身ノヴァチェックの装いで撮られると、英国の上流層はバーバリーから距離を置く。
高級百貨店はショーウィンドウから外し、一部の街のパブでは着用そのものが禁じられた。

同じ模様が、極地の英雄を包む布の裏地から、締め出しの標的へ。
布は変わっていない。
変わったのは、誰の身体を通ったかだった。

バーバリーはコレクションでチェックを控え、一部のノヴァチェック製品を打ち切ってまで、その負の連想から離れようとする。
自ら生んだ紋章を、自ら封印したわけだ。

「開かれた腕で天候を受け入れる」。
バーバリーは自らの存在意義をそう掲げてきた。
だが天候は選べなくても、着る人は選ばれてしまう。
万人を受け入れると謳いながら、誰に着てほしいかを選び続ける——この矛盾は、トマス・バーバリー一代の発明が意図しなかった、記号のもう一つの宿命だった。

神話は、機能の歴史を叙事詩に変える

2016年、創業160年を機に、バーバリーは『The Tale of Thomas Burberry』という3分の映画を公開した。
コダックの35mmフィルムで撮られたこの短篇で、ドーナル・グリーソンがトマス・バーバリーを、ドミニク・ウェストがシャクルトンを演じ、シエナ・ミラーが架空の初恋の相手を演じる。

架空の初恋。
ここが肝だ。
防水糸の特許も、極地遠征の装備供給も、すべて検証できる事実である。
だが映画はそこに恋の物語を編み込み、発明と実務の連続を一篇の叙事詩へと仕立て直した。

事実を神話に変えるのは、たいてい後の世代の仕事だ。
では、トマス・バーバリー自身が残したのは何だったのか。
恋の物語ではない。
糸を織る前に防水するという、順序の入れ替え一つだった。

その一手は、いまもヨークシャーのキースリーにあるバーバリーの工場でギャバジンとして織られ続けている。
神話の華やかさを剥がした先に残るのは、この地味な事実である。
呉服商の徒弟だった青年が、布のつくり方そのものを疑ったこと。
極限で試されて信頼になったこと。
そして、その機能から生まれた模様が、つくり手の意図を超えて階級の記号にまでなってしまったこと。

雨をしのぐ一枚から始まった問いは、いまも閉じていない。
開かれた腕で天候を受け入れると言うとき、その腕は本当に、誰の身体をも受け入れているのか。
トマス・バーバリーが糸を防水したあの日、答えはまだ用意されていなかった。

FAQ

ギャバジンは、それまでの防水衣と何が決定的に違うのか

処理の順序が違う。
従来のゴム引き綿は織り上げた布の表面にゴムを塗って水を防いだため、重く、通気性がなく、扱いにくかった。
ギャバジンは織る前の糸の段階で防水を施す。
結果として、丈夫で水を弾きながら呼吸する布が生まれた。
1888年に特許を取得している。

トレンチコートとタイロッケンコートはどう違うのか

同じ系譜にある。
ベルトで前を留めるタイロッケンコートが1895年に特許を取り、その原型が第一次世界大戦の塹壕で英国将校にまとわれて「トレンチコート」と呼ばれるようになった。
名がついたのはタイロッケンの特許から十三年後で、実物が名前に先行していた。

バーバリーのチェックはなぜ一度封印されたのか

1990年代から2000年代にかけて、ノヴァチェックが英国で「チャヴ」文化やフーリガンと結びつき、負のイメージを帯びたためだ。
高級百貨店がショーウィンドウから外し、一部のパブでは着用が禁じられた。
バーバリーはチェックの露出を抑え、一部の製品を打ち切ってその連想から距離を取ろうとした。

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