【徹底ブランド解説】知られざるフェンディ(Fendi)の歴史|毛皮の重さを、遊びで裏返した女たちのローマ

2026.10.01 Fendi 通史 編集部
フェンディがローマの革と毛皮の工房から始まり、女たちが経営を握り、男のデザイナーは後から招かれたという全体の筋書きを一枚で掴ませる。

フェンディ(Fendi)は、1925年にローマで創業されたイタリアの毛皮・レザーのメゾンだ。
重厚な財産だった毛皮を「Fun Furs(楽しい毛皮)」と呼び替え、遊びとユーモアの素材へと引きずり下ろした。

その出発点は、パリでもミラノでもなくローマの小さな工房にある。
革と毛皮の匂いのする、ハンドバッグと毛皮を扱う一軒のアトリエだ。
経営を担ったのは、父の死後に家業を五つに分けて継いだ五人の姉妹だった。
カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、その上に招かれた芸術監督にすぎない。
この順番を取り違えると、フェンディの核を見失う。

History

第1章 アデーレ期(Adele Fendi)— ローマの一軒の工房から始まった

すべては革と毛皮の匂いから始まる。
1918年、アデーレ・カサグランデ(Adele Casagrande)はローマのヴィア・デル・プレビシート(Via del Plebiscito)に、最初のレザーと毛皮の工房を開いた。
ハンドバッグを売り、毛皮を仕立てる小さなアトリエ。
これがフェンディの原点である。

1925年、アデーレはエドアルド・フェンディ(Edoardo Fendi)とともにメゾンを立ち上げ、店にはフェンディの名が掲げられた。
もっとも、この創業年には別の記録もある。
アデーレがカサグランデ名義で工房を開いたのが先で、「フェンディ」の名は結婚後に採られたとする説だ。
結婚と改名の時期をめぐって、資料は揺れている。

はっきりしているのは、ローマという都市に根ざした職人性が最初にあったこと。
毛皮とレザーの手仕事が、後のすべての土台になる。
本社は今もローマのイタリア文明宮(Palazzo della Civiltà Italiana)に置かれている。

二人には五人の娘が生まれた。
パオラ(Paola)、アンナ(Anna)、フランカ(Franca)、カルラ(Carla)、アルダ(Alda)。
この五人が、次の主役になる。

この工房の匂いが、後の物語すべての起点だ。

— 要点 —
– 1918年、アデーレがローマのヴィア・デル・プレビシートに工房を開いた。
– 1925年にエドアルドとメゾンを創業。
ただし創業年・改名時期には諸説がある。
– 本社は今もローマのイタリア文明宮に置かれている。

1918年ローマのヴィア・デル・プレビシートに開かれた小さなレザーと毛皮の工房が、すべての起点であることを理解させる。

第2章 五姉妹期 — 父の死後、家業を五つに分けて継いだ女たち

フェンディを守ったのは、姉妹の分業だった。
1954年、父エドアルドが亡くなる。
娘たちは1946年から会社に加わっていて、末のパオラは当時わずか15歳で働き始めていた。
父の死をきっかけに、五人が経営を引き継ぐ。

彼女たちのやり方は独特だった。
一人が全体を仕切るのではなく、五つの領域に事業を割った。
アンナがデザインとライセンス、カルラが商業戦略と広報、フランカが仕入れと顧客対応、アルダがアトリエと毛皮工房、パオラが毛皮部門と創作開発。
家族経営でありながら、役割の設計は計算されている。

戦後ローマで、女が家業を回すこと自体がまだ珍しかった。
復興期のイタリアでは女性の労働は家庭の補助と見なされがちで、そのなかで五人は経営の中枢を分け合った。
それは単なるブランドの美談ではなく、女性が事業の意思決定を握った一つの実例として読める。

そして1965年、姉妹は一人の若いデザイナーを外から招く。

— 要点 —
– 1954年の父の死後、五姉妹が経営を継いだ(会社加入は1946年から)。
– 一人が仕切らず、五領域に分業した独特の体制。
– 戦後ローマの女性労働史のなかで、女性が経営中枢を握った実例でもある。

五人の姉妹が一人ではなく五つの領域に分業して家業を継いだ、戦後ローマの女性経営の実例を象徴させる。

第3章 カール・ラガーフェルド期(Karl Lagerfeld)— 54年、史上最長の協業と「Fun Furs」

ラガーフェルドは、毛皮を軽くした。
1965年、彼はフェンディの毛皮と女性向けプレタポルテ(高級既製服)の芸術監督に就く。
就任年には1964年とする記録も一部あるが、主流は1965年だ。

彼が持ち込んだのは、毛皮を格式や富の重々しい象徴として扱う保守的な価値観への反逆だった。
毛皮を軽く、薄く、遊べる素材へと加工し直す。
それを彼は「Fun Furs(楽しい毛皮)」と呼んだ。
厳粛な財産を、面白がれる素材へと引きずり下ろす発想である。

その思想が形になったのが、1966年のダブルFロゴだ。
二つのFは、実はフェンディの頭文字ではない。
「Fun Furs」の頭文字である。
しかも当初、このロゴは表に出なかった。
ラゲッジや毛皮コートの内張り、つまり裏地として使われていた。

裏地が表に出たのは1969年から。
ラガーフェルドが、ズッカ柄(Zucca)とも呼ばれるこのパターンを製品の外側に使うよう提案したのだ。
ロゴを内側から外側へ反転させる。
このブランディング感覚は、後にファッション全体が模倣することになる手法を早々と先取りしていた。

協業は長く続いた。
1977年に初のプレタポルテ、1985年に初の香水、1989年にはニューヨーク五番街にアメリカ初の店舗を開く。
1983年には、姉妹とともにペカン柄(Pekan)を考案する。
濃茶と茶の縞模様で、「ロゴのないロゴ」と呼ばれた。

その協業は、1965年から2019年2月の彼の死まで54年に及んだ。

デザイナーとメゾンの間で、史上最長とされる。
ただし、フェンディをラガーフェルドが作り上げたブランドと読むのは間違いだ。
彼が招かれたとき、フェンディはすでに五姉妹が経営を回すメゾンだった。
彼はその土台の上に立った芸術監督である。

— 要点 —
– 1965年就任。
毛皮を「Fun Furs」として軽く遊べる素材に更新した。
– 1966年にダブルFロゴを考案。
裏地から始まり、1969年に製品外側へ反転。
– 54年に及ぶ史上最長の協業。
ただしメゾンの土台は五姉妹が作っていた。

ラガーフェルドが毛皮を軽く遊べる素材に更新し、ダブルFロゴを裏地から外側へ反転させた発想を理解させる。

第4章 シルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディ期(Silvia Venturini Fendi)— バッグを物語る存在に変えた三代目

工房の奥で育った子どもが、やがてバッグを物語の主役に変える。
アンナの娘シルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディ(Silvia Venturini Fendi)は1992年に入社し、ラガーフェルドの補佐に就く。
入社年には1987年、1994年とする異説もあるが、資料の多くは1992年を採る。
1994年からはアクセサリーとメンズの芸術監督を務めた。

彼女の代表作が、1997年のバゲット(Baguette)バッグだ。
名前の由来は、フランス女性がバゲット(パン)を脇に抱える姿。
腕にぴったり挟んで持てるよう設計されている。

このバッグは、ただ売れたのではない。
海外ドラマ『Sex and the City』で、キャリー(Sarah Jessica Parker)が持ったことで人気が爆発した。
ここでよくある誤解が生まれる。
バゲットは『Sex and the City』のために作られたバッグだ、というものだ。
順序が逆である。
バッグは1997年に生まれ、ドラマでの露出が後から人気を決定づけた。

バゲットが証明したのは、バッグが物語を語る存在になり得ることだった。
「It bag」という概念そのものが、ここから生まれる。
デビュー以来、そのバリエーションは1,000を超える。
350、600、1500と諸説あるが、いずれにせよバッグが単なる道具から、集める対象へと変わった。

シルヴィアの発明は続く。
2008年にピーカブー(Peekaboo)バッグをデザインし、2009年に店頭に並んだ。
開くと内部が覗く二層構造から、子どもの「いないいないばあ」遊びにちなんで名付けられた。
2013年には、いたずらな怪物の顔を並べた「Bag Bugs」のモチーフも手がける。
ラガーフェルドの「Fun Furs」に流れていた遊び心が、ここでも受け継がれている。

経営の地図は、この時代に大きく塗り替わった。
2000年、LVMHグループがフェンディを買収し、2001年に筆頭株主となる。
家族経営の毛皮工房が、グローバルメゾンへと変貌した瞬間だ。

では、なぜLVMHはローマの毛皮メゾンを欲したのか。
鍵はレザーグッズ市場にある。
バゲットが証明した「It bag」経済は、当時ラグジュアリー各社の中でも最も伸びる稼ぎ頭になりつつあった。
ひとつのアイコンバッグが莫大な需要を生み、無数のバリエーションで回り続ける。
その物語装置を、LVMHは手に入れたかったのだと読める。

— 要点 —
– 1992年入社、1994年からアクセサリーとメンズの芸術監督。
– バゲット(1997)、ピーカブー(2008)、Bag Bugs(2013)を生んだ。
– 2000年にLVMHが買収、2001年に筆頭株主。
家族工房がグローバルメゾンへ。

バゲットが「It bag」という概念を生み、バッグが道具から物語る存在・集める対象へ変わったことを象徴させる。

第5章 キム・ジョーンズ期(Kim Jones)— ラガーフェルド亡き後を継いだ4年

キム・ジョーンズ(Kim Jones)は、空白を引き継いだ。
2019年にラガーフェルドが亡くなり、翌2020年、ジョーンズが女性部門とクチュールの芸術監督に就く。
約4年の在任だった。

その仕事は、コラボレーションで記憶される。
SKIMSやポケモンとの協業、ヴェルサーチ(Versace)と組んだとされる「Fendace」、そしてマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)とのマーク・ジェイコブス×フェンディ。
他ブランドや異ジャンルと交わることで、フェンディの遊び心を別の回路で更新した。

このコラボ路線は、話題と売上を確実に生んだ。
その一方で、メゾン自身の輪郭が他者との組み合わせに溶けやすいという批判もつきまとう。
派手な協業が続くほど、フェンディそのものの声が聞き取りにくくなる、という読みだ。
後任にディオール(Dior)出身のマリア・グラツィア・キウリを据えた人事は、その揺り戻しとも見える。
話題づくりよりメゾンの核を語り直せる書き手を経営が求めた、と解釈する余地がある。

なお、シルヴィアの後をジョーンズが継いで今も女性部門を率いている、という理解は正しくない。
彼の最後のショーは2024年9月。
フェンディはすでに次の人物を迎えている。

— 要点 —
– 2020年就任、約4年在任。
最後のショーは2024年9月。
– SKIMS、ポケモン、「Fendace」、Marc Jacobs×Fendiなど協業で記憶される。
– コラボ路線には「メゾンの輪郭が溶ける」という批判もある。

協業路線が話題と売上を生む一方、メゾンの輪郭が他者との組み合わせに溶けるという批判を象徴させる。

第6章 マリア・グラツィア・キウリ期(Maria Grazia Chiuri)— 起点に戻ってきた最高クリエイティブ責任者

新しい頂点に立つのは、かつてこのメゾンで下積みした人物だ。
マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)は、1989年から1999年にかけてフェンディでアクセサリーデザイナーとしてキャリアを始めた。
そのキウリが、最高クリエイティブ責任者(Chief Creative Officer)として復帰する。
就任は10月14日付で発表された。

この肩書きには意味がある。
従来フェンディの創造は分かれていた。
アクセサリーとメンズはシルヴィアが、女性部門とクチュールはジョーンズが担っていた。
最高クリエイティブ責任者という職掌は、複数の領域を一人の頂点の下に束ねる体制を示唆する。
分業から統合へ。
五姉妹が制度化した分業とは逆の方向へ、舵が切られようとしているとも読める。
もっとも、シルヴィアの今後の役割まで含めた全容は、まだ明らかではない。

彼女の最初のコレクションは、2026-27年秋冬。
ただ発表地には矛盾が残る。
2026年2月のミラノとする資料と、パリのオートクチュールとする資料が併存していて、まだ一つに定まらない。

円環が閉じる。
家族の工房から始まり、LVMH傘下のグローバルメゾンとなったフェンディは、かつてアクセサリーデザイナーとして出発した人物を頂点に迎えた。
起点へ回帰しながら、次の物語を紡ごうとしている。

— 要点 —
– 1989〜1999年にフェンディでキャリアを始めた人物が最高クリエイティブ責任者に。
– 就任は10月14日付で発表。
分業から一人への統合を示唆する体制。
– 初コレクションは2026-27年秋冬。
発表地(ミラノ/パリ)には諸説が残る。

かつてアクセサリーデザイナーとして出発した人物が頂点に戻り、分業から統合へ、円環が閉じる運命を象徴させる。

不変の核(ブランドDNA)

フェンディを貫くのは、ローマの職人性と、それを茶化す都会的なユーモアだ。
この二つが同居している点に、このメゾンの人格がある。

具体に戻すと分かりやすい。
職人性はヴィア・デル・プレビシートの工房に、ユーモアは「Fun Furs」とBag Bugsに宿る。
ロゴを内から外へ反転させたブランディング感覚はダブルFの1969年に、バッグをアイコン化する物語作りはバゲットとピーカブーの命名に見て取れる。

そして、これらすべてを女たちが担ってきた。
五姉妹の三女カルラは商業戦略と広報を握った。
ショーの舞台に万里の長城やトレヴィの泉を選ぶ発想の源流には、この「話題を設計する」感覚がある。
デザインの華やかさだけでなく、それをどう世に届けるかを女たちが最初から握っていた。
継承は五姉妹から三代目シルヴィア、四代目デルフィナ(Delfina Delettrez Fendi)へと続いている。

手仕事に厳格でありながら、遊び好き。
家族的でありながら、計算高い。
この矛盾を抱えたまま走り続けてきたのがフェンディだ。

ローマの職人性と都会的ユーモアの同居、そしてそれを三世代の女たちが担ってきたという核を掴ませる。

矛盾・批評:「Fun Furs」は、毛皮産業から逃れられない

では、毛皮を捨てれば済むのか。
話はそれほど単純ではない。

「Fun Furs」は毛皮を軽やかな素材へと解放した。
だがその根幹は、動物由来の毛皮産業に深く依存している。
ここに緊張がある。
メゾンは倫理的に調達された原材料のみを扱い、最高水準の倫理・社会・環境基準を守ると公言する。
それでも、毛皮を主役に据え続ける限り、この主張は問い直され続ける。

遊びで軽くしたはずの毛皮が、実は最も重い問いを抱えている。
「楽しい毛皮」という呼び名は、その重さを覆い隠すのか、それとも別の角度から向き合わせるのか。
ここは、まだ簡単には閉じられない。

誤解

フェンディはフランスのブランドだ — 違う。
1925年にローマで創業されたイタリアのメゾンで、本社は今もローマのイタリア文明宮にある。
バゲットの名がフランス由来なので、混同されやすい。

ラガーフェルドがフェンディを作った — 違う。
彼が招かれたとき、フェンディはすでに五姉妹が経営するメゾンだった。
彼はその土台の上に立った芸術監督だ。

ダブルFはただの頭文字を二つ並べただけ — 違う。
「Fun Furs」を意味し、当初は裏地として使われた。
表に出たのは1969年からである。

アイコンバッグはすべてラガーフェルドがデザインした — 違う。
バゲット、ピーカブー、Bag Bugsはシルヴィアの手による。
宝飾は四代目デルフィナが担う。

神話と、その裏側:起点はどこにあるのか

フェンディの神話は、いつ始まったのか。
この一点が、実は定まっていない。

語り継がれる物語はこうだ。
1918年、アデーレがローマの小さな工房から始め、五姉妹が家業を継ぎ、1965年にラガーフェルドを迎えて54年の協業が生まれた。
毛皮の再発明とともに語られる、美しい筋書きである。

だが起点そのものが揺れる。
1925年創業が主流だが、アデーレが1918年に工房を開いたとする記述もあり、結婚と改名の時期で説が分かれる。
神話の一行目が、複数の版を持っている。
それでも一つだけ動かないものがある。
始まりが、ローマの革と毛皮の匂いのする一軒の工房だったことだ。

こぼれ話

フェンディは映画衣装も多く手がけた。
スコセッシ(Scorsese)の『エイジ・オブ・イノセンス』、フェリーニ(Fellini)の『そして船は行く』、コッポラ(Coppola)の『マリー・アントワネット』、ウェス・アンダーソン(Wes Anderson)の『グランド・ブダペスト・ホテル』。
スクリーンの中でも、毛皮とローマの手仕事が生きている。

ショーの舞台も大胆だった。
2007年には万里の長城でファッションショーを開催し、90周年の2016年にはトレヴィの泉でイベントを開いた。
2015年A/Wにはパリのオートクチュールへ初参加し、ラガーフェルド在籍50周年を祝って「Haute Fourrure」を発表している。
ローマの都市そのものを舞台に使う発想は、この街に根を張ったメゾンならではのものだ。

行き着く上位概念

フェンディが投げかけたのは、職人の技芸と大衆的な楽しさは両立するのか、という問いだった。
答えは、ローマの工房から続く手仕事(Craftsmanship)と、それを茶化す遊び心(Playfulness)の同居にある。
そこに毛皮という伝統(Heritage)が重なり、バゲットが生んだアイコン性(Iconicity)が、バッグを物語る存在へと変えた。

だが、この物語で最も見落とされてきたのは、女性の継承(Female Legacy)だ。
フェンディは、女が創業し、女が分業で守り、女が孫の代まで受け継いだメゾンである。
デザインの中心に立ったのがラガーフェルドという男だったために、彼こそが主役だと語られてきた。
実際には、その男を招き、経営を握り、アイコンバッグを生んだのは女たちだった。
ファッション史が語りたがる「天才デザイナー」の物語の裏で、事業の意思決定を三世代にわたって握り続けた女性たちがいる。
フェンディの本当の系譜は、そこにある。

一つだけ、まだ閉じない問いがある。
遊びで軽くしたはずの毛皮の、その重さだ。
ローマの革と毛皮の匂いから始まったこのメゾンは、「楽しい毛皮」という言葉でその重さを裏返せたのか。
円環はいまキウリの手で次の一周に入ろうとしているが、この問いだけは、まだ答えが出ていない。

FAQ

フェンディはどこの国のブランド?

イタリアのブランドだ。
1925年にアデーレとエドアルド・フェンディによってローマで創業された。
本社は今もローマのイタリア文明宮(Palazzo della Civiltà Italiana)に置かれている。
バゲットの名前がフランス由来のため誤解されやすいが、フランスのメゾンではない。

ダブルF(ズッカ柄)のロゴの意味は?

「Fun Furs(楽しい毛皮)」の頭文字だ。
1966年にカール・ラガーフェルドがデザインした。
当初はラゲッジや毛皮コートの内張りに使われ、1969年から製品の外側に用いられるようになった。
フェンディの頭文字を並べただけではない。

バゲットバッグは『Sex and the City』のために作られた?

いいえ。
バゲットは1997年にシルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディが手がけたとされ、フランス女性がバゲット(パン)を脇に抱える姿から名付けられた。
ドラマでキャリーが持ったのはその後で、それが人気を決定づけた要因だ。

今のフェンディのデザイナーは誰?

マリア・グラツィア・キウリが最高クリエイティブ責任者を務める。
彼女はかつて1989年から1999年までフェンディでアクセサリーデザイナーとして働いていた人物だ。
前任のキム・ジョーンズは2020年から約4年在任し、最後のショーは2024年9月だった。

フェンディはLVMH傘下なの?

そうだ。
2000年にLVMHグループがフェンディを買収し、2001年に筆頭株主となった。
家族経営の毛皮工房として始まったフェンディは、これを機にグローバルメゾンへと変わった。
なお1999年にプラダ(Prada)が関与した合弁もあったとされるが、その正確な関係は資料上まだ確定していない。

カール・ラガーフェルドとフェンディの関係は?

ラガーフェルドは1965年に毛皮と女性向けプレタポルテの芸術監督に就任し、2019年2月の死まで54年間フェンディに関わった。
デザイナーとメゾンの間で史上最長の協業とされる。
ただし彼がフェンディを作ったのではなく、五姉妹が経営するメゾンに後から招かれた芸術監督である点は押さえておきたい。

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