【Calvin Klein|Raf Simons期】2年で去った「語る服」——205W39NYCという賭けと、Collection部門終焉の引き金

2026.10.03 Calvin Klein 編集部
男女二つの創造の軸が同時に空き、それを一人が統合して引き継いだという体制転換を理解させる

結論から言う。
ラフ・シモンズ(Raf Simons)がカルバン・クライン(Calvin Klein)に持ち込もうとしたのは「服で語るブランド」への転換であり、それは批評的には頂点を極めながら、商業の論理の前でわずか2年半で潰えた。
そしてその退任は、個人の失脚にとどまらず、ハイエンドのランウェイ部門そのものの終焉を引き寄せた。

広告で欲望を駆動してきたメゾンに、ランウェイ発の作家性を接ぎ木できるのか。
この賭けの顛末を、着任から部門閉鎖まで、日付で押さえていく。

二人が同時に去った後を、一人で引き継いだ

まず確認すべきは、シモンズが引き継いだのが「空席一つ」ではなかったという事実だ。

2016年4月、ウィメンズを率いていたフランシスコ・コスタ(Francisco Costa)と、メンズを率いていたイタロ・ズッケリ(Italo Zucchelli)が、揃って退いた。
長くウィメンズとメンズを別々の視点で動かしてきた体制が、同じ月に二つとも空いた。

そこへ、同年8月2日付で最高クリエイティブ責任者として着任したのがシモンズである。

ここが見落とされやすい。
彼は片方のラインを継いだのではない。
男女二つのラインを、一人の視点のもとに統合する立場で入った。
デザイナー交代というより、ブランドの創造の軸そのものを一人に預ける判断だったと言っていい。

ジル・サンダー(Jil Sander)、そしてクリスチャン・ディオール(Christian Dior)を経てきた人物を迎える——この起用自体が、カルバン・クラインが何を欲していたかを物語る。
広告の熱量ではなく、ランウェイで通用する作家の署名。
それが欲しかった。

最初のコレクションは2017年秋冬。
着任から最初の発表まで半年あまり。
この短さが、後の評価の速さと退場の速さの両方を予告していたのかもしれない。
ただ、当時それを不吉と見た者はいない。

205W39NYC——住所を名に変えるという宣言

シモンズはまず、名前を変えた。

上位ラインだったカルバン・クライン・コレクション(Calvin Klein Collection)を、「CALVIN KLEIN 205W39NYC」へと改名する。
205W39とは、ニューヨークにある同社本社の住所だ。

一見、奇妙な選択に見える。
ブランド名に番地を足す。
読みにくく、覚えにくく、検索もしづらい。
マーケティングの常識からすれば逆行だ。

だが、ここに意図を読むことはできる。

なぜ「住所」だったのか

住所は、イメージではなく場所を指す。
広告が作り上げてきた抽象的な欲望の記号ではなく、服が実際に作られる物理的なアトリエの所在地を、ブランド名の中心に据えた。

カルバン・クラインのDNAは、創業以来「広告が服以上に文化を動かす」ことを証明し続けてきたブランドだ。
下着とデニムという最も身体に近い衣服を、イメージの力で欲望の記号へ変えた。
その方法は強力で、そして服そのものから注意を逸らす方法でもあった。

住所への改名は、その重心をずらす試みだったように見える。
イメージの発信地から、制作の現場へ。
語るのは広告ではなく、ここで裁たれた服だ、と。

もっとも、これは解釈である。
改名の弁を一語一句たどったわけではない。
ただ、住所という最も即物的な記号をブランドの顔に選んだという事実だけは動かない。

イメージの発信地から制作の現場へと重心を移す試みを、広告と裁断の対比で理解させる

CFDA二冠——批評が頂点に達した年

改名の賭けは、評価の次元ではただちに報われた。

2017年、シモンズはCFDA(アメリカ・ファッション協議会賞)のウィメンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーとメンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを、同じ年に同時受賞する。

この二冠の意味は、彼が置かれた立場をそのまま映している。
男女二つのラインを一人で統合する——その体制だからこそ、両部門の最高評価を一人で持ち去ることが起きた。
前任の二人が別々に担っていたものを、一人が一度に制した形だ。

アメリカのファッション界が、その年、シモンズのカルバン・クラインを頂点と認めた。
これは疑いようがない。

だとすれば、話はここで終わってもよかったはずだ。

男女両部門の最高評価を一人が同時に制した批評的頂点を理解させる

契約満了の8か月前に、彼は去った

ところが、そうはならなかった。

2018年12月、シモンズはカルバン・クラインを退任する。
契約満了の8か月前だった。

CFDA二冠からわずか1年あまり。
批評の頂点と退場のあいだに、ほとんど間がない。
この短さこそが、彼の在任を貫いていた一つの亀裂を露わにする。

評価と商業が、結びつかなかった。

賞が服の価値を認めても、それが売上の数字に変換されなかった。
装飾を削ぎ、身体のラインで語ってきたブランドに「服そのものに語らせる」試みは、批評の言葉では成功し、資本の言葉では成功しなかった。
契約の途中での離脱は、その乖離が修復不能な地点まで来ていたことを示している。

残された問いは一つ。
なぜ「語る服」は、このメゾンでは資本の論理に勝てなかったのか。
これは後半で返す。

退任が引いた引き金——部門そのものの消滅

シモンズの退場は、一人のデザイナーの去就では済まなかった。

2019年、ハイエンドのランウェイ部門であるカルバン・クライン・コレクションそのものが廃止される。
同年1月には、654マディソン・アベニュー(654 Madison Avenue)の旗艦店も閉じた。

つまり、こういうことだ。
シモンズが去ったのではなく、彼が担っていた「ランウェイで作家性を示す」という機能ごと、ブランドから切除された。
デザイナー交代なら後任を立てればいい。
だがカルバン・クラインが選んだのは、後任ではなく部門の閉鎖だった。

ここに、このメゾンの判断の冷徹さがある。

広告のブランドが、広告へ戻った

部門閉鎖の意味を、カルバン・クラインの素性に照らせば見えてくる。

このブランドの神話は、ランウェイで作られたものではない。
身体を見せる広告で作られた。
下着とデニム、クリーンなライン、研ぎ澄まされたシルエット、モノクロームのパレット——それらを文化的アイコンへ押し上げたのは、キャンペーンの熱量だった。

シモンズの2年半は、その素性に逆らう挑戦だった。
そして素性のほうが勝った。
コレクション部門の廃止は、「語る服」を一度あきらめ、「見せる身体」へ回帰する選択にほかならない。

その回帰が、どれほどの数字を生むかを、後年の一つのキャンペーンがあけすけに示すことになる。

「語る服」より強かったもの

2024年1月4日、ジェレミー・アレン・ホワイト(Jeremy Allen White)を起用した春のキャンペーンが公開された。

撮影はマート・アラス(Mert Alas)。
レズリー・ゴア(Lesley Gore)の「You Don’t Own Me(誰にも所有されない)」が流れる。
結果は数字に出た。
48時間で1,270万ドルのメディア価値、初週で下着売上の前年比30%増。

この数字の前では、CFDA二冠の重みさえ霞む。
賞では動かなかった売上が、一本の広告で動いた。

ここに、シモンズの退任を貫いていた問いの答えがある。
カルバン・クラインにおいて、イメージが生む欲望は、服が語る作家性よりも強い。
それも、比較にならないほど強い。
だから「語る服」への賭けは、批評で勝っても資本で負けた。
構造的に、負けるようにできていた。

もっとも、ここには皮肉もある。
流れた曲は「誰にも所有されない」という解放の歌だった。
その歌をまといながら、広告は身体を消費財として差し出し、欲望を管理し、所有している。
解放を歌う声で、所有を売る。
カルバン・クラインが初めから抱えてきた矛盾が、2024年にもそのまま反復されている。

「語る服」は、本当に不要だったのか

ここまでを「このブランドにランウェイは要らなかった」と読まれると、それは違う。

部門閉鎖から6年後、カルバン・クラインは再びランウェイへ戻ろうとしている。

2024年5月30日、ヴェロニカ・レオーニ(Veronica Leoni)がコレクション部門のクリエイティブ・ディレクターに指名された。
ジル・サンダー、セリーヌ(Céline)、モンクレール(Moncler)、ザ・ロウ(The Row)を経て、自身のレーベルQUIRAを率い、2023年のLVMHプライズのファイナリストにも残った人物だ。
彼女はメンズとウィメンズのアパレル、下着、アクセサリーを手がけ、デビューは2025年秋。

そして2025年2月、カルバン・クラインはニューヨーク・ファッションウィークへの復帰を発表する。
6年ぶりの帰還だ。

一度は切除した「語る服」の機能を、ブランドは呼び戻そうとしている。
シモンズの試みが早すぎたのか、方法が違ったのか、それとも資本の体力が当時は足りなかったのか——答えはまだ出ていない。
だが少なくとも、ランウェイを完全に捨てる選択は、最終解ではなかった。

2年半が残したもの

住所をブランド名にした男は、CFDAで頂点を極め、契約を8か月残して去った。
彼の退場は部門ごとの消滅を引き寄せ、旗艦店の扉を閉じさせた。

冒頭の問いに戻る。
広告で欲望を駆動してきたメゾンに、ランウェイ発の作家性は接ぎ木できたのか。
シモンズの2年半は、「できる、ただし売れない」という残酷な答えを出した。
賞は服を称え、数字はそれを拒んだ。

その拒絶が構造的なものだったことは、ジェレミー・アレン・ホワイトの広告が48時間で証明した通りだ。
身体を見せれば売れる。
服で語れば賞は来る。
カルバン・クラインは、この二つの言語の間を今も往復している。

205W39——あの番地は、もうブランド名から消えた。
だが、制作の現場をブランドの中心に据えようとしたあの短い賭けが、6年後のランウェイ復帰の伏線だったのだとしたら。
頂点と退場のあいだのわずかな間隔は、失敗の記録ではなく、まだ返されていない問いだったことになる。

FAQ

ラフ・シモンズはカルバン・クラインに何年在籍したのか?

2016年8月2日に最高クリエイティブ責任者として着任し、2018年12月に退任した。
約2年半で、契約満了の8か月前の離脱だった。
最初のコレクションは2017年秋冬。

なぜ205W39NYCという名前だったのか?

205W39は、カルバン・クラインの本社がある住所の番地を指す。
シモンズは上位ラインのカルバン・クライン・コレクションをこの名に改め、広告が作るイメージではなく、服が作られる現場をブランド名の中心に据えようとした。

抽象的なイメージの記号ではなく、服が作られる物理的な住所をブランド名の中心に据えた宣言を理解させる

シモンズの退任後、ランウェイ部門はどうなったのか?

2019年にハイエンドのランウェイ部門カルバン・クライン・コレクションが廃止され、同年1月には654マディソン・アベニューの旗艦店も閉じた。
その後2024年にヴェロニカ・レオーニがコレクション部門のクリエイティブ・ディレクターに指名され、2025年2月、6年ぶりにニューヨーク・ファッションウィークへ復帰する。

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