トレンチコートとは──Burberry(バーバリー)が塹壕から生んだ普遍のコート、その定義とディテールのすべて

2026.09.08 Burberry 編集部
トレンチコートの起源が布そのものにあり、糸を織る前に防水するというギャバジンの発明が雨具の常識を覆したことを理解させる

肩の当て布、右胸の四角い布、腰で鳴る金属の輪。
トレンチコートに散らばるこれらの部品は、飾りではない。
ひとつ残らず、塹壕という現場で人が生きのびるために付いていた。
トレンチコートとは、第一次世界大戦の泥のなかで英国将校がまとった軍装が、そのまま市民の普遍的なコートへ解き放たれたものである——この記事は、そのディテールを一つずつ現場に返しながら、原型となった1895年特許の「タイロッケン」から、今もキャッスルフォード(Castleford)で縫われるバーバリー(Burberry)のヘリテージ・トレンチまでを、一本でたどる。

まず名前から入りたくなるが、名前は最後に付いた。
先にあったのは布だった。

すべてはギャバジンから始まった

トレンチコートを語るなら、部品より前に布を見なければならない。
この一枚を成立させたのは、ギャバジン(gabardine)という素材の発明だからだ。

ギャバジンは1888年に特許を取った。
丈夫で、水を弾き、それでいて呼吸する布である。
仕掛けは織り方の手前にある。
糸を織ってから防水するのではなく、織る前の糸そのものを防水してから織り上げる
順序を逆にした、それだけのことに見える。
ただ、この一手が雨具の常識をひっくり返した。

それ以前、防水衣といえばゴム引きの綿だった。
重い。
息苦しい。
動けば汗が内にこもり、雨を防ぐ代わりに、人は自分の熱で蒸された。

ギャバジンは、その袋から人を解き放った。

考案したのはトーマス・バーバリー(Thomas Burberry)。
ドレイパー(呉服商)の徒弟あがりで、1856年、21歳のときにハンプシャーのベイジングストークに最初の店を開いた男である。
1870年までには屋外で着る衣服の開発へ舵を切っていた。
雨の多い国で、雨に負けない布を作る——動機は、驚くほど素朴だ。

この布はやがて、机上ではなく極限の現場でその信頼を証していく。
ローアル・アムンセン(Roald Amundsen)が人類で初めて南極点に立ったとき、その身を包んだのはバーバリーだった。
アーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)は三度の極地遠征でギャバジンをまとい、ジョージ・マロリー(George Mallory)は1924年、エヴェレストへの挑戦にギャバジンのジャケットを着ていった。

布は、人類が地図の余白へ踏み込む場所へ、いつも同行していた。

タイロッケン——名前を持たなかった原型

では、トレンチコートは戦争が生んだのか。
半分は正しい。
ただ、形そのものは戦争より前にできていた。

原型は1895年に特許を取った「タイロッケン(Tielocken)」コートである。
ボタンで留めるのではなく、一本のベルトで身頃を巻き込んで締める。
その構造が、のちのトレンチの骨格になった。
この時点では、まだ「塹壕」という名は付いていない。

タイロッケンが最初に主役を張ったのは、第一次大戦ではなくボーア戦争(1899–1902)だった。

戦地で着られる防水コート。
その実績が、次の、はるかに大きな戦争へと持ち越されていく。

塹壕が名前をつけた

コートに「トレンチ(塹壕)」の名が与えられたのは、タイロッケン特許から13年後のことだ。
第一次世界大戦、泥と水がたまる塹壕のなかで、英国将校がこのコートを着た。
そこから「trench coat=塹壕のコート」という呼び名が定着した。

つまり名前は、設計者ではなく戦場がつけた。

ここが、このコートの奇妙なところである。
デザイナーの命名でも、マーケティングの造語でもない。
着ていた場所の名が、そのまま服の名になった。
服が現場の名を背負っている——トレンチコートという語感が今も帯びる、あの緊張感の出どころはここだ。

コートの名がデザイナーでなく戦場——塹壕そのものからつけられたという逆転の事実を象徴的に理解させる

ディテールを、現場へ返す

トレンチコートの古典的なディテールは、ベルト、エポーレット、ガンフラップ、Dリング、ストームシールドとされる。
装飾のように見えて、どれも塹壕で仕事をしていた部品である。
一つずつ、元いた場所へ返してみる。

ベルト。
タイロッケン以来の心臓部だ。
ボタンを一つずつ留めるより速く、風の吹き込む前を巻き込んで締められる。
急いで身を固める必要がある場所で、この速さは命に関わった。

エポーレット(肩章)。
肩に渡された当て布。
階級章を留め、双眼鏡やガスマスクの負い紐が肩から滑り落ちるのを止めた。
将校の肩の上で、これは役職の表示でもあり、道具の掛け金でもあった。

ガンフラップ。
右胸に重ねられた四角い布。
名の通り、銃床が触れる箇所を保護し、あるいは射撃の反動から肩をかばうためのものと広く語られてきた。
飾りに見える一枚の当て布が、武器を持つ身体を前提にしている。

Dリング。
腰のベルトに下がる金属の輪。
ここに装備を吊るしたことは動かないが、掛けたものが何かについては用途に諸説ある。
要は「腰から装備を吊る」ための金具だった。
今、街で鳴っているあの輪は、もともと戦場の吊り金である。

ストームシールド(ヨーク)。
背や肩に重ねた布。
雨水を身体の外側へ流し、内へ染み込ませない。
ギャバジンという布の防水性を、構造の側からもう一段補強する仕掛けである。

見覚えのある部品ばかりだ。
ただ、その一つずつが銃と地図と負い紐を前提に設計されていたと知ると、街で見慣れたコートの表情が少し変わる。
装飾だと思っていたものは、機能の化石だった。

軍装が、市民のワードローブになった日

戦後、このコートは塹壕を出た。
第一次大戦が終わると、トレンチコートは市民のあいだで広まっていく。

軍装から日常着へ。
この移行が、トレンチコートを20世紀でもっとも普遍的なコートの一つにした。
兵士の装備だったベルトを、通勤する人が締める。
将校の肩章を、映画の主人公がまとう。
機能の記憶を残したまま、服は誰のものでもなくなっていった。

第二次大戦では、バーバリーは再び英国陸軍に軍装を供給する。
トレンチコートを含む装備は、空軍、海軍、士官候補生訓練部隊、女性補助部隊にまで及んだ。
同じ時期、防水着やオーバーコート、スーツといった市民の服も作り続け、空襲下で着るための女性用「サイレンスーツ」まで手がけている。

戦争のための服と、暮らしのための服。
バーバリーは、その両方を同じ工場から出していた。

軍装から解き放たれたコートは、やがてバーバリーという商標そのものの核になる。
ヘリテージ・トレンチは今も、キャッスルフォードの工場で作られている。
塹壕から始まった一枚が、100年を越えて同じ国の同じ場所で縫われ続けている——機能の歴史とは、こういう地味な継続のことだ。

戦後、軍装だったトレンチが市民の日常着へ解き放たれ、20世紀で最も普遍的なコートの一つになった移行を理解させる

布に貼られた、見えざる線

ここまでを「究極の機能から気高い記号が生まれた」という美談として読むと、それは違う。
トレンチコートとチェックの物語には、もう一つの顔がある。
誰が着てよいか、という線引きの話だ。

バーバリーのチェックは、少なくとも1920年代から使われてきた。
ただし最初は、あくまでトレンチコートの裏地としてだった。
ベージュ、黒、白、赤。
人目に触れない内側の柄だったものが、1960年代にパリ店のバイヤーの手でアクセサリーの表へ出て、1990年代にはスカーフやバッグ、衣服の主役へと躍り出る。

裏地が、表舞台に立った。
ここまでは、記号の出世物語に見える。

ところが1990年代から2000年代、この柄は思わぬ意味を背負う。
英国で「チャヴ(chav)」文化と結びつけられたのだ。
もとは服の内側に隠れて誰の目にも触れなかった柄である。
だからこそ表へ引き出された途端、それは「本来なら見えないはずのもの」として過剰に読まれ、誰が身につけているかが一目で問われる階級の記号に変わった。
2002年、女優のダニエル・ウェストブルック(Danielle Westbrook)が全身ノヴァチェックで現れた一件は、英国上流層のバーバリー離れを象徴する出来事として語られる。
サブカルチャーやフーリガンとの連想が広がり、一部の街のパブでは着用が禁じられ、高級百貨店はショーウィンドウからバーバリーを外した。

極地探検家と兵士のための布から生まれた紋章が、階級の記号として読み替えられた。

同じ柄である。
糸も織りも変わっていない。
変わったのは、それが誰の身体を通るか、だった。
ラグジュアリーの記号は、着る人によって意味を反転させる——チェックの一件は、それを冷たく証明してみせた。

バーバリーの対応は、生みの親としては苦い。
自ら生んだチェックを、自ら引っ込めたのだ。
コレクションでの露出を抑え、一部のノヴァチェック製品は生産をやめた。
負の連想から距離を取るためである。

万人に開かれた普遍の服でありたいと願うメゾンが、誰に着てほしいかを選び直した瞬間だった。

大衆化と希少化のあいだで、揺れ続ける

自ら封じた柄を、バーバリーはまた表へ戻す。
しかも一度ではない。

2000年代、CEOのアンジェラ・アーレンツ(Angela Ahrendts)は「どこにでもある」状態を嫌った。
世界規模のライセンス供与を畳み、ブランドを希少で憧れの対象へと引き戻す。
焦点を戻した先は、利益率の高いトレンチコートという核だった。
より高いマージンを稼ぐ中心商品へ資源を集め、ばらまくのをやめて絞る——チャヴの記憶への、経営からの回答である。

ところが2017年、クリストファー・ベイリー(Christopher Bailey)はストリートウェアの潮流に合わせ、9月のコレクションでチェックを再び前面へ押し出す。

封印と復活。
同じメゾンのなかで、逆向きの判断が交互に下されてきた。

これを一貫性のなさと責めるのはたやすい。
ただ、トレンチコートというメゾンの核が背負ってきた矛盾は、そもそもこの振れ幅そのものにある。
万人に開かれた普遍の服でありたい。
同時に、憧れられる希少な存在でありたい。
両立しない二つの願いのあいだを、バーバリーは行ったり来たりしてきた。

そして、揺れながらも必ず帰る場所がある。

起源へ帰ることが、宿命になっている

顔を変えるたびに、バーバリーは自らの起源へ戻る。
これは癖ではなく、宿命に近い。

リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)は2018年、創業者の頭文字を組んだTBモノグラムを掲げた。
デザインしたのはピーター・サヴィル(Peter Saville)。
トーマス・バーバリーという名そのものへ回帰しながら、チェックとは別の記号を立てる試みだった。

ダニエル・リー(Daniel Lee)は2023年の初コレクションで、エクエストリアン・ナイト(Equestrian Knight)のロゴを復活させた。
13〜14世紀の甲冑に着想を得た、ラテン語の「Prorsum(前へ)」を掲げる騎士の紋章である。
若返らせながら、最も古い記号を呼び戻す。

経営陣も同じ言葉を口にする。
CEOのジョナサン・アケロイド(Jonathan Akeroyd)は「英国のルーツへ戻す」と約束した。
もっとも、そのアケロイドも去り、2025年時点ではジョシュ・シュルマン(Josh Schulman)が新CEOに就いている。
トップが替わっても、旗印だけは受け継がれていくかのようだ。

前へ、と掲げる騎士が、いつも来た道を振り返っている。
「Prorsum(前へ)」を旗にしながら、バーバリーの前進はいつも起源への回帰とセットだった。
矛盾のようで、これがこのメゾンの前進の作法なのだろう——近年のキャンペーン「It’s Always Burberry Weather」が、最新の衣服ではなくロンドンの気まぐれな天候そのものを賛歌に変えていることが、その何よりの証だ。

なぜ帰り続けるのか。
答えは、たぶん最初の布にある。
雨の多い国で、雨に負けない一枚を作る。
塹壕の泥のなかで人を守る。
極地とエヴェレストへ同行する。
バーバリーが自分を語り直すたびに戻る場所は、いつもあの機能の現場だ。
「開かれた腕で万人を受け入れる(To Embrace The Elements With Open Arms)」——メゾンが掲げるこの言葉が、階級の線引きに揺れた過去と皮肉なほど噛み合いながら、それでも最後に指し示すのは、天候という誰にも等しく降りかかる現場である。

肩の当て布も、右胸の布も、腰の金属の輪も、もとは誰かが生きのびるために付いていた。
トレンチコートを羽織るとき、私たちはその現場の記憶ごと肩に掛けている。
塹壕がつけた名前は、100年たっても、まだそのことを覚えている。

FAQ

トレンチコートとタイロッケンコートは何が違うのですか

タイロッケンはボタンではなく一本のベルトで身頃を巻き込んで締める構造のコートで、1895年に特許を取りました。
トレンチコートの原型にあたります。
「トレンチコート」の名は、その13年後、第一次世界大戦の塹壕で英国将校がこのタイプのコートを着たことから定着しました。
形が先にあり、名前は戦場が後からつけた、という関係です。

1895年特許のタイロッケンが、ボタンでなく一本のベルトで巻き込む構造でトレンチの骨格を先に完成させていたことを理解させる

エポーレットやガンフラップは、なぜ付いているのですか

もとは軍装の機能部品だからです。
エポーレット(肩章)は階級章を留め、双眼鏡やガスマスクの負い紐が肩から滑るのを防ぎました。
ガンフラップは右胸に重ねた当て布で、武器が触れる箇所を保護する目的だったと広く語られています。
腰のDリングは装備を吊るための金具でした。
現在は装飾として残っていますが、いずれも塹壕での実用から生まれたディテールです。

バーバリーのトレンチコートはどこで作られていますか

バーバリーのヘリテージ・トレンチコートは、英国キャッスルフォード(Castleford)の工場で作られています。
布地であるギャバジンは、ヨークシャーのキースリー(Keighley)にあるバーバリーの工場で織られています。
塹壕から始まった一枚が、今も英国内で織られ、縫われ続けています。

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