【Gucci|Alessandro Michele期】社内から現れた無名の男が、メゾンを2015年から2022年まで耽美で塗り替えた七年

2015年1月、Gucci(グッチ)の次の顔として発表されたのは、外部から迎えられたスターではなかった。
十三年間このメゾンの中で働き、名を知られていなかった一人の男だった。
アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)。
彼はその後の七年で、Gucciを官能のメゾンから耽美のメゾンへと丸ごと塗り替える。
異例だったのは登用の速さではない。
空白を、内側で埋めたことのほうだ。
空白は、外からではなく内から埋められた
異例の代替わりだった、と言い切ってしまう前に、まずその空白がどう生まれたかを見たい。
2015年初頭、クリエイティブ・ディレクターのフリーダ・ジャンニーニ(Frida Giannini)とCEOのパトリツィオ・ディ・マルコ(Patrizio di Marco)が相次いでメゾンを去った。
トップとその隣が同時に抜けた。
ラグジュアリー企業にとって、これはただの人事ではない。
ブランドの方向を決める二つの椅子が、同じ季節に空いたということだ。
こういうとき、業界の常識は外部のスターを担ぐ。
話題を呼び、株価を支え、失われた勢いを一挙に取り戻す——そのための「顔」を、他所から連れてくる。
ところがKering(ケリング)傘下のGucciが選んだのは、その逆だった。
抜擢されたミケーレは、2002年からこのメゾンで働いていた人物である。
ジャンニーニ自身も同じ2002年にハンドバッグのデザインディレクターとして入り、2006年にレーベル全体のクリエイティブ・ディレクターへ上がった。
つまりミケーレは、前任者と同じ年に同じメゾンの内側へ入り、十三年ものあいだ表舞台の外にいた。
無名だった、と言っていい。
その無名の男が、突然、頂点に立った。
デビューが提示したのは、Gucciの記憶ではなく別人格だった
2015-16年秋冬のメンズウェア。
これがミケーレの最初の一手であり、そして成功だった。
問題は、彼が何を提示したかである。
前任のジャンニーニは、1960年代のグレース・ケリー(Grace Kelly)のスカーフに着想した「フローラ」のバッグで商業的な足場を築いた人だった。
メゾンの過去を丁寧に編み直す仕事——回帰の手つきである。
ミケーレはそこへ戻らなかった。
彼が持ち込んだのは、体制順応を拒む姿勢、ロマンティックで知的で、男女の境界をあいまいにする折衷とマキシマリズムの美学だった。
言葉を並べると散らかって見える。
だが実際に起きたのは一点に集約できる。
Gucciの服から、それまでの性別の輪郭が溶けた。
トム・フォード(Tom Ford)が引きずり出したのは官能だった。
ミケーレが持ち込んだのは、その官能とはまるで質のちがう耽美である。
挑発的なカットで身体を際立たせるのではなく、装飾と細部で身体の輪郭そのものをぼかす方向へ振れた。
このデビューが「triumph」——勝利として迎えられた事実は、当時のGucciが何を求めていたかを裏返しに映している。
回帰では足りなかった、ということだ。
少なくとも結果はそう告げている。

十三年の内側が、外部登用と何が違ったのか
では、内部から来た人間なら誰でもこの断絶を起こせたのか。
そうではないはずだ。
Gucciというメゾンは、そもそも外部の才能に周期的に更新されてきた。
創業者グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)亡きあと、アルド(Aldo)の拡大があり、トム・フォードの官能があり、ジャンニーニの回帰があった。
一人の作家の手に留まらず、時代ごとに別の顔へ変貌することを、このメゾンはほとんど宿命として引き受けてきた。
ミケーレの耽美も、その系譜の一つの相にすぎない——そう見える。
ただ、他の更新とひとつだけ性格が違う。
トム・フォードは1990年に女性向けプレタポルテのディレクターとして入り、1994年にクリエイティブ・ディレクターへ昇進した。
四年である。
ジャンニーニは2002年に入り2006年に全体を任された。
四年。
二人とも、内側で温まる時間はさほど長くない。
ミケーレは十三年だった。
この長さの意味を、確かな事実だけで測るのは難しい。
だが少なくとも言えるのは、彼が提示した折衷とマキシマリズムが、外から急ぎ足で持ち込まれたスタイルではなかったということだ。
メゾンの内側に十三年沈んでいた視線が、空白の瞬間にそのまま噴き出した。
外部のスター起用が「新しい血」を入れる手術だとすれば、これは内側で発酵していたものに蓋を外す動きに近い。
その違いが、あのデビューの手触りを決めたのだと思う。

七年という区切り
耽美は、2022年11月に区切りを迎える。
ミケーレはクリエイティブ・ディレクターの座を退いた。
2015年1月に始まり、2022年11月に終わる。
約七年。
始まりも終わりも、Gucciの歴史のなかでは短い一章に見えるかもしれない。
トム・フォードの十年(1994–2004)に比べれば、なおさらだ。
けれど、この七年が服の性別観そのものを揺さぶった事実は残る。
男が着るのか女が着るのか——その問いを、ミケーレのGucciは服の側から曖昧にした。
トム・フォードが官能で保守的なメゾンを現代へ引きずり出したのだとすれば、ミケーレは境界を溶かすことで、また別の現代を差し出した。

内側にいた男が、外から来た誰よりも遠くへ行った
冒頭の場面へ戻る。
2015年初頭、二つの椅子が同時に空いた。
常識なら外のスターを担ぐ場面で、Gucciは十三年内側にいた無名の男を選んだ。
その選択が、結果として最も遠いところまで行った。
回帰でも、官能の焼き直しでもなく、性別の輪郭を溶かす耽美へ。
外から連れてきた才能ではなく、内側で発酵していた視線が、あのデビューを勝利に変えた。
欠乏を意匠に変えたグッチオ・グッチから始まり、外部の才能に周期的に更新され続けてきたメゾンが、あるとき、更新の担い手を自分の内側から見つけた。
それが最も過激な断絶を生んだ——このねじれこそ、ミケーレの七年がGucciの歴史に残した固有の跡である。
FAQ
アレッサンドロ・ミケーレはいつからGucciにいたのですか。
2002年からです。
2015年1月にクリエイティブ・ディレクターへ就任するまで、十三年間このメゾンの内側で働いていました。
前任のフリーダ・ジャンニーニと同じ2002年の入社という点も見逃せません。
なぜ内部登用が「異例」だったのですか。
2015年初頭、クリエイティブ・ディレクターのジャンニーニとCEOのディ・マルコが相次いで去り、方向を決める二つの椅子が同時に空きました。
この規模の空白は外部のスター起用で埋めるのが通例ですが、Gucciは社内の無名の人物を選びました。
ミケーレのGucciはトム・フォード期とどう違うのですか。
トム・フォードは1995年秋冬のデビューで、保守的だったメゾンに現代的な官能と挑発的なカットを持ち込みました。
ミケーレが2015-16年秋冬メンズで提示したのは、体制に順応しないロマンティックで折衷的なマキシマリズムであり、男女の境界を溶かす耽美です。
身体を際立たせる官能と、輪郭をぼかす耽美——向かう方向が対照的でした。



