グッチのバッグの持ち手がなぜ「竹」なのか知ってる?戦争が生んだ意外な理由

2026.09.05 Gucci 編集部
竹のハンドルが東洋趣味ではなく、材料不足という欠乏から生まれた代用の産物であることを理解させる

答えを先に言う。
あの竹は、東洋への憧れでも粋な遊び心でもない。
革が手に入らなかったから、竹で代用しただけだ。
第二次大戦末期のフィレンツェで、職人たちが目の前の物資不足に追い詰められた末に選んだ、いわば苦肉の策だった。

それが今も作られ続けている。
ここに、この記事で追いかけたい一つの問いがある。

竹は「趣味」ではなく「なけなし」だった

まず動かない事実から。
バンブーバッグ(Bamboo Bag)は1947年に生まれ、持ち手には日本産の竹が使われた。
理由は戦争末期の材料不足である。

上質な革が要る。
だが、その革がない。
ならばどうするか。
グッチ(Gucci)のアトリエが出した答えが、しなやかで丈夫な竹を火で炙って曲げ、半円のハンドルに仕立てるという方法だった。

東洋趣味に見える。
ただ、出発点はそこではなかった。

ここで、多くの人が思い描く物語との食い違いが起きる。
竹のハンドルと聞けば、私たちはつい「日本文化に着想を得た優雅な意匠」と読みたくなる。
実際、そう語られることも多い。
しかし材料の履歴をたどると、順序が逆だと分かる。
憧れが竹を選んだのではない。
竹しか残っていなかったから、竹が選ばれた。

美意識が先にあって素材を探したのではなく、素材の欠乏が先にあって、そこから意匠が立ち上がった。
この向きの違いが、この一本のバッグの核心にある。

そもそも、なぜ革が消えたのか

制約はこのときが初めてではなかった。
グッチは一度、同じ壁にぶつかっている。

1930年代、国際連盟がイタリアに対して経済制裁(禁輸)を科した。
皮革をふくむ物資の流れが細る。
創業者グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)が1921年にフィレンツェで興した皮革工房にとって、革が足りないというのは商売の根幹が揺らぐ事態だった。

このときメゾンが編み出したのが、あのGGを組み合わせた菱形模様のキャンバス地、ディアマンテ(Diamante)である。
革の不足を、丈夫な布地で補った。

つまり竹より前に、布があった。

一つの型がここで見えてくる。
足りないものを嘆く代わりに、手元にあるもので置き換える。
そして置き換えたものが、いつのまにかメゾンの顔になる。
GGキャンバスがそうだった。
竹のハンドルもそうなった。

戦時の竹は、この工房がすでに一度くぐり抜けていた発想の、二度目の実践だったと言っていい。

1930年代の国際連盟による対イタリア禁輸が革不足を招き、GGキャンバスを生んだ政治的制約の連鎖を理解させる

給仕の青年が見ていたもの

なぜグッチオ・グッチは、革が消えてもなお「鞄」に執着したのか。

彼は1881年、トスカーナのフィレンツェに生まれた。
父ガブリエッロは皮革職人だったから、手仕事は血に流れていた。
だが決定的だったのは、家業より外の景色だったらしい。

若い頃、彼はロンドンのサヴォイ・ホテルで働いている。
ベルボーイ、あるいは荷物運びとして。
富裕な客がまとう豪奢な旅行鞄を、毎日その手で運んだ。
上等な革の匂い、精緻な金具、旅という贅沢そのものの重み。

この観察が出発点になった、と広く語られている。
フィレンツェに戻った彼は皮革会社フランツィ(Franzi)で経験を積み、やがて自分の店をVia della Vigna Nuovaに構える。
乗馬用具と旅行鞄。
最初から、階級と旅への憧れを売る商売だった。

だから、革がなくなっても鞄をやめるという選択はなかったのだろう。
売っていたのは革そのものではなく、旅の高級感という感覚のほうだったからだ。
素材が変わっても、売るべきものは変わらない。
竹のハンドルは、その一貫性の産物でもある。

サヴォイ・ホテルで富裕客の旅行鞄を運んだ青年の観察眼が、旅の憧れを売る商売の出発点になったことを象徴する

苦し紛れが、なぜ名品になったのか

問いに戻る。
なけなしの代用品が、どうして七十年以上も残ったのか。

まず、竹という素材そのものが効いている。
炙って曲げた竹は軽く、強く、そして一本ごとに節や色味が違う。
革では出せない有機的な表情が、偶然そこに宿った。
必要から選んだはずの素材が、思いがけず唯一無二の見た目を持っていた。

だが素材だけでは、これほど長くは残らない。
時代の流れも竹の味方をした。

戦後、グッチは急速に外へ広がっていく。
1938年にローマ、そして1953年にはイタリア国外初となるニューヨーク店を開いた。
この開店をめぐっては、グッチオの死の二週間前だったとする説と、死後だったとする説があり、記録はきれいには一致しない。
いずれにせよ、彼が世界進出の入口を見届けた、あるいは見届けそこねた、その境目にこの転機はあった。

海を渡ったイタリア製の鞄。
そこに付いた東洋の竹のハンドル。
皮肉なことに、戦時の欠乏から生まれたその意匠は、平時の豊かな市場で「異国的でモダンなアクセント」として受け取られていく。

生まれの事情と、受け取られ方が、ここで完全に入れ替わった。
作った側の切実さは、買う側にはエキゾティシズムとして届いたわけだ。

戦時の欠乏から生まれた竹が、平時の豊かな市場でエキゾティシズムとして受け取られ、生まれと受容が入れ替わった逆説を理解させる

制約から生まれたのは、竹だけではない

竹を主役に据えると、グッチというメゾンの体質そのものが見えてくる。

このメゾンは、繰り返し制約を意匠へ変えてきた。
並べてみる。

  • GGキャンバス——禁輸による革不足から生まれた、菱形模様の布地。
  • バンブーの持ち手——戦争末期の材料難から生まれた、竹のハンドル。
  • 緑・赤・緑のウェブ——馬具の腹帯に由来する織テープ。1951年までに(一説には1950年に)導入された。
  • 組み合わせたG——創業者のイニシャルを紋章化したロゴ。Aldo Gucciが1960年代に手がけたとされるが、1933年説もあり、時期は定まらない。

四つとも、乗馬という実用の記憶か、欠乏という現実の産物だ。
ゼロから発明された「デザイン」は、この中に一つもない。

腹帯のテープは、馬の鞍を固定する道具の色をそのまま持ち込んだものだった。
イニシャルの紋章は、職人が自分の名を作品に刻む古い習慣の延長にすぎない。
どれも、はじめは意味より用途だった。
用途が先にあり、記号は後から憧れをまとった。

竹のハンドルは、この体質のもっとも劇的な標本である。
戦争という最悪の制約が、最も長生きした意匠を生んだのだから。

竹を守り続けた者たちは、竹に守られなかった

もう一つ、開いたままにしておいた話がある。
制約を美へ変え続けたこの一族が、その後どうなったか。

竹やキャンバスの物語は、手仕事と家族の物語として語られてきた。
グッチオは息子のAldo、Vasco、Rodolfoを事業に引き入れ、家業として育てた。
Aldoは1953年から1986年まで会長を務め、メゾンを世界規模へ押し上げる。

ところが、その家族が崩れる。

1980年代の骨肉の争いを経て、1993年までにグッチ一族は自社の資本から完全に締め出された。
さらにRodolfoの息子Maurizio Gucciは、元妻Patrizia Reggianiが仕組んだ暗殺で命を落とす。
彼女は18年を獄中で過ごした。
上品な竹のハンドルの裏側に、これほど暴力的な家族崩壊が刻まれている。

創業の物語を掲げながら、その物語の主役だった一族は、自ら舞台を降りることになった。

以後のグッチは、外から来た才能に周期的に姿を変えられていく。
Tom Fordの官能。
Frida Gianniniの回帰。
Alessandro Micheleの耽美。
1999年からはフランスのKeringの傘下に入り、フィレンツェの皮革工房は、いつしかグローバル資本のポートフォリオの一部になった。

制約を様式に変える力は残った。
制約を変え続けた家族のほうは、残らなかった。

欠乏が、いちばん長く生き延びる

だから、あの竹のハンドルを手にするとき、私たちが触れているのは優雅な東洋趣味ではない。
革が消えた戦時のアトリエで、それでも鞄を作り続けようとした職人たちの、切実な代用の跡だ。

サヴォイ・ホテルで富裕客の旅行鞄を運んでいた青年が売りたかったのは、旅への憧れという感覚だった。
革が尽きても、その感覚を手放さなかった。
だから竹が選ばれた。
憧れが先で、竹が後。
順序を戻せば、この一本のバッグはやはり、あの給仕の青年の観察眼にまっすぐつながっている。

欠乏から生まれたものが、いちばん長く生き延びた。
竹はそのことを、七十年以上も黙って証明し続けている。

FAQ

バンブーバッグの竹は本当に日本産なのですか?

検証済みの記録では、1947年のバンブーバッグには持ち手に日本産の竹が使われたとされています。
戦争末期の材料不足のなかで選ばれた素材でした。
産地の詳細な変遷までは、ここで断定できる範囲を超えます。

竹を使ったのは日本文化への憧れからではないのですか?

違います。
少なくとも出発点は美的な選択ではなく、革などの材料が手に入らなかったという物資不足への対応でした。
異国情緒として受け取られるようになったのは、むしろ後年の平時の市場においてです。

GGキャンバスと竹のハンドルは関係がありますか?

直接の関係はありませんが、発想は同じです。
GGキャンバスは1930年代の禁輸による革不足から、竹のハンドルは戦争末期の材料難から生まれました。
どちらも「足りないものを別のもので置き換える」というグッチに繰り返し現れる型の産物です。

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