【Gucci|Tom Ford期】1994年から2004年まで、保守的な皮革メゾンを官能で叩き直した十年

サテンのシャツは胸元まで開き、ヒップに吸いつくベルベットのパンツが腰骨の位置で切られている。
1995年秋冬、ミラノのランウェイに現れたその服は、それまでのGucci(グッチ)を知る者には別のメゾンのものに見えた。
結論から言えば、この十年でトム・フォード(Tom Ford)がやったのは、由緒ある皮革商を官能というたった一つの語彙で書き換える作業だった。
手仕事でも家族の物語でもない。
欲望を売る、という一点に賭けたのである。
そしてその賭けは、昇格から一年で売上を9割伸ばすという数字で報われた。
保守的な皮革商が、なぜ官能を必要としたのか
答えを先に言えば、Gucciは1990年代前半、売る物語を失っていた。
創業は1921年、フィレンツェ。
グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)が興した工房は、馬具と旅行鞄を扱う小さな同族商から始まった。
ロンドンのサヴォイ・ホテルで富裕客の豪奢な旅荷を見つめた給仕の青年が、故郷で皮革を商う——よく語られる出発点である。
乗馬文化に根ざした緑赤緑のウェブ、竹のハンドル、創業者イニシャルを組んだGG。
実用の記号を、旅と階級の憧れに翻訳してきたメゾンだった。
ところが1980年代、その血縁が内側から崩れる。
骨肉の争いの果てに、一族は1993年までに資本から完全に締め出された。
手仕事と家族を掲げるメゾンから、当の家族が消えたのである。
家業の物語を語る主役が、もういない。
トム・フォードが女性向けプレタポルテのディレクターとして加わったのは1990年、この崩壊の只中だった。
彼が昇格するのは1994年。
つまり彼は、家族が去ったあとの空白に招かれた外部の才能だった。
ここに、このメゾンの宿命が顔を出す。
創業者の死後、Aldoの拡大、そしてフォードの官能——外から来た者が周期的に更新し続けるブランド。
彼はその系譜の、最初の劇的な一人になった。

何を変えたのか——「上品」を捨て、身体を出す
フォードが変えたのは色でも丈でもない。
服が何を語るか、その前提だった。
前任までのGucciは保守的で堅実な作風だったと記録は伝える。
落ち着いた皮革、由緒ある記号、家族的な安心。
フォードのデビューコレクション、1995年秋冬は、そこから劇的に離反した。
現代的なセクシュアリティと挑発的なカッティング——事実の記述はそう短く言い切る。
具体に落とせば、深く開いた胸元、身体の線をなぞる裁断、光を吸うベルベットとサテンだった。
安心を売っていたメゾンが、欲望を売り始めた。
たしかに、それは職人の伝統への裏切りにも見える。
緑赤緑のウェブも竹も、もとは物資欠乏から生まれた実用の記号だった。
制約を意匠へ変える現実主義こそ、このメゾンのDNAだったはずだ。
しかしフォードが受け継いだのは、記号ではなくその現実主義のほうだったと考えると腑に落ちる。
1990年代前半の危機——売れないという現実。
彼はそれを、官能という様式へ変換した。
欠乏を竹に変えた男の末裔として、彼は空白を身体に変えたのだ。
もっとも、これを「セックスを売れば服は売れる」と読まれると困る。
数字が動いたのは、フォードが官能に一貫した文法を与えたからだ。

90%という数字が意味したもの
昇格からわずか一年で、売上は90%伸びた。
事実はそう記す。
この数字だけが、彼の賭けの当否を判定できる唯一の証人である。
苦境のブランドが、グローバルな強者へ。
この転換は、服の話であると同時に金の話だった。
そしてここから、家業の工房がグローバル資本へ吸収されていく20世紀ラグジュアリーの縮図が始まる。
1999年、GucciはフランスのKering(ケリング)——多国籍のラグジュアリー・コングロマリット——の傘下に入った。
完全子会社化は2004年。
フォードの退任も同じ年である。
この一致は偶然ではない。
ひとつのメゾンを官能で叩き直し、その価値を数字で証明した男が、そのメゾンが資本の完成形へ組み込まれた年に去った。
創造の頂点と、経営の帰結が、同じ2004年に重なっている。
外部の才能が価値を作り、資本がそれを回収する。
この構図をどう評価するかは、まだ保留にしておきたい。
フォードの退任が損失だったのか、あるいは一つの様式が役目を終えただけだったのか——それは、彼が去ったあとに来た者たちを見なければ答えられない。

系譜のなかのフォード——官能は永続の様式ではなかった
先に半分だけ答えておいた問いに、ここで戻る。
フォードの官能は、Gucciの決定版だったのか。
答えは、否である。
それは十年限りの一つの顔だった。
彼が去ったのち、2006年にはFrida Giannini(フリーダ・ジャンニーニ)がメゾン全体のクリエイティブ・ディレクターに就く。
彼女が最初の商業的成功を収めたのは、1960年代のGrace Kelly(グレース・ケリー)のスカーフに基づく「Flora」——色鮮やかなバッグのコレクションだった。
フォードが捨てた過去の記号へ、彼女は回帰した。
官能ではなく、メゾンのアーカイブへ。
さらに2015年、Alessandro Michele(アレッサンドロ・ミケーレ)が就任する。
彼のデビューは2015/16年秋冬のメンズだった。
ノンコンフォーミストで、ロマンティックで、耽美的で、両性具有的。
マキシマリズムの美学。
フォードが引き締めた身体のラインを、ミケーレは装飾と男女の境界の溶解でほどいていった。
官能の対極とすら言える方向だった。
ここに、このメゾンの正体が見える。
回帰、官能、耽美——並べてみれば、どれか一つが本体なのではない。
一人の作家の手に収まることを拒み、時代ごとに全く別の顔へ変貌する。
それこそがGucciの人格だった。
フォードの十年は、その多重人格の、最も鮮烈な一枚のカードにすぎない。
結び——別のメゾンに見えた、あの服へ
冒頭のランウェイに戻る。
胸元まで開いたサテン、腰骨で切られたベルベット。
それを見た者が「別のメゾンのようだ」と感じたのは、正しかった。
フォードは実際に、Gucciを一度別のメゾンに書き換えたのだから。
ただしそれは、由緒を捨てたのではなく、由緒を語る主役が消えた空白に、官能という新しい語彙を差し込む作業だった。
制約を意匠に変えてきたメゾンが、危機を欲望に変えた。
90%という数字が、その翻訳の成否を告げた。
そして彼は、自らが証明した価値が資本に回収される年に去った。
あとに残ったのは、回帰へも耽美へも姿を変えられる、一人の作家に属さないブランドである。
フォードの十年は終わりではなく、更新され続ける宿命の、いちばん熱かった章だった。
FAQ
トム・フォードはいつGucciに関わったのですか。
1990年に女性向けプレタポルテのディレクターとして加わり、1994年にクリエイティブ・ディレクターへ昇格しました。
退任は2004年です。
デビューコレクションは何を変えたのですか。
1995年秋冬のデビューは、それまでの保守的で堅実な作風から劇的に離反し、現代的なセクシュアリティと挑発的なカッティングを打ち出しました。
深く開いた胸元や身体の線をなぞる裁断が特徴です。
フォード在任中の経営面の変化は。
昇格から一年で売上が90%伸び、1999年にはフランスのKeringの傘下に入りました。
Keringによる完全子会社化は2004年で、フォードの退任と同じ年にあたります。



