【Burberry|Christopher Bailey期】17年、老舗をデジタルの最前線へ運んだ設計者(2001–2018)

2018年2月、ロンドン。
クリストファー・ベイリー(Christopher Bailey)は17年在籍したバーバリー(Burberry)で最後のショーを終えた。
彼が入社した2001年、バーバリーは雨具の老舗であり、数年後にはチェック柄が英国のサブカルチャーと結びついてブランドの首を絞めていた。
そこから世界のラグジュアリーへ——この転換を、デザインと経営の両輪で内側から動かした人物が彼である。
答えを先に言えば、ベイリー期のバーバリーは「ヘリテージをデジタルの最前線へ運ぶ」という、当時どのメゾンも試みていなかった賭けの実験場だった。
呉服商の徒弟が発明した布の上に、彼は立っていた
ベイリーが継いだのは、服ではなく神話である。
1856年、ドレイパー(呉服商)の徒弟だった21歳のトマス・バーバリー(Thomas Burberry)がハンプシャーのベイジングストークに小さな店を開いた。
彼の発明は服ではなく布だった。
ギャバジン——織る前に糸を防水するという発想は、それまでの重く息苦しいゴム引き綿を過去にした。
1888年に特許。
この布はアムンゼン(Roald Amundsen)を南極へ、シャクルトン(Ernest Shackleton)を極地へ、マロリー(George Mallory)を1924年のエヴェレストへ送り出す。
第一次大戦の塹壕で兵士を包み、トレンチコートという名を得た。
つまりバーバリーの中核は、自然という敵に人がどう向き合うかという一点にあった。
制圧ではなく、受け入れる。
この思想は後年「開かれた腕で天候を受け入れる」という自己規定に結晶する。
ベイリーが2001年に加わったとき、この歴史はすでに百年以上あった。
問題は、その歴史がうまく機能していなかったことだ。
引き継いだのは、栄光ではなく傷だった
ベイリーが直面したのは、自らの記号に裏切られたブランドだった。
1920年代からトレンチの裏地に使われていたチェックは、1990年代に表舞台へ出た。
スカーフ、バッグ、衣服。
だが2000年代前半、このノヴァチェックは英国で「チャヴ(chav)」文化と結びつく。
2002年、女優ダニエル・ウェストブルックがチェック尽くしの姿で撮られると、上流階級はバーバリーから離れた。
フーリガンとの連想から、一部のパブでは着用が禁じられた。
高級百貨店はショーウィンドウからバーバリーを外した。
究極の機能から生まれた気高い記号が、階級の記号として読み替えられていた。
同じ布が、誰の身体を通るかで意味を反転させる。
ここにベイリー期の核心的な矛盾がある。
「開かれた腕で万人を受け入れる」と謳うメゾンが、誰に着てほしいかを選び続けなければならない。
この矛盾に、彼はどう手を入れたのか。
答えは後半に返す。
まず、彼が何を作ったかを見たい。

デザイナーであること——full ready-to-wear という拡張
ベイリーの最初の仕事は、アウターの老舗をフルのコレクションを持つメゾンへ作り替えることだった。
彼はプレタポルテを本格的に立ち上げ、現代的な視点を持ち込んだ。
ヘリテージのアウターブランドから、世界に通用するラグジュアリーへ。
この転換の中心に彼がいたことは、記録が一致して示している。
コレクションはヘリテージと現代の折衷だった。
2011年秋、彼は鮮やかな色のバッファローチェックのコート、繭形の袖、ダウンジャケット、そして原点であるキャメルコートを並べた。
極地を裏づけとする信頼性の物語と、今の街の色。
両方を一つのランウェイに置く。
より詩的だったのは2015年春夏『The Birds and the Bees』である。
着想源は1940年代の英国の昆虫・野生生物の図鑑だった。
ジョーダン・ダン(Jourdan Dunn)、スキ・ウォーターハウス(Suki Waterhouse)、マライカ・ファース(Malaika Firth)がキールックをまとった。
自然という主題——バーバリーがずっと格闘してきた相手を、征服の対象ではなく観察の対象として服に載せる。
敵だった天候と自然が、ここでは図鑑の博物学へと姿を変えている。
英国性を、湿った空との闘争ではなく愛着として描き直す。
ベイリーの手つきは、そちらへ傾いていた。

経営者であること——Bravo、Ahrendts、そして両輪
ベイリーは一人で動いたわけではない。
彼の17年は、二人のCEOと組んだ17年でもある。
まずローズ・マリー・ブラヴォ(Rose Marie Bravo)。
彼女はバーバリーをマスマーケットの成功へ導き、2006年に退いた。
続いてアンジェラ・アーレンツ(Angela Ahrendts)が同年就任する。
アーレンツの判断は明快だった。
世界規模のライセンスを畳む。
「どこにでもある」状態を嫌い、より憧れの対象へと引き戻す。
そして利益率の高い中核——トレンチコートへ焦点を戻した。
デジタルメディアと強力なスタッフ研修でブランドを鍛え直す。
ここでベイリーのデザインとアーレンツの経営が噛み合う。
希少化を目指す経営と、ヘリテージを更新するデザイン。
片方だけでは足りなかった。
そして2014年から2017年夏まで、ベイリーは役員室とデザインスタジオの両方を掌握する。
デザイナーが経営の椅子まで持つ——これは、彼の時代のバーバリーが「デザインと経営の両輪」という言葉を一人の身体に押し込めた瞬間だった。
うまくいったのか。
その評価は今も揺れている。
創造と経営を一人が担うことの負荷は、後の交代劇が間接的に語ることになる。

デジタルの最前線——ラグジュアリーが最初に踏み出した一歩
ベイリー期を一語で言えば、デジタルだ。
老舗が、ラグジュアリーの誰よりも早くネットへ踏み出した。
ここに一つ、資料が食い違う点がある。
ライブストリーミングの年だ。
- 2008年、バーバリーはファッションショーを初めてライブストリーミングしたブランドだとされる。
- 一方、それを2010年とする資料もある。
どちらが正確かは断定しない。
ただ確かなのは、ラグジュアリーがショーを公開の生放送にするという発想を、バーバリーが最初期に実装したことだ。
続く仕掛けは、着実に一歩ずつ積まれた。
- 2009年『Art of the Trench』——トレンチを着た人々を撮るブログ。カメラはThe Sartorialistのスコット・シューマン(Scott Schuman)。ブランドの服ではなく、それを着た他者の身体を主役にした。
- 2011年『Tweetwalk』——バックステージの写真をTwitterに流すアカウント。ランウェイの裏側を、ショーと同時に公開する。
- 2016年『Mr. Burberry』——男性用フレグランスを、Snapchatのディスカバー面のネイティブ広告で展開。ラグジュアリーがSnapchatに広告を出す、ほぼ最初の例だった。
さらに、ツイートに購入リンクを仕込み、自前のSnapchatアカウントを持ち、ショーを「今見て、今買える(see now, buy now)」モデルへ変えた。
この列挙は、単なる新しもの好きの記録ではない。
『Art of the Trench』で他者の身体を主役に据えたことは、「誰の身体を包むか」というバーバリー固有の問いへの、ひとつの答えだった。
トレンチはもうブランドの所有物ではなく、着る者のものだ——そう宣言している。
デジタルは、階級の傷を負ったメゾンにとって、記号を万人へ開き直す装置でもあった。
創業神話もこの時期に映像化される。
160周年の『The Tale of Thomas Burberry』は、トマスの物語に架空の初恋とシャクルトンを配した3分の映画だった。
Kodakの35mmフィルムで撮られたこの短編は、ドーナル・グリーソン(Domhnall Gleeson)がトマスを、シエナ・ミラー(Sienna Miller)が初恋の相手を、ドミニク・ウェスト(Dominic West)がシャクルトンを演じた。
機能の歴史を、叙事詩へと変える。
ベイリー期のバーバリーは、過去を保存するのではなく、上映していた。
封印したチェックを、彼は自ら戻した
さて、開いておいた問いに戻る。
誰に着てほしいかを選び続ける矛盾に、ベイリーはどう手を入れたのか。
彼の答えは、封印ではなく再導入だった。
チャヴとの連想を避けるため、バーバリーは一時チェックの露出を減らし、一部のノヴァチェック製品を廃番にしていた。
自ら生んだ記号を、自ら封じたのである。
ところがベイリーは2017年9月のコレクションで、そのチェックを再び前面へ戻した。
しかも、当時のストリートウェアの潮流と結びつけて。
かつて階級の傷だった柄を、街の言語に翻訳して連れ戻す。
アーレンツが「どこにでもある」状態を嫌ってライセンスを畳んだのと、ベイリーが2017年にチェックを表へ戻したのは、一見すると逆方向に見える。
ただ、両者が向いていた先は同じだった。
誰の身体をどう通すかを、ブランドの側が選び直す——希少化と大衆化のあいだで、その都度線を引き直す作業である。
開かれた腕と、選ぶ手。
この二つが同居することこそ、バーバリーの宿命だった。
ベイリーはそれを解消しなかった。
抱えたまま前へ進めた。
幕引き——設計者が去るとき
2017年夏、セリーヌ(Céline)からマルコ・ゴベッティ(Marco Gobbetti)がCEOに就く。
この人事のあと、ベイリーは退任を発表した。
2018年2月、ロンドンでの最後のショー。
17年の在籍が、ここで区切られる。
彼は2018年末までアドバイザーとして残った。
後任のクリエイティブ・ディレクターにはリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)が就き、2018年3月12日付で始動、9月に最初のコレクションを見せる。
ピーター・サヴィル(Peter Saville)の手による、トマス・バーバリーの頭文字を組んだTBモノグラムとともに。
ここで一つ気づくことがある。
ティッシもチェックとモノグラムに手を伸ばし、その後のダニエル・リー(Daniel Lee)はエクエストリアン・ナイトを2023年秋に復活させた。
誰が来ても、バーバリーは自らの起源へ帰る。
ベイリーもまた、キャメルコートとトレンチとチェックへ、17年かけて何度も帰り続けた一人だった。
湿った空の下を、飾らずに
冒頭のロンドン、2018年2月に戻る。
ベイリーが去ったあとに残ったのは、ライブストリーミングされるショーであり、ツイートに埋め込まれた購入リンクであり、他者の身体を主役にしたトレンチの記録だった。
彼はギャバジンを発明したわけでも、トレンチを設計したわけでもない。
彼がしたのは、呉服商の徒弟が始めた「自然を受け入れる」という思想を、デジタルという新しい天候の下で着直させることだった。
英国の湿った空の下を、飾らずに歩き続ける実務家——バーバリーという人格をそう描くなら、ベイリーはその歩みを、17年ぶんだけ前へ進めた設計者だった。
エクエストリアン・ナイトが掲げる言葉は、いまも変わらず「Prorsum(前へ)」である。
FAQ
クリストファー・ベイリーはバーバリーで何年、どんな役割を務めたのか。
2001年に入社し、2018年2月のロンドンでのラストショーまで17年間在籍した。
プレタポルテを本格的に立ち上げ、2014年から2017年夏までは役員室とデザインスタジオの両方を掌握。
デザインと経営の双方でブランドを動かした。
退任発表後も2018年末までアドバイザーとして残った。
ベイリー期の「デジタル革新」とは具体的に何を指すのか。
ショーのライブストリーミング(2008年とする資料と2010年とする資料があり、断定はできない)、2009年のブログ『Art of the Trench』(撮影はScott Schuman)、2011年の『Tweetwalk』、2016年のSnapchat広告『Mr. Burberry』などを指す。
ラグジュアリーがデジタルへ踏み出す最初期の一歩を、次々に刻んだ。
なぜバーバリーは一度チェックを封印し、また戻したのか。
1990年代から2000年代、チェックが「チャヴ」文化やフーリガンと結びつき、上流階級が離れ、百貨店がショーウィンドウから外す事態になった。
バーバリーは一時チェックの露出を減らし、一部製品を廃番にした。
その後ベイリーが2017年9月のコレクションで、ストリートウェアの潮流と結びつける形で再導入している。



