【ヴァレンティノ|アレッサンドロ・ミケーレ期】創業者の赤を受け継がず、2024年に始まった第三の時代

2026.10.04 Valentino 編集部
四半世紀を定義した作家の離脱が、穏やかな代替わりではなく空白を伴う断絶として起きたことを理解させる

ヴァレンティノ(Valentino)に、創業者の赤を受け継がない人物が初めて立った。
2024年4月2日、グッチ(Gucci)で古物趣味と過剰な装飾を武器にした男、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が就任する。
これはヴァレンティノ・レッド(Valentino Red)という一色で名を成したメゾンが、その色を知らない書き手に未来を預けた、という話だ。
賭けの中身は、まだ誰も見ていない。

まず、引き継ぎの異様さから確認したい。
前任のピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)は、ここに25年いた。

25年の退任は、継承ではなく断絶として起きた

ピッチョーリの離脱は、穏やかな代替わりではなかった。
2024年3月に退き、同年6月、メゾンはメンズとオートクチュールのショーを相次いでキャンセルしている。
引き継ぎの空白を、カレンダーがそのまま露呈させた格好だ。

四半世紀という時間を考えれば、これは尋常ではない。
ピッチョーリは2008年にマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)との共同クリエイティブ・ディレクターとして表に出て、2016年からは単独で舵を握った。
創業者ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)の引退後、アレッサンドラ・ファッチネッティ(Alessandra Facchinetti)の短い在任を挟み、このメゾンを最も長く定義したのは彼だった。

その最後のコレクションが、2024年秋、全身を黒に沈めたものだったことには触れておきたい。

赤のメゾンの、黒い別れ。
意図したのかどうかは分からない。
ただ、色で名を成した場所を去る男が、色を引いて去ったという事実は残る。

問題は「赤を継げるか」ではなく「赤を知らない者を選んだこと」

ここで多くの記事が立てる問い——「ミケーレはヴァレンティノ・レッドを継げるのか」——は、おそらく的を外している。
メゾンは継げる人物を探さなかった。
むしろ、最も遠い場所から人を連れてきた。

ヴァレンティノ・レッドとは何か。
マゼンタ100%、イエロー100%、ブラック10%。
配合まで定義された、Pantoneに固有の番号を持つ色だ。
1959年、最初の春夏コレクションの「ラ・フィエスタ(La Fiesta)」というドレスとともに生まれ、やがて一企業の色が国際的な色規格に登録されるに至った。
色が装飾を超えて、制度になった瞬間である。

一色に魂を宿らせることは可能か。
ヴァレンティノの歴史は、可能だと答えてきた。

ところが、だ。
このメゾンの人気を決定づけたのは赤ではない。
1967年前後に発表された、白・ベージュ・アイボリーだけの無彩色コレクション——いわゆる「ホワイト・コレクション」だった。
色で名を成したメゾンが、色の不在で評価された。
この矛盾を抱えていること自体が、ヴァレンティノの核心だと私は考えている。

つまり、このメゾンはもともと「赤に忠実であること」を信条にしていない。
赤を打ち立て、次の瞬間に赤を消してみせる。
その両義性こそが人格だった。

だとすれば、ミケーレの起用は裏切りではないのかもしれない。

Valentino Redが配合まで定義された制度化された色でありながら、メゾンの核心は赤の確立と消去の両義性にあることを理解させる

グッチで彼がやったことを、ローマは必要としている

ミケーレをひと言で表すなら、過剰の作家だ。
グッチで彼は、古い刺繍、動物、花、宝飾的な細部を無節操に積み上げ、ラグジュアリーの文法を「引き算の洗練」から「足し算の陶酔」へと一度書き換えた。
ミニマリズムに疲れた2010年代が、彼の装飾過多を熱狂的に迎えた。

その装飾性は、ヴァレンティノの土地と相性が悪くない。
ローマだ。

ヴァレンティノのクリエイティブは今もローマのパラッツォ・ガブリエッリ=ミニャネッリ(Palazzo Gabrielli-Mignanelli)に置かれ、財団もそこにある。
ガラヴァーニが最初のアトリエを開いたのも、1959年のローマ、ヴィア・コンドッティだった。
このメゾンは一貫して都市と建築に根を張ってきた。

その証拠がロックスタッド(Rockstud)である。
2010年秋冬、キウリとピッチョーリが生んだこの鋲のモチーフは、ローマの建築装飾「ブニャート(bugnato)」——石を荒く切り出した外壁の積み方——に着想を得ている。
都市の記憶を、ラグジュアリーの記号へ翻訳したわけだ。
2021年には、ピッチョーリがそれを巨大化させたローマン・スタッド(Roman Stud)を出した。

石を、鋲に。
建築を、服に。
ローマを引用し続けるこの手つきは、古物を引用し続けたミケーレのそれと、構造がよく似ている。

ミケーレの過剰な装飾とローマの建築的引用が、都市の記憶を記号へ翻訳する手つきにおいて構造的に共鳴することを理解させる

色を更新するという、継承の作法は用意されている

ミケーレが赤を無視したとしても、メゾンはそれを許容する装置を持っている。

ピッチョーリ自身が示した。
2022年、彼はほぼ一コレクションを「ピンクPP(Pink PP)」という新しいショッキングピンクに捧げた。
ヴァレンティノ・レッドという聖域に、後継者が自分の一色を並置してみせたのだ。
赤を守るのではなく、赤の隣に新しい色を立てる。
これが、このメゾンにおける継承の作法だった。

継承とは、同じ色を使い続けることではない。
色を立て直す権利を、代ごとに受け渡すことだ。

だとすれば、ミケーレがヴァレンティノ・レッドでもピンクPPでもない第三の色を打ち出したとき、それは断絶ではなく、作法の順守になる。
白で人気を得た1967年から、ピンクPPの2022年まで、このメゾンはずっと「色を問い直す」ことで自分を更新してきたのだから。

残る問いは一つ。
彼が初めて手がけるオートクチュールで、それが起きるのか。

継承とは同じ赤を守ることではなく、代ごとに新しい一色を立てる権利を受け渡すことだという作法を理解させる

初めてのクチュール——装飾の作家は、手仕事の文化に入れるか

ミケーレにとって、ヴァレンティノでの最初のコレクションは2025年春夏、同年9月のパリで発表される予定だ。
そしてここが肝心なのだが、彼がオートクチュールを手がけるのは、このメゾンでが初めてになる。

グッチはプレタポルテとアクセサリーのメゾンだった。
ミケーレの過剰は、量産とライセンスの文脈で花開いた装飾だ。
一方ヴァレンティノが拠って立つのは、ローマのアトリエで手で縫われる一点物の世界——1962年にフィレンツェのピッティ宮で国際デビューして以来、このメゾンが守ってきた手仕事の文化である。

印刷された装飾の作家が、縫われる装飾の世界へ入る。
これは画材の変更ではない。

ここで「装飾が得意なら、手仕事のクチュールも得意なはず」と読まれると、それは違う。
グッチの豊かさは、イメージとモチーフの豊かさだった。
クチュールの豊かさは、針と糸と時間の豊かさだ。
前者で天才だった人間が後者で何者になるかは、2024年9月まで誰にも分からない。
初めての手合わせだからだ。

ミケーレがローマのアトリエを「もう一つのグッチ・アーカイブ」として扱うのか、それとも職人たちの時間に自分を明け渡すのか。
最初のクチュールが、それを告げる。

土地と手仕事の物語は、国境を越える資本の上に乗っている

もう一つ、このメゾンには表と裏がある。
ローマと職人を語る表の物語の下に、転々とする所有という裏の歴史が流れている。

創業者たちは1998年、イタリアのコングロマリットHdPにおよそ3億ドルで会社を売った。
2002年にはマルゾット(Marzotto)へ2億1000万ドルで。
2012年、カタール王室系のマイフーラ(Mayhoola for Investments)が約7億ユーロで取得する。
そして2023年、ケリング(Kering)がマイフーラから30%を17億ユーロで買った。
契約には、2028〜29年までにケリングが100%を取得できる選択権まで含まれている。

ローマの石と、ローマの針。
その物語を所有しているのは、ドーハの投資会社とパリの資本だ。

この構図を、ミケーレの起用と切り離して読むことはできない。
ケリングはかつてグッチを擁し、そのグッチでミケーレを世界的な名前に押し上げた張本人だ。
ピッチョーリ後のヴァレンティノにミケーレが座ったこと——それは、資本の論理が人選にまで届いているという現実を、静かに示している。

土地と手仕事の神話は、金融の取引対象でもある。
この二つが同居していることを、このメゾンは隠してこなかった。

創業者の名を冠したメゾンは、誰のものでもない思想になれるか

最後に、最初の賭けへ戻る。

ヴァレンティノとは、ひとりの男の名だ。
1932年、ロンバルディアのヴォゲーラに生まれ、母テレサがハリウッド俳優ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino)にちなんで名付けた——と広く語られる、情熱と優雅さの出自を持つ男の。
創業者の名を冠したメゾンは、その個人のカリスマが去った後も生き延びられるのか。
これは最初から、このメゾンに刻まれた宿命的な問いだった。

ガラヴァーニ、ファッチネッティ、キウリとピッチョーリ、ピッチョーリ単独、そしてミケーレ。
交代を重ねるたびに、答えはひとつずつ更新されてきた。
赤を立て、赤を消し、ピンクを並べ、黒で去った。
色を問い直す力だけが、代を越えて受け継がれてきたものだった。

だから、創業者の赤を継がない男の就任は、矛盾ではない。
赤を継がないことこそ、このメゾンの継承だったのかもしれない。

ミケーレが2024年9月のパリで何色を出すのか、私はまだ知らない。
ただ、それがヴァレンティノ・レッドでなかったとしても、驚くには当たらない。
1967年に白を選んだメゾンの話を、ここまで見てきたのだから。

FAQ

アレッサンドロ・ミケーレはいつヴァレンティノに就任しましたか?

2024年4月2日に、クリエイティブ・ディレクターとして正式に就任しました。
前任のピエールパオロ・ピッチョーリは2024年3月に、25年の在籍を経てメゾンを去っています。

ミケーレの最初のコレクションはいつ見られますか?

2025年春夏コレクションが、2024年9月のパリ・ファッションウィークで発表される予定です。
なお彼がオートクチュールを手がけるのは、ヴァレンティノでが初めてとなります。

ヴァレンティノ・レッドとはどんな色ですか?

マゼンタ100%、イエロー100%、ブラック10%で構成される固有の赤で、Pantoneに専用の色として登録されています。
1959年の最初の春夏コレクション、「ラ・フィエスタ」のドレスとともに生まれました。

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