【ヴァレンティノ|アレッサンドロ・ミケーレ期】創業者の赤を受け継がず、2024年に始まった第三の時代

ヴァレンティノ(Valentino)に、創業者の赤を受け継がない人物が初めて立った。
2024年4月2日、グッチ(Gucci)で古物趣味と過剰な装飾を武器にした男、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が就任する。
これはヴァレンティノ・レッド(Valentino Red)という一色で名を成したメゾンが、その色を知らない書き手に未来を預けた、という話だ。
賭けの中身は、まだ誰も見ていない。
まず、引き継ぎの異様さから確認したい。
前任のピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)は、ここに25年いた。
25年の退任は、継承ではなく断絶として起きた
ピッチョーリの離脱は、穏やかな代替わりではなかった。
2024年3月に退き、同年6月、メゾンはメンズとオートクチュールのショーを相次いでキャンセルしている。
引き継ぎの空白を、カレンダーがそのまま露呈させた格好だ。
四半世紀という時間を考えれば、これは尋常ではない。
ピッチョーリは2008年にマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)との共同クリエイティブ・ディレクターとして表に出て、2016年からは単独で舵を握った。
創業者ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)の引退後、アレッサンドラ・ファッチネッティ(Alessandra Facchinetti)の短い在任を挟み、このメゾンを最も長く定義したのは彼だった。
その最後のコレクションが、2024年秋、全身を黒に沈めたものだったことには触れておきたい。
赤のメゾンの、黒い別れ。
意図したのかどうかは分からない。
ただ、色で名を成した場所を去る男が、色を引いて去ったという事実は残る。
問題は「赤を継げるか」ではなく「赤を知らない者を選んだこと」
ここで多くの記事が立てる問い——「ミケーレはヴァレンティノ・レッドを継げるのか」——は、おそらく的を外している。
メゾンは継げる人物を探さなかった。
むしろ、最も遠い場所から人を連れてきた。
ヴァレンティノ・レッドとは何か。
マゼンタ100%、イエロー100%、ブラック10%。
配合まで定義された、Pantoneに固有の番号を持つ色だ。
1959年、最初の春夏コレクションの「ラ・フィエスタ(La Fiesta)」というドレスとともに生まれ、やがて一企業の色が国際的な色規格に登録されるに至った。
色が装飾を超えて、制度になった瞬間である。
一色に魂を宿らせることは可能か。
ヴァレンティノの歴史は、可能だと答えてきた。
ところが、だ。
このメゾンの人気を決定づけたのは赤ではない。
1967年前後に発表された、白・ベージュ・アイボリーだけの無彩色コレクション——いわゆる「ホワイト・コレクション」だった。
色で名を成したメゾンが、色の不在で評価された。
この矛盾を抱えていること自体が、ヴァレンティノの核心だと私は考えている。
つまり、このメゾンはもともと「赤に忠実であること」を信条にしていない。
赤を打ち立て、次の瞬間に赤を消してみせる。
その両義性こそが人格だった。
だとすれば、ミケーレの起用は裏切りではないのかもしれない。

グッチで彼がやったことを、ローマは必要としている
ミケーレをひと言で表すなら、過剰の作家だ。
グッチで彼は、古い刺繍、動物、花、宝飾的な細部を無節操に積み上げ、ラグジュアリーの文法を「引き算の洗練」から「足し算の陶酔」へと一度書き換えた。
ミニマリズムに疲れた2010年代が、彼の装飾過多を熱狂的に迎えた。
その装飾性は、ヴァレンティノの土地と相性が悪くない。
ローマだ。
ヴァレンティノのクリエイティブは今もローマのパラッツォ・ガブリエッリ=ミニャネッリ(Palazzo Gabrielli-Mignanelli)に置かれ、財団もそこにある。
ガラヴァーニが最初のアトリエを開いたのも、1959年のローマ、ヴィア・コンドッティだった。
このメゾンは一貫して都市と建築に根を張ってきた。
その証拠がロックスタッド(Rockstud)である。
2010年秋冬、キウリとピッチョーリが生んだこの鋲のモチーフは、ローマの建築装飾「ブニャート(bugnato)」——石を荒く切り出した外壁の積み方——に着想を得ている。
都市の記憶を、ラグジュアリーの記号へ翻訳したわけだ。
2021年には、ピッチョーリがそれを巨大化させたローマン・スタッド(Roman Stud)を出した。
石を、鋲に。
建築を、服に。
ローマを引用し続けるこの手つきは、古物を引用し続けたミケーレのそれと、構造がよく似ている。

色を更新するという、継承の作法は用意されている
ミケーレが赤を無視したとしても、メゾンはそれを許容する装置を持っている。
ピッチョーリ自身が示した。
2022年、彼はほぼ一コレクションを「ピンクPP(Pink PP)」という新しいショッキングピンクに捧げた。
ヴァレンティノ・レッドという聖域に、後継者が自分の一色を並置してみせたのだ。
赤を守るのではなく、赤の隣に新しい色を立てる。
これが、このメゾンにおける継承の作法だった。
継承とは、同じ色を使い続けることではない。
色を立て直す権利を、代ごとに受け渡すことだ。
だとすれば、ミケーレがヴァレンティノ・レッドでもピンクPPでもない第三の色を打ち出したとき、それは断絶ではなく、作法の順守になる。
白で人気を得た1967年から、ピンクPPの2022年まで、このメゾンはずっと「色を問い直す」ことで自分を更新してきたのだから。
残る問いは一つ。
彼が初めて手がけるオートクチュールで、それが起きるのか。

初めてのクチュール——装飾の作家は、手仕事の文化に入れるか
ミケーレにとって、ヴァレンティノでの最初のコレクションは2025年春夏、同年9月のパリで発表される予定だ。
そしてここが肝心なのだが、彼がオートクチュールを手がけるのは、このメゾンでが初めてになる。
グッチはプレタポルテとアクセサリーのメゾンだった。
ミケーレの過剰は、量産とライセンスの文脈で花開いた装飾だ。
一方ヴァレンティノが拠って立つのは、ローマのアトリエで手で縫われる一点物の世界——1962年にフィレンツェのピッティ宮で国際デビューして以来、このメゾンが守ってきた手仕事の文化である。
印刷された装飾の作家が、縫われる装飾の世界へ入る。
これは画材の変更ではない。
ここで「装飾が得意なら、手仕事のクチュールも得意なはず」と読まれると、それは違う。
グッチの豊かさは、イメージとモチーフの豊かさだった。
クチュールの豊かさは、針と糸と時間の豊かさだ。
前者で天才だった人間が後者で何者になるかは、2024年9月まで誰にも分からない。
初めての手合わせだからだ。
ミケーレがローマのアトリエを「もう一つのグッチ・アーカイブ」として扱うのか、それとも職人たちの時間に自分を明け渡すのか。
最初のクチュールが、それを告げる。
土地と手仕事の物語は、国境を越える資本の上に乗っている
もう一つ、このメゾンには表と裏がある。
ローマと職人を語る表の物語の下に、転々とする所有という裏の歴史が流れている。
創業者たちは1998年、イタリアのコングロマリットHdPにおよそ3億ドルで会社を売った。
2002年にはマルゾット(Marzotto)へ2億1000万ドルで。
2012年、カタール王室系のマイフーラ(Mayhoola for Investments)が約7億ユーロで取得する。
そして2023年、ケリング(Kering)がマイフーラから30%を17億ユーロで買った。
契約には、2028〜29年までにケリングが100%を取得できる選択権まで含まれている。
ローマの石と、ローマの針。
その物語を所有しているのは、ドーハの投資会社とパリの資本だ。
この構図を、ミケーレの起用と切り離して読むことはできない。
ケリングはかつてグッチを擁し、そのグッチでミケーレを世界的な名前に押し上げた張本人だ。
ピッチョーリ後のヴァレンティノにミケーレが座ったこと——それは、資本の論理が人選にまで届いているという現実を、静かに示している。
土地と手仕事の神話は、金融の取引対象でもある。
この二つが同居していることを、このメゾンは隠してこなかった。
創業者の名を冠したメゾンは、誰のものでもない思想になれるか
最後に、最初の賭けへ戻る。
ヴァレンティノとは、ひとりの男の名だ。
1932年、ロンバルディアのヴォゲーラに生まれ、母テレサがハリウッド俳優ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino)にちなんで名付けた——と広く語られる、情熱と優雅さの出自を持つ男の。
創業者の名を冠したメゾンは、その個人のカリスマが去った後も生き延びられるのか。
これは最初から、このメゾンに刻まれた宿命的な問いだった。
ガラヴァーニ、ファッチネッティ、キウリとピッチョーリ、ピッチョーリ単独、そしてミケーレ。
交代を重ねるたびに、答えはひとつずつ更新されてきた。
赤を立て、赤を消し、ピンクを並べ、黒で去った。
色を問い直す力だけが、代を越えて受け継がれてきたものだった。
だから、創業者の赤を継がない男の就任は、矛盾ではない。
赤を継がないことこそ、このメゾンの継承だったのかもしれない。
ミケーレが2024年9月のパリで何色を出すのか、私はまだ知らない。
ただ、それがヴァレンティノ・レッドでなかったとしても、驚くには当たらない。
1967年に白を選んだメゾンの話を、ここまで見てきたのだから。
FAQ
アレッサンドロ・ミケーレはいつヴァレンティノに就任しましたか?
2024年4月2日に、クリエイティブ・ディレクターとして正式に就任しました。
前任のピエールパオロ・ピッチョーリは2024年3月に、25年の在籍を経てメゾンを去っています。
ミケーレの最初のコレクションはいつ見られますか?
2025年春夏コレクションが、2024年9月のパリ・ファッションウィークで発表される予定です。
なお彼がオートクチュールを手がけるのは、ヴァレンティノでが初めてとなります。
ヴァレンティノ・レッドとはどんな色ですか?
マゼンタ100%、イエロー100%、ブラック10%で構成される固有の赤で、Pantoneに専用の色として登録されています。
1959年の最初の春夏コレクション、「ラ・フィエスタ」のドレスとともに生まれました。



