【Jil Sander|シモーネ・ベロッティ期】Gucciで16年を過ごした男が、削ぎ落としのメゾンに迎えられた意味
装飾を足して価値を生むメゾンばかりを渡り歩いた男が、何を削れるかで品質を測るブランドのトップに座った。
この人選は、Jil Sander(ジル・サンダー)がどこへ向かおうとしているかを、初コレクションが出る前にすでに語っている。
2025年3月、シモーネ・ベロッティ(Simone Bellotti)がクリエイティブディレクターに就いた。
経歴を追うほど、ちぐはぐに見える。
けれど、そのちぐはぐさこそが選ばれた理由ではないか、というのがこの記事の見立てだ。
答えは2025年9月、ミラノで出る。
その前の助走を、確かめられた事実だけで記録しておきたい。
経歴だけ見れば、これは「逆」の人選である
ベロッティがJil Sanderに持ち込むのは、装飾と色彩の血統だ。
ボッテガ・ヴェネタ(Bottega Veneta)、ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferré)、A.F.ヴァンデルヴォルスト(A.F. Vandervorst)、そしてグッチ(Gucci)に16年。
直前はバリー(Bally)でデザインディレクターを務め、2023年5月にトップへ引き上げられたばかりだった。
グッチ在籍年数を18年とする資料もあるが、多くは16年で一致する。
この並びを眺めて、まず思うことがある。
どれも、足すことで語るメゾンだ。
フェレの建築的なまでに盛られたシルエット、ドルチェ&ガッバーナの饒舌なイタリア性、グッチの過剰なまでの装飾。
ベロッティはその渦中で16年を過ごした。
一方のJil Sanderは、真逆の原理で動いてきた。
創業者ジル・ザンダー(Heidemarie Jiline “Jil” Sander、1943年生まれ)の哲学は、削減の徹底にある。
余計な要素を排し、構造の整合性だけを残す。
バウハウス(Bauhaus)に根ざした建築的な明快さ、モノクロームか狭い色域、カシミヤ・ウール・シルクといった上質素材。
「less is more」を地で行くメゾンだ。
彼女自身が「Queen of Less(削ぎ落としの女王)」と呼ばれ、品質への非妥協ゆえに「Iron Lady」とも呼ばれた。
足す人間が、引くメゾンに来た。
これをミスマッチと読むのは簡単だ。
ただ、そう結論づける前に、Jil Sanderというメゾンが「誰を迎えてきたか」を見ておく必要がある。
このメゾンは、ずっと「外から来た解釈者」で回ってきた
実は、創業者の美学を外部の人間が引き継ぐこと自体は、Jil Sanderにとって例外ではない。
それどころか常態だった。
話を1999年に戻す。
プラダ・グループ(Prada Group)が株式の75%を取得し、翌2000年1月、ジル・ザンダー本人がCEOパトリツィオ・ベルテッリ(Patrizio Bertelli)との対立から会長兼チーフデザイナーを辞任した。
ここから、創業者不在の実験が始まる。
まずミラン・ヴクミロヴィッチ(Milan Vukmirovic)。
着任は2000年11月末とも2001年とも伝わるが、2003年5月まで広告からストアイメージ、男女のプレタポルテまでを統括した。
次がラフ・シモンズ(Raf Simons)だ。
就任月は2005年7月とも5月とも記録が分かれるが、2012年まで指揮を執った。
彼のウィメンズは最後の三シーズンで花開いたと広く語られる。
とりわけ最終となった2012年秋冬、ふくよかなスウィートピンクのダブルフェイス・コートで女性的な柔らかさに向かったコレクションは、傑作と評された。
削ぎ落としのメゾンに、シモンズは別種の官能を接いだ。
ここが肝心なところだと思う。
ヴクミロヴィッチもシモンズも、Jil Sanderの純粋主義をそのまま守ったわけではない。
それぞれの手つきで「純粋性の方法論」を翻訳した。
創業者が三度去ってもなお、ミニマリズムという設計思想は、デザイナーが替わるたびに読み直されてきた。
ジル・ザンダー本人を超えて、純粋性の方法論が独り歩きしている。
ちなみに、創業者の出入りは一度では済んでいない。
2003年に復帰して2004年に再び辞任、2012年に三度目の復帰を果たし、2014年春夏を最後にまた去った。
つまりJil Sanderとは、創業者の筆跡を保存するメゾンではない。
削減という「文法」だけを継ぎ、語彙は入れ替える構造で生き延びてきた。
だとすれば、問いは変わる。
ベロッティが装飾の人間かどうかではない。
彼がこの文法を、どう翻訳できるか、だ。
削減は、装飾を知らない者には書けない
「装飾のメゾン出身者に、削ぎ落としができるのか」。
この反問に「できるはずがない」と答えるのは早計だ。
むしろ逆の読み方がある。
何を削れるかを測れるのは、何を足せるかを知り尽くした者だけではないか。
グッチの16年を考える。
あの過剰さの現場で、ベロッティは装飾がどこで効き、どこで崩れるかを嫌というほど見てきたはずだ。
素材の選び方、ステッチの一本が持つ重さ、色の増やし方。
装飾の文法を体で覚えた人間は、その逆算もできる。
削るとは、ただ無くすことではない。
何を残せば構造が立つかを知らなければ、ただの貧しさになる。
Jil SanderのDNAは、まさにそこにある。
余計を排して構造の整合性を露わにする。
これは引き算の美学であると同時に、残すべきものを見抜く眼の問題だ。
ラフ・シモンズもまた、ミニマリズムの純血ではなかった。
彼はメンズ出身で、Jil Sanderで初めて本格的にウィメンズと向き合い、そこに自分の語彙を持ち込んだ。
外から来た解釈者が、異質な血で文法を更新する。
このメゾンが繰り返してきたのは、そういう継承だった。
ベロッティの装飾的経歴は、この系譜から外れていない。
むしろ忠実ですらある。
「Made in Italy」の傘の下で、ドイツ的合理主義はどう響くか
ただ、手放しで期待を書くわけにはいかない。
ベロッティの人選には、別の緊張が貼りついている。
Jil Sanderはいま、レンツォ・ロッソ率いるOTBグループの傘下にある。
2021年3月、オンワードホールディングス(Onward Holdings)から取得された。
OTBがこのメゾンを迎えた理由は明快で、規模の確保と「Made in Italy」の推進だ。
ここに、小さな、しかし無視できない違和感がある。
Jil Sanderの出自は、ドイツだ。
創業者はヴェッセルブーレン生まれ(ハンブルクとする資料もあるが、多くはヴェッセルブーレンで一致する)。
1968年、24歳でハンブルクに最初のブティックを開いた。
このメゾンの合理主義、バウハウス由来の機能美は、紛れもなくドイツ的な知性の産物である。
それが「イタリアのものづくり」を掲げる企業の中で、イタリア人クリエイティブディレクターによって運営される。
ここでひとつ、確かめられる範囲の緊張を置いておきたい。
バウハウスの削減とは、思想の削減だった。
装飾を剥ぎ、形の背後にある構造と機能だけを信じる。
それは「個人の解放」――Jil Sanderの設計思想が掲げてきた言葉そのものと結ばれている。
装飾という社会的符牒を脱いだとき、着る者は様式の命令から自由になる。
ドイツ的合理主義のこの冷たさは、素材を「選び抜いて残す」ことに向かう。
対してイタリアのものづくりは、職人の手の痕跡、工房の蓄積、素材を「活かし尽くす」饒舌さに価値を置いてきた。
同じ上質なウールを前にして、一方は余白のために削り、一方は手わざを見せるために足す。
矛盾というほど激しくはない。
Jil Sanderが基盤をミラノに移したのは1985年、ミラノ・コレクションに参加したのは1987年で、イタリアとの縁は古い。
それでも、純粋性と個人の解放を掲げた思想体が、資本の手を次々と渡ってきた事実は残る。
プラダ、チェンジ・キャピタル(Change Capital)、オンワード、そしてOTB。
「妥協しない」はずの美学が、妥協を強いる企業構造の中でだけ生き延びてきた。
この皮肉は、ベロッティの代で消えるものではない。
むしろ彼は、それを引き受ける位置にいる。
数字も楽観を許さない。
OTBグループの2024年度の純売上は前年比で5%近く減った。
Jil Sander単体の数字は公表されていないが、グループ全体が逆風にあるなかでの船出であることは確かだ。
装飾の血統を持つディレクターに、削減のメゾンを託す。
これは美学の賭けであると同時に、経営の賭けでもある。
前任者が残したもの、ベロッティが受け取るもの
直前の時代を確認しておく。
ルーシー&ルーク・マイヤー(Lucie and Luke Meier)夫妻は2017年に共同クリエイティブディレクターに就き、2025年2月に退任を発表、2025年秋冬が最後のコレクションとなった。
二人の経歴もまた、純血ではない。
ルーシーはルイ・ヴィトン、バレンシアガ、クリスチャン・ディオール(インテリムのクリエイティブディレクター)を経てきた。
ルークはシュプリーム(Supreme)のデザインディレクターを務め、OAMCを共同創業した人物だ。
ストリートとクチュールの交差点にいた二人がJil Sanderで試みたのは、男女のワードローブを統合する現代性だった。
2023年春夏はウィメンズとメンズを融合させ、西海岸に着想した。
アウトドア環境でも美学と品質に妥協しない「Jil Sander+」も彼らの仕事だ。
マイヤー夫妻が退任後どこへ向かうのかは、まだ明らかになっていない。
2025年初頭に新たなCEOとチーフストラテジーオフィサーが任命されたと伝わるが、その詳細も見えていない。
ベロッティは、こうした未確定のなかに着任した。
前任者たちが更新してきた「削減の文法」を、彼がどの語彙で書き直すのか。
その答えだけは、ここでは出せない。
結び——9月のミラノまで、問いは開いている
経歴だけ見れば逆の人選だった。
けれど、Jil Sanderの継承史を重ねると、ベロッティは例外ではなく系譜の内側にいる。
外から来た解釈者が、異質な血で削減の文法を翻訳する。
このメゾンは、ずっとそうやって創業者不在のまま純粋性を更新してきた。
1975年、華美を求めるパリでジル・ザンダーのミニマリズムは酷評された。
時代が後から追いついた、とのちに語られる物語だ。
装飾の時代に削ぎ落としを貫いた女が始めたメゾンに、いま、装飾の現場で16年を過ごした男が立つ。
何を足すかではなく、何を削れるか。
その問いにベロッティがどう答えるかは、2025年9月、ミラノで初めて服になって現れる。
足す文法を知り尽くした手が、引く美学を書けるのか。
判断は、その日まで取っておく。
FAQ
シモーネ・ベロッティはJil Sanderで何代目のクリエイティブディレクターですか?
人物を一人一回と数えれば5人目にあたります。
創業者ジル・ザンダー本人のほか、ミラン・ヴクミロヴィッチ、ラフ・シモンズ、ロドルフォ・パリアルンガ(2015年春夏を担当)、ルーシー&ルーク・マイヤー夫妻を経ての就任です。
ただしザンダー本人が三度復帰しているため、就任の回数で数えれば数字は増えます。
2025年3月にマイヤー夫妻の後任として着任しました。
ベロッティの初コレクションはいつ発表されますか?
2025年9月、ミラノ・ファッションウィークでのデビューが予定されています。
本記事は就任時点で確定している事実のみで構成しており、作品そのものの評価は初コレクション発表後に譲ります。
ジル・ザンダー本人は、いまもメゾンに関わっているのですか?
いいえ。
創業者は2014年春夏コレクションを最後に三度目の離脱をしており、以降はメゾンの運営に関わっていません。
皮肉なのは、「Iron Lady」と呼ばれ品質に一切妥協しなかった創業者が、資本との対立のたびに自らの名を冠したメゾンを去ってきたことです。
彼女の名が残り、彼女自身が去る――この構造こそ、Jil Sanderが「筆跡の保存」ではなく「文法の継承」で生き延びてきたことを、何より雄弁に物語っています。