【Calvin Klein|Costa & Zucchelli期】創業者退場後の13年——二人体制で守られた「身体のミニマリズム」

2026.10.03 Calvin Klein 編集部
創業者の美学と資本の論理が引き裂かれる構図を、名前の所有権が離れる瞬間として理解させる

創業者が去ったあとのブランドは、たいてい名前だけが残る。
だが Calvin Klein(カルバン・クライン)は違った。
2003年に創業デザイナー本人がチーフデザイナーの座を降り、メゾンが PVH 傘下に入ったあと、女性服を Francisco Costa(フランシスコ・コスタ)、男性服を Italo Zucchelli(イタロ・ズッケリ)が分け持つ「二人体制」で、2016年4月まで13年を走り切った。
この記事が追うのは、その13年である。
一人の天才が去った後、分業でブランドのDNAを延命させる——それは可能なのか。
そして、延命に成功したように見えたこの体制が、なぜ二人同時に退場し、Raf Simons(ラフ・シモンズ)単独の体制へと切り替わったのか。

答えを先に言えば、二人は確かに守った。
だが「守る」ことの成功そのものが、次の退場の理由になった。

創業者が降りた年、ブランドは誰のものになったのか

2003年は、Calvin Klein にとって二重の意味で区切りの年だった。

Calvin Richard Klein は1942年、ニューヨークのブロンクスに生まれた。
1968年、幼なじみの Barry K. Schwartz とともにメゾンを立ち上げる。
クリーンなライン、研ぎ澄まされたシルエット、モノクロームのパレット——そして何より、下着とデニムという「最も身体に近い衣服」を文化的なアイコンへと変えた人物である。
その創業者が、2003年にチーフデザイナーの職を退いた。

同じ年、Calvin Klein Inc. は PVH Corp. に買収された。
金額は総額7億ドルとされる。
もっとも、ここには食い違いがある。
2002年に約4億3000万ドルで買収されたとする記録もあり、年も額も一致しない。
おそらく契約の構造や計上の時点が資料によって異なるのだろう。
確かなのは、2003年前後にメゾンの所有権が創業者たちの手を離れ、巨大なアパレル資本の中へ移ったという事実だ。

名前を残した人間が、名前の持ち主でなくなる。
この瞬間から、Calvin Klein は「創業者の美学」と「資本の論理」のあいだで引き裂かれ続ける宿命を背負う。

その引き裂かれを、まず現場で引き受けたのが二人のデザイナーだった。

なぜ一人ではなく、二人だったのか

天才の後任に、メゾンは「一人の後継者」を立てなかった。
女性服と男性服を別々の人間に割り振った。
この選択自体が、創業者退場後の戦略を語っている。

Calvin Klein の哲学は、本人の言葉を借りれば「すべては裁断から始まる」。
身体の線を際立たせ、シルエットを研ぎ澄ます——装飾ではなく、身体そのものを主役にする思想だ。
この思想は、カリスマの気まぐれではなく、むしろ再現可能な「型」に近い。
クリーンなライン、モノクローム、削ぎ落とし。
言語化できる原則だからこそ、一人の天才がいなくても、複数の手で守りうる。

だから分業は、妥協ではなく合理だった。
少なくとも、そう見える。

Francisco Costa が女性服を、Italo Zucchelli が男性服を担った。
二人はそれぞれの領域で、創業者が残したモノクロームの純度を保ち続けた。
過剰な装飾に走らず、季節ごとに意匠を一新するのでもなく、身体のラインという一点に忠実であり続ける。
これは「刷新する」仕事ではない。
「守る」仕事だ。

そしてここに、二人体制の本質がある。
彼らの役割は、Calvin Klein というブランドの文法を、創業者不在の13年間、崩さずに運用することだった。

守りの仕事は目立たない。
だが、目立たないことこそが成功の証でもあった。

一人の天才の後任を分業で継いだこと、そして『すべては裁断から始まる』という再現可能な型の思想を理解させる

「守る」ことに成功した体制が、なぜ退場したのか

2016年4月、Francisco Costa と Italo Zucchelli は、そろって Calvin Klein を去った。
13年を支えた二人が、ほぼ同時に。

この同時退場を、個々の事情の偶然と見ることもできる。
ただ、続いて起きたことを並べると、別の絵が浮かぶ。
同年8月2日、Raf Simons が Chief Creative Officer に就任した。
女性服と男性服を分けていた二人の体制が消え、一人の人間が創造の全権を握る体制へ切り替わったのだ。

分業から単独へ。
この転換が意味するものは一つしかない。

二人体制が守ってきたのは、創業者の美学だった。
Raf Simons に求められたのは、守ることではない。
刷新することだ。
実際、彼は就任後まもなくハイエンドのランウェイ部門「Calvin Klein Collection」を「CALVIN KLEIN 205W39NYC」へと改名している。
これは Calvin Klein 本社の住所にちなんだ名で、ブランドの看板そのものに手を入れる行為だった。
創業者の名を、番地に置き換える。
守る者には、できない判断である。

Raf Simons の2017年秋冬が、Calvin Klein での最初のコレクションになった。
同年、彼は CFDA アワードの女性服・男性服両部門で年間最優秀デザイナーを受賞する。
批評的な評価は、分業時代には得られなかった種類の熱を帯びた。

つまり、こういうことだ。
二人体制の13年が「守る」仕事だったからこそ、メゾンは次に「刷新する」人間を欲した。
Costa と Zucchelli の退場は失敗の結果ではない。
彼らが役割を全うしきったことの、裏返しなのだ。

守りが完璧であればあるほど、守るだけでは足りないという欲求が強くなる。

守る仕事と刷新の要求が対立し、成功ゆえに退場するという逆説を理解させる

刷新は続かなかった、そしてメゾンは語る服を失った

ところが、刷新の側もまた、長くは続かなかった。

Raf Simons は2018年12月、契約満了の8か月前に Calvin Klein を去る。
鳴り物入りで迎えられ、批評的な栄冠も得た人物が、任期を待たずに離脱した。
翌2019年、ハイエンドのランウェイ部門 Calvin Klein Collection は廃止される。
同年1月には、マディソン・アベニュー654番地のニューヨーク旗艦店も閉じた。

守る体制も、刷新する体制も、どちらも終わった。
残ったのは何か。

下着とデニムのキャンペーンである。
2024年春、Jeremy Allen White(ジェレミー・アレン・ホワイト)を起用したキャンペーンが公開された。
撮影は Mert Alas、楽曲は Lesley Gore の『You Don’t Own Me』。
公開から48時間で1,270万ドルのメディア価値を生み、初週の下着売上は前年比30%増。
「身体を見せる広告」は、創業者も二人体制も Raf Simons もいなくなったメゾンで、なお強烈に機能していた。

ここに、Calvin Klein の矛盾がむき出しになる。
『誰にも所有されない』と歌う曲を掲げながら、広告は身体を消費財として差し出し、欲望を管理する。
ミニマリズムと身体性という大衆的で強力なイメージは、キャンペーンの中で生き延びた。
一方、創造性を示すべきランウェイは消えた。
熱量はイメージの側にあり、創造の軸は空いたままだった。

二人体制が守っていたのは、実は「語る服」としての正統性だったのかもしれない。
それが失われて初めて、守られていたものの輪郭が見える。

ランウェイの創造性が消え、下着とデニムのキャンペーンだけが残った矛盾を理解させる

守られていたものが、六年後に呼び戻される

空白は、六年続いた。
そして2025年、メゾンはランウェイへ戻ろうとしている。

2024年5月30日、Veronica Leoni(ヴェロニカ・レオーニ)が Calvin Klein Inc. の Creative Director of Collection に指名された。
2023年の LVMH プライズ・ファイナリストであり、自身のレーベル QUIRA の創業者。
Jil Sander、Céline、Moncler、The Row で経験を積んだデザイナーだ。
Calvin Klein Collection として初の女性クリエイティブ・ディレクターでもある。
彼女のデビューは2025年秋。
男性服・女性服、下着、アクセサリーまでを一人で手がける。

そして2025年2月、Calvin Klein はニューヨーク・ファッションウィークへ復帰した。
ファッションウィークからの、6年ぶりの帰還である。

一人が全領域を担うこの体制は、Raf Simons 期の「単独」に近い。
だが目的は違う。
かつての単独体制が「刷新」のためだったとすれば、Leoni の起用は、失われた「語る服」としての正統性を取り戻すためのものだ。
キャンペーンが生むイメージの熱と、ランウェイが示すべき創造性——そのあいだを往復してきたメゾンが、もう一度、後者に軸を置こうとしている。

この復帰を資本の側から見れば、絵はさらに明快になる。
PVH は2022年に「PVH+」計画を立ち上げ、2025年までに全世界125億ドルの売上を掲げた。
Calvin Klein のライセンス含む小売売上は、2022年時点で93億ドルに達している。
パリのシャンゼリゼ44番地、そして原宿への大型旗艦店出店——アメリカ発のクールな身体の美学は、グローバルな消費装置として世界の都市へ広がり続けている。
2025年8月29日に開く東京・原宿の旗艦店は3フロア約1,315平方メートル、その3階で2025年秋のコレクションが披露される。

巨大な消費装置が稼働する一方で、メゾンはランウェイという「語りの場」を呼び戻す。
この二つは矛盾しているようで、同じ一つの欲求から出ている。
思想の純度を、もう一度、資本の中心に据え直したいという欲求だ。

守る者たちが残したもの

話を、2003年の区切りに戻す。

創業者が降り、メゾンが売られ、名前の持ち主が名前を失った年。
そこから始まった13年を、Costa と Zucchelli は「守る」ことに費やした。
彼らは刷新しなかったし、批評の熱狂も浴びなかった。
だが、創業者が削ぎ落としてきたクリーンなライン、モノクロームのパレット、身体の線という文法を、カリスマ不在のまま運用し続けた。

その後にやって来た刷新の試みは、二年で頓挫した。
ランウェイは消え、旗艦店は閉じ、残ったのは下着を着た身体のキャンペーンだけだった。
そして六年後、メゾンは再びランウェイへ戻り、失ったものを取り戻そうとしている。

戻ろうとしている先にあるのは、Costa と Zucchelli が13年かけて守り抜いた、あの文法そのものだ。
守る仕事は目立たない。
だが、守られていたものが失われて初めて、その価値は測られる。
二人体制が延命させた「身体のミニマリズム」は、刷新にも資本にも一度は押し流されながら、いまなお Calvin Klein が帰る場所であり続けている。

創業者が去ったあとのブランドに、名前だけが残るのではなかった。
残ったのは、二人が守った型のほうだった。

FAQ

Calvin Klein 本人がデザインを退いたのはいつですか

2003年です。
この年、創業デザイナーの Calvin Klein がチーフデザイナーの座を退き、同時期に Calvin Klein Inc. が PVH Corp. の傘下に入りました。
買収額は総額7億ドルとされますが、2002年に約4億3000万ドルとする記録もあり、資料によって年も額も食い違っています。

Francisco Costa と Italo Zucchelli はどう役割を分けていましたか

Francisco Costa が女性服のコレクションを、Italo Zucchelli が男性服を担当しました。
創業者退場後の13年間、この二人体制でブランドを運用し、両名とも2016年4月に同時に退任しています。
その後、同年8月に Raf Simons が単独の Chief Creative Officer に就任しました。

Calvin Klein はいまランウェイに戻っているのですか

戻りつつあります。
2019年に Calvin Klein Collection が廃止されて以降、ランウェイから6年間離れていましたが、2024年に Veronica Leoni が Creative Director of Collection に指名され、2025年2月にニューヨーク・ファッションウィークへ復帰しました。
Leoni のデビューコレクションは2025年秋で、彼女は Collection 初の女性クリエイティブ・ディレクターです。

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