【Jil Sander|ルーシー&ルーク・マイヤー期】夫婦二人で、創業者不在のミニマリズムを8年かけて立て直した

2026.11.04 Jil Sander 編集部

削ぎ落としの美学には、ひとつ厄介な性質がある。
足すデザインは誰がやっても見分けがつくが、引くデザインは、引いた本人がいなくなると途端に「ただ地味なだけ」に転落しかねない。
ジル・サンダー(Jil Sander)本人が三度去ったあと、このメゾンが直面していたのはまさにその崖だった。
ルーシー&ルーク・マイヤー(Lucie and Luke Meier)夫妻は、2017年から2025年2月まで約8年、歴代最長級の在任を務めた。
彼らがやったのは、創業者の復活でも模倣でもなく、創業者不在でも成立する「純粋性の方法論」を据え直すことだった——そしてそれは、資本が五度目の主を迎えた時代の話でもある。

創業者が三度去ったメゾンに、安定は可能だったのか

まず押さえておきたい事実がある。
マイヤー夫妻が引き継いだのは、ただのブランドではなく「創業者が三度逃げ出した現場」だった。

ジル・サンダーはプラダ(Prada)傘下に入って以降、CEOパトリツィオ・ベルテッリ(Patrizio Bertelli)との対立から2000年1月に一度退き、2003年5月に戻り、2004年11月にまた去った。
そしてオンワードホールディングス(Onward Holdings)時代の2012年2月、三度目の復帰を果たす。
だがそれも長くは続かず、2014年春夏をもって再び離脱した。
創業者の名を冠したメゾンから、創業者が繰り返し消える。
この反復が、ジル・サンダーというブランドの通奏低音である。

その後を受けたのがロドルフォ・パリアルンガ(Rodolfo Paglialunga)で、2015年春夏から指揮を執った。

マイヤー夫妻の就任は2017年。
つまり彼らは、創業者の亡霊と、短命に終わった前任者の両方を背負ってスタートした。
ここで普通に考えれば、問いはこうなる——創業者がいないミニマリズムに、そもそも固有の価値などありうるのか。
削ぎ落としの女王が削いだからこそ意味があったのではないか。

答えを急がない。
まず彼らが何者だったかを見ておきたい。

異質な経歴の二人が、なぜ「削減」に行き着いたのか

結論から言えば、マイヤー夫妻の強みは「ミニマリズムの外から来た」ことにあった。

ルーシー・マイヤーの経歴は、むしろ装飾と物量の側にある。
ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)、バレンシアガ(Balenciaga)、そしてクリスチャン・ディオール(Christian Dior)では暫定クリエイティブディレクターを務めた。
いずれも、何かを「加える」ことで価値を生むメゾンだ。

一方のルーク・マイヤーは、さらに遠い。
シュプリーム(Supreme)のデザインディレクターを経て、OAMCを共同創業している。
ストリートとアウトドアの語彙を知る人間である。

この二人が、よりによって「削減の徹底」を掲げるメゾンの舵を握った。
ちぐはぐに見える。
実際、就任当初はそう見られた節もある。
だが振り返ると、この異質さこそが効いていた。
ミニマリズムの内側で育った人間は、削ることを教義として信じてしまう。
外から来た二人は、削ることを「信仰」ではなく「選択肢」として扱えた——どこまで削り、どこで止めるか、その手前に無数の「足す」経験があったからだ。

もっとも、当時それを明確に言語化した者は多くない。
評価はもっと地味な形でやってきた。
注文が続く、顧客が離れない、コレクションが静かに成立する。
派手な神話ではなく、持続という形で。

ここに、このメゾンのDNAが素直に乗った。
クリーンなライン、簡潔なシルエット、モノクロームか狭い色域、カシミヤ・ウール・シルクといった上質素材。
バウハウス(Bauhaus)に根ざした建築的な明快さ。
「less is more」。
マイヤー夫妻はこれを発明し直したのではない。
流行に流されず長く着られるという、ブランドが元から持っていた命題を、淡々と実行し続けた。

創業者不在のミニマリズムは、カリスマではなく継続によって証明される。
その逆説を、彼らは8年かけて示した。

具体物で見る、再解釈の手つき

抽象論はここまでにして、彼らが実際に作ったものを三つ見ておきたい。
どれも「削る」という同じ方法論の、異なる現れである。

ひとつめは Jil Sander+。
アウトドア環境のために作られたラインで、「屋外でも美学や品質に妥協しない人間」のための服という設計思想を持つ。
機能とエレガンスは対立しない——この命題はブランドの出自そのものだが、それをアウトドアという最も機能が前面に出る領域に持ち込んだのは、OAMCやシュプリームを通ってきたルーク・マイヤーの経歴と無関係ではないだろう。

ふたつめは2023年春夏。
womenswear と menswear を統合し、West Coast(アメリカ西海岸)に着想を得たコレクションだ。
ここで思い出しておきたい——創業者ジル・サンダー自身、1963年から64年にかけてUCLA、つまり西海岸で過ごした経験を持つ。
狙ってのことかは分からない。
ただ、ジェンダーを横断するワードローブという現代的な発想と、西海岸という土地の記憶が、一着の中で重なっていたのは確かだ。

みっつめは2024年春夏の広告キャンペーン。
ジャック・デイヴィソン(Jack Davison)がスペインのカナリア諸島(Canary Islands)で撮影した。

これらを並べると、ひとつの着地が見えてくる。
アウトドアでは機能へ、春夏統合では境界の消去へ、キャンペーンでは光と土地へ。
削る対象は毎回違うが、「何を残すか」の判断基準は一貫して構造の整合性にある。
これは創業者の方法論であり、同時に、創業者なしで回せる方法論でもあった。

8年を閉じたのは、美学ではなく資本の論理だったのか

ここで一度、立ち止まる必要がある。
順調に見えた8年が、なぜ2025年2月の退任で終わったのか。

マイヤー夫妻の退任が発表されたのは2025年2月、2025年秋冬が最後のコレクションとなった。
後任には、2025年3月、シモーネ・ベロッティ(Simone Bellotti)が指名された。
ベロッティはバリー(Bally)でデザインディレクターを務め、2023年5月にトップに就いた人物で、グッチ(Gucci)には16年在籍したという経歴を持つ。
彼の初コレクションは2025年9月、ミラノ・ファッションウィークで披露される予定だ。

交代の理由を、美学の行き詰まりに求めたくなる。
だが、ここで見たいのは別の数字のほうだ。

2021年3月5日、OTB Group がオンワードホールディングスからジル・サンダーを取得した。
レンツォ・ロッソ(Renzo Rosso)率いるこのグループは、クリティカルマスの拡大と「Made in Italy」の推進を掲げての買収だった。
そして、OTB Group の2024年度純売上は前年比ほぼ5%減となっている。

ジル・サンダー単体の売上は、OTB の数字からは切り分けられていない。
だから、このメゾンがグループ全体の減収にどう寄与したのか、あるいはしなかったのかは、公表された事実の範囲では断定できない。
ここは分からないまま置く。

それでも、構図は見える。
「妥協しない」を掲げる思想体が、プラダ、チェンジ・キャピタル(Change Capital Partners)、オンワード、OTBと資本の手を次々に渡ってきた——この反復の最新の局面に、マイヤー夫妻の退任は位置している。
創業者ジル・サンダー本人が、ベルテッリとの対立という資本の論理で三度去ったのと、構造は似ている。
違うのは、今回のメゾンにはもう創業者がいないことだ。

さらに言えば、ドイツ的合理主義を出自とするブランドが「Made in Italy」を掲げるグループの中にある、という緊張も残っている。
ヴェッセルブーレン(Wesselburen)に生まれ、クレーフェルトの繊維学校で学び、バウハウスの機能主義を服に翻訳した「鉄の女(Iron Lady)」の美学は、イタリア発のラグジュアリー戦略の中でどう折り合うのか。
この問いは、ベロッティにそのまま引き継がれる。

削っても消えないもの

最初の問いに戻る。
創業者がいないミニマリズムに、固有の価値はあるのか。

マイヤー夫妻の8年は、この問いに完全な答えは出していない。
彼らがいなくなった今、またベロッティという別の手に委ねられ、純粋性の方法論はもう一度再解釈される。
創業者を超えて方法論が独り歩きする——それはこのメゾンの宿命であり、同時に弱点でもある。
カリスマ不在で成立するということは、カリスマによる跳躍もまた起きにくい、ということだ。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。
1975年、パリでジル・サンダーのミニマリズムが酷評されたとき、削ることは時代遅れだった。
それから半世紀、削ることは「選択肢」ですらなく、現代のワードローブの前提になった。
マイヤー夫妻が異質な経歴から持ち込んだのは、まさにこの前提の上で、どこまで削り、どこで止めるかという成熟した判断だった。

削ぎ落としの女王が去っても、削ぎ落としは残った。
それを8年かけて証明したことが、夫婦二人の仕事の核心である。
次にベロッティが示すのは、残ったものをさらに削れるのか、それとも——時代がまた追いついてくるのを待つのか。
そちらはまだ、誰にも分からない。

FAQ

ルーシー・マイヤーとルーク・マイヤーは、以前どこで働いていたのか

ルーシー・マイヤーはルイ・ヴィトン、バレンシアガ、クリスチャン・ディオール(暫定クリエイティブディレクター)を経ている。
ルーク・マイヤーはシュプリームのデザインディレクターを務め、OAMCを共同創業した。
装飾やストリートの側から来た二人が、削減を掲げるメゾンを率いた点に特徴がある。

Jil Sander+とは何か

アウトドア環境でも美学や品質に妥協しない人のために、マイヤー夫妻が立ち上げたラインである。
機能とエレガンスは対立しないというブランド本来の命題を、機能が最も前面に出るアウトドア領域に持ち込んだものといえる。

マイヤー夫妻の後任は誰で、いつデビューするのか

シモーネ・ベロッティが2025年3月に新クリエイティブディレクターに指名された。
バリーのデザインディレクターを経た人物で、グッチに16年在籍した経歴を持つ。
初コレクションは2025年9月のミラノ・ファッションウィークで披露される予定である。

次に読む

このブランド 【徹底ブランド解説】知られざるジル・サンダー(Jil Sander)の歴史|削ることで贅沢を測った、鉄の女のメゾン
Jil Sander の歴代 5人のうち 2人を公開
シモーネ・ベロッティ ルーシー&ルーク・マイヤー ラフ・シモンズ ミラン・ヴクミロヴィッチ ジル・サンダー

Jil Sander の記事