【Louis Vuitton|拡張と資本期】1987年、旅の道具はLVMHの中核になった──店舗数と評価額で語るもう一つの歴史

トランクは動くためにある。
運ばれ、積まれ、船に載せられ、大陸を越える。
その道具から出発したメゾンが、いまや世界で最も高く評価されるラグジュアリーブランドとして、動かない資本の象徴になっている。
これが本稿の見立てだ。
分水嶺は1987年、モエ・ヘネシーとの合併でLVMHが生まれた年にある。
旅を核に掲げる看板と、資本の重心。
この二つが同居した瞬間から、Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)は別の何かに変質しはじめた。
1978年、旅の道具はアジアで店になった
拡張の勾配は、パリでもニューヨークでもなく、アジアで急になった。
まずここを押さえておきたい。
1978年、Louis Vuittonは東京と大阪に初の直営店を開く。
翌1979年にはシンガポール、1983年に台北、1984年にソウル。
1885年、創業者の息子ジョルジュ・ヴィトン(Georges Vuitton)がロンドンのオックスフォード・ストリートに海外初の支店を出してから、ほぼ一世紀。
その延長線の終点が、極東の都市群だった。
もっとも、この流れをアジアの唐突な発見と読むのは正しくない。
記録に残る最初の日本人顧客は、1871年にパリで一式の荷物を注文した大山巌である。
市松模様に着想を得たとされるダミエ、後期ヴィクトリア朝のジャポニズムと家紋を借りたモノグラム——視覚言語の水源そのものが、はじめから日本にあった。
借りていた土地に、店を構えて戻った。
そう言い換えることもできる。
このアジア展開が何を運んだのかは、少し後で戻る。
先に、勾配が最も急になった年を見ておきたい。
1987年、合併が重心を移した
1987年、Louis Vuittonはシャンパンとコニャックのメゾン、モエ・ヘネシー(Moët Hennessy)と合併し、LVMHを設立した。
旅の道具と、酒。
共通するのは製品ではなく、束ねる論理のほうだった。
この合併が分水嶺である。
理由は、それ以前とそれ以後で、ブランドを測る物差しが変わったからだ。
創業以来の物差しは、機能と手仕事だった。
1858年、Louis Vuittonは平らな蓋のトランクを世に出す。
当時のトランクは雨水を流すために丸い蓋を持つのが常識で、だから積み重ねられなかった。
平らにすれば重ねられ、船倉に効率よく収まる。
防水加工したワックスキャンバスは、重い革より軽く、水を通さない。
移動という近代の合理に、道具のかたちで応えた。
パリ郊外アニエールの工房——当初20人、いまも約170人の職人が働く——が、その手仕事の場所である。
ところがLVMHの物差しは、店舗数と評価額だった。
1989年までに世界130店舗。
Bernard Arnault(ベルナール・アルノー)が会長・CEO・筆頭株主を務め、約60の子会社を通じて75の高級ブランドを束ねる構造ができあがる。
トランクの気密性ではなく、ポートフォリオの利回りが問われる世界だ。
尺度が変わった。
数字だけを並べれば、変質の輪郭が見える。
2006年から2012年まで6年連続で「世界で最も価値あるラグジュアリーブランド」。
2012年の評価額259億ドル、2013年には284億ドルに達し、収益は94億ドル。
現在は460以上の店舗と3万4千人超の従業員。
フランスに21、ヨーロッパとアメリカに17の工房。
アニエールの170人という数字が、この規模のなかでどう響くかは、読む人しだいだろう。

「旅」を掲げながら、動かない記号になる
ここで最初の違和感に戻る。
ブランドコンセプトは、いまも「旅(voyage)」である。
だが、その象徴として消費されているものは、旅をしない。
モノグラムを考えてみたい。
あの図像は、そもそも旅の美学から生まれたのではなかった。
1896年、ジョルジュ・ヴィトンが模倣品対策として発表した記号である。
1876年にトリアノン・デザインをストライプに変え、1888年にはダミエに「登録商標」の文字を刻み、それでも模倣は止まず、ついにLVの組み文字と花を並べた。
偽物との終わりない闘争が、あの図像を産んだ。
その記号が、皮肉な運命をたどる。
模倣を封じるために作られたモノグラムは、世界で最も模倣される図像になった。
そして本来の意匠は、都市で持ち歩かれる地位のしるしとして流通する。
トランクは船倉から動かず、ハンドバッグは通りを歩くが、記号としてのモノグラムは、もう物理的な移動とは関係のないところで価値を生んでいる。
1930年代に量産が許された特注バッグ——のちの「アルマ」——を、Coco Chanel(ココ・シャネル)が1925年に依頼していた事実も、この文脈で読める。
旅の道具として誂えられたものが、名前を得て、記号として反復されていく。
Speedy、Keepall、Noé。
旅装のために設計された形が、都市のワードローブに定着した。
「旅の道具が動かない記号になったのは堕落だ」と読まれると、それは違う。
堕落ではなく、翻訳である。
移動という近代の欲望を、いかにして所有できる工芸品に変えるか——創業者が平らな蓋で解いた問いは、記号の時代には別のかたちで反復された。
動かずして人を運ぶ記号。
それを可能にしたのが、資本の規模だった。
では、アジアの店は何を運んだのか。
ここで先送りにした答えを返す。
運んだのは荷物ではなく、この記号だ。
1978年以降のアジア直営網は、モノグラムという記号を都市から都市へ配送するインフラだった。
旅する身体のためのトランクは、旅する記号のための店舗網に置き換わった。

資本のなかで、旅を演じ続ける
ではLVMHの中核になった以上、旅はもう看板だけの言葉なのか。
そうしたかったはずだ。
だが、事はそう単純に進まなかった。
Louis Vuittonカップがある。
アメリカズカップと提携して結成した、ヨットレースの予備大会だ。
帆走という最も古い移動の一つに、企業の名を刻んだ。
資本の象徴になったメゾンが、なお海の上に旅の物語を接ぎ木しようとする。
矛盾というより、矛盾を演じ続ける意志と見たほうがいい。
服の領域では、外部の才能を招き入れることで自己を更新してきた。
1997年、Marc Jacobs(マーク・ジェイコブス)がアーティスティックディレクターに就き、同年3月に初のプレタポルテを発表する。
革製品のメーカーだったメゾンが、時代を定義する現象に変わる契機だった。
彼は「コラボレーションのゴッドファーザー」と呼ばれる。
Stephen Sprouseのグラフィティ、Takashi Murakamiのマルチカラー・モノグラム、Richard Prince、Yayoi Kusama——ラグジュアリーと美術の境界を、モノグラムの上で溶かした。
その後の系譜も、外部を吸収する運動として一貫している。
- Nicolas Ghesquière(ニコラ・ジェスキエール)は2013年に就任し、豪奢を削いだ服でメゾンを再定義した。小型トランクのPetite Malleは、旅の原型を現代の「イット」バッグに翻訳している。
- Virgil Abloh(ヴァージル・アブロー)は2018年、このフランスのメゾンで初のガーナ系アメリカ人アーティスティックディレクターとなった。ストリートとラグジュアリーを融合させ、ラグジュアリーにおける人種と出自の問いを可視化した。
- Pharrell Williams(ファレル・ウィリアムス)は2023年に就任し、音楽と自身の出自を服の物語に編み込んだ。ダミエとMinecraft風カモを掛けた「ダモフラージュ」は、記号のさらなる翻案だ。
この列挙を、才能の名鑑として読み流してほしくない。
一つずつ、旅の思想に着地する。
Ghesquièreのトランク型バッグは、動く道具の記憶を都市の服に持ち込んだ。
Ablohのショーで学生たちが着た『オズの魔法使い』の「Not Home」Tシャツは、家を出て歩く者の物語——13歳(一説に14歳)で家を出て、約470キロを2年かけてパリまで歩いた創業者の起源神話——を、遠く反響させる。
Pharrellがバージニアとパリのあいだに引いた線は、大陸を越える移動そのものだ。
Ablohの死後、Nike Air Force 1のオークションで得た2530万ドルが、黒人・アフリカ系のファッション学生への奨学金基金に寄付された。
旅を続けるとは、外部の才能に回路を開き続けることでもある。
そう読めば、資本の規模は旅の否定ではなく、旅を反復するための装置だったことになる。

結び──歩いてきた者が、世界を設計する側に回る
平らな蓋のトランクは、船倉のなかで整然と積み重なった。
それは移動の合理に応える、静かな発明だった。
いまLVMHの中核として284億ドルと評価されるこのメゾンを、あの積み重なるトランクの延長として見ることは、まだできるだろうか。
できる、と思う。
ただし翻訳を一段はさんで。
動かないはずの記号が人を運び、動かないはずの資本が世界に店舗を配り、動かないはずの評価額が才能を招き入れる。
旅の道具は、旅そのものを設計する側に回った。
歩いてパリに着いた少年が皇后のトランク職人になったように——歩いてきた者が、世界の旅を設計する側に立つ。
その神話だけは、資本の重心が移っても、まだ動いていない。
FAQ
1987年のLVMH設立は、Louis Vuittonにとって何を変えたのか
ブランドを測る物差しが変わった。
それまでの機能と手仕事に加え、店舗数と評価額という資本の尺度が前面に出た。
1989年に130店舗、その後460以上へ。
旅の道具を作るメゾンが、75ブランドを束ねるコングロマリットの中核になり、最も高い評価額を持つ資産となった。
モノグラムは旅の美学から生まれたのか
いいえ。
1896年にジョルジュ・ヴィトンが模倣品対策として発表した記号である。
1876年のストライプ、1888年のダミエと続く、偽物との闘争の産物だ。
皮肉にも、模倣を封じるための図像が、世界で最も模倣される図像になった。
「旅」を掲げながら記号や資本の象徴になったのは矛盾ではないのか
矛盾であり、同時に一貫でもある。
創業者が平らな蓋で解いた「移動をいかに所有可能な工芸品へ翻訳するか」という問いは、記号と資本の時代に別のかたちで反復された。
Louis Vuittonカップや外部の才能の招聘は、その矛盾を演じ続ける意志と読める。



