グッチの緑赤緑のあの線、実は「馬のベルト」がモデルだった件

2026.09.05 Gucci 編集部
緑赤緑の三本線が飾りではなく馬具ガースからの引用であることを、帯とバッグの重ね合わせで理解させる

バッグの真ん中を横切る、緑・赤・緑の三本線。
誰もが一度は見ている。
あの配色の出どころは、馬の腹に巻くベルト——ガース(girth)である。
つまりグッチ(Gucci)のいちばん有名な模様は、乗馬用品店だった頃の名残なのだ。

なぜベルトの色がそのままバッグに移ったのか。
答えはグッチという店が、そもそも何を売る店として始まったかにある。

あの線は「デコレーション」ではなく「引用」だった

先に言い切っておくと、緑赤緑のウェブストライプは、飾りとして考案された模様ではない。
馬具という実物からの引用である。

記録では、この配色は伝統的なホースガース——馬の胴に鞍を固定するために巻く帯——にヒントを得て、遅くとも1951年までに登場したとされる。
年については1950年とする資料もあって、そこは一年ほど揺れる。
ただ、出どころが馬具だという一点は動かない。

ガースそのものを見たことがある人は、そう多くないだろう。
乗馬をやらなければ、ふつう馬の腹まで意識は届かない。
にもかかわらず、その帯の縞模様は、乗馬をしたことのない何百万人もの目に焼きついている。
バッグの側面を通じて。

奇妙な話だ。
使う場面をまったく知らない道具の色を、私たちはグッチの色として覚えている。

なぜ馬具なのか——店の正体をたどる

答えは単純で、グッチはもともと馬にまつわる品を売る店だったからだ。

創業は1921年、フィレンツェ。
グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)が開いた最初のブティックは、ヴィア・デッラ・ヴィーニャ・ヌォーヴァにあった。
この店が最初に扱ったのは、旅行鞄と乗馬用品である。
革の家業として始まった、小さな同族の店だった。

グッチオの父ガブリエッロ(Gabriello Gucci)はサン・ミニアートの革職人だった。
皮革はいわば血筋の言語で、家業として自然に引き継がれたものだ。

もう一つ、この人物には重要な前歴がある。
フィレンツェで店を構える前、グッチオはロンドンのサヴォイ・ホテルで働いていた。
ベルボーイ、あるいは荷運びとして、富裕な滞在客の豪奢な旅行鞄を毎日のように運んでいた。
ここで彼が上流の旅荷に魅せられた、という逸話は広く語られている。

つまりグッチという店には、最初から二つの世界が同居していた。

  • 上流の旅——サヴォイで見た、旅行鞄の贅
  • 馬の文化——フィレンツェで扱った、乗馬用品の実用

前者は憧れであり、後者は手仕事だった。
旅行鞄はホテルで見上げたもので、馬具は工房で作ったもの。
憧れと家業、その両方を抱えて店は始まった。

そして緑赤緑の線は、明らかに後者の側から来ている。

1921年フィレンツェの革工房が旅行鞄と乗馬用品を扱う同族の店だった出自を理解させる

馬具が「記号」に変わる瞬間

ここで見たいのは、実用品がいかにして意匠に変わったか、である。
ガースはもともと、馬に鞍を固定するための帯にすぎない。
丈夫であればよく、色に意味はなかったはずだ。

ところがグッチは、その縞をベルトから引き剥がし、バッグの中央に移した。
用途を捨て、色と配置だけを残したわけだ。
馬の腹という文脈を失ったとき、三本の線は「機能」から「署名」へと変わった。

こう書くと、いかにも計算された戦略の話に聞こえる。
ただ、そう単純に言い切れるかは分からない。

というのも、この時期のグッチは、制約のなかで代替を探す癖を身につけていた。
1930年代、国際連盟の対イタリア禁輸によって革が不足すると、グッチはキャンバスに活路を求め、あのGGを組み合わせたダイヤ柄のディアマンテ生地を生んだ。
第二次大戦末期の物資難のなかでは、日本の竹をハンドルに用いたバンブーバッグ(1947年)を作っている。

欠乏を、そのつど意匠に変えてきたメゾンなのだ。

その手つきで見れば、馬具の縞をバッグに移す発想も、まったく違う畑の話ではない。
手元にあるもの、家業のなかにあるものを、意味のある記号へと翻訳する——同じ現実主義の延長線上にある。
竹もキャンバスも馬具も、出発点は「間に合わせ」に近い。
それが様式になった。

制約は創造の敵なのか、それとも様式を生む母胎なのか。
少なくともグッチの初期において、答えは後者に傾いている。

実用のガースが用途を失い機能から署名へ転じる変換を、竹やキャンバスの制約と並べて理解させる

だから、あの線は「ロゴより古い」

順序を確かめておきたい。
緑赤緑のウェブと、あの有名なGGのロゴ、どちらが先か。

ウェブは遅くとも1951年。
一方、二つのGを組み合わせた連結ロゴは、グッチオの三男ロドルフォ(Rodolfo)らの兄にあたるアルド・グッチ(Aldo Gucci)が、創業者のイニシャルを紋章化するかたちで1960年代にデザインしたとされる(1933年説もあり、ここは資料が割れる)。

どちらの説を取っても、馬具由来のウェブのほうが、イニシャルの記号化より先か、少なくとも同時代に近い。
つまりグッチを象徴する二つの模様のうち、より古い層にあるのは、創業者の名前ではなく、馬の帯のほうなのだ。

ロゴはメゾンの「名前」を掲げる。
ウェブはメゾンの「出自」を掲げる。

グッチオ・グッチは1953年に世を去り、その二週間ほど前にニューヨークへ初の海外店を開いた——と多くの資料は伝える(死後の開店とする説もある)。
創業者はブランドが世界へ出ていく入口までを見届けて退場した。
以後、店は同族の争いを経て一族の手を離れ、1999年以降はフランスのKeringの傘下に入り、トム・フォード(Tom Ford)の官能からアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)の耽美まで、外部の才能によって周期的に別の顔へ描き替えられていく。

作り手も、持ち主も、時代ごとに入れ替わった。
それでも、緑赤緑の三本線は残っている。

馬具由来のウェブが創業者イニシャルのGGロゴより古い層にあることを、地層の比喩で理解させる

結び——飾りだと思っていた線の、本当の顔

最初の問いに戻ろう。
使う場面をまったく知らない道具の色を、なぜ私たちはグッチの色として覚えているのか。

それは、あの三本線が飾りではなく、店の生まれの記録だからだ。
旅行鞄と乗馬用品を売る、フィレンツェの小さな革の家業。
その馬具のほうの記憶が、色になってバッグに残った。

次にあの緑赤緑を見かけたら、少しだけ馬の腹を思い浮かべてほしい。
飾りに見えていた線が、急に古い店の匂いを帯びてくる。
ブランドのルーツは、案外こういう地味な場所に、いちばん頑固に残っている。

FAQ

緑赤緑のウェブストライプはいつ登場したのですか?

遅くとも1951年までに登場したとされます。
資料によっては1950年とするものもあり、正確な年には一年ほどの幅があります。
ただ、伝統的なホースガース(馬の胴に巻く帯)に着想を得たという由来については一致しています。

グッチはなぜ馬具由来の模様を持っているのですか?

1921年にフィレンツェで創業した当初、グッチは旅行鞄と乗馬用品を扱う小さな革製品店だったからです。
乗馬文化に根ざした店であり、馬具の記号がそのまま模様として残りました。

緑赤緑のウェブとGGロゴ、古いのはどちらですか?

ウェブのほうが古い層にあります。
ウェブは遅くとも1951年に登場し、二つのGを組み合わせたロゴはアルド・グッチが1960年代にデザインしたとされます(1933年説もあります)。
どちらの説でも、馬具由来のウェブが創業者イニシャルの記号化に先行するか、ほぼ同時代です。

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