【徹底解説】ラフ・シモンズ(Raf Simons)の生涯|家具を学んだ青年が、少年の一瞬を服に変えるまで

ファッションを学ばなかった男が、Jil Sander、Christian Dior、Calvin Klein、Pradaという名だたるメゾンを渡り歩いた。
Raf Simonsが大学で学んだのは、工業デザインと家具デザインである。
その経歴は、彼が服で何をしようとしたのかを最初から言い当てている。
少年という移ろいやすい一瞬を、服という持続する形に留められるのか。
彼のキャリアは、その無理な問いに付き合い続けた記録に見える。
ただ、その出発点にある「決定的瞬間」は、年すら正確には分かっていない。
History
労働者の家に生まれ、家具を学んだ少年
Raf Simonsは1968年1月12日、ベルギーに生まれた。
父ジャック・シモンズは陸軍の夜警、母アルダ・ベッカーズはハウスキーパーだった。
華やかなモード界とは縁遠い、労働者的な家庭である。
進学先はゲンクのLUCA School of Arts。
そこで学んだのは服ではなく、工業デザインと家具デザインだった。
1991年に卒業している。
この事実は小さく見えて、後の彼を決めている。
空間と構造をどう組むか。
その訓練が、服の立体やプロポーションへの感覚になった。
彼は布の裁ち方からではなく、物の作り方からファッションに入ってきた。
布ではなく、物のほうから来た人だった。

師に連れられたパリで、一枚の白に出会う
転機はインターンシップだった。
彼はウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのデザインスタジオで働く。
1991年から1993年の間とされ、ここで初めてファッションの現場に触れた。
決定的だったのは、その師に連れられて訪れたパリである。
Martin Margielaのオールホワイトのショーを見て、デザイナーの道に進むと決めた。
広く語られる逸話はここだ。
家具を学んだ青年が、一枚の白い服の群れに打たれて進路を変えた。
ただ、この「決定的瞬間」は記録が揺れている。
インターン開始を1989年とする資料があり、Margielaのショーを見た年も1990年説と1991年説に割れる。
神話として語られるわりに、年そのものが定まらない。
本人の人生でいちばん有名な場面が、いちばん曖昧なのは皮肉だ。

独学のデザイナーとして——各メゾンの足跡
ここで彼の仕事を時系列で並べておく。
自身のレーベル「Raf Simons」(1995AW〜2023SS)を軸に、Jil Sander(2005〜2012)、Christian Dior(2012〜2015)、Calvin Klein(2016〜2018)、Prada(2020〜、Miuccia Pradaとの共同体制)と移っていく。
出発は1995年、自身の名を冠したレーベルを立ち上げた。
ただし華々しいランウェイデビューではない。
最初のコレクション(1995AW)はビデオプレゼンテーションで発表され、パリでの最初のランウェイショーは1997AWまで待つことになる。
彼の服の核は早くに出ている。
伝統的なテーラリングに、反抗的な若者文化を接ぎ木する。
ボンバージャケットのような街着の記号を軸に、音楽とユースカルチャーの体温を服へ移す。
音楽は彼の作品に欠かせない要素であり続けた。
その象徴が2001AW「Riot! Riot! Riot!」である。
カモフラージュ柄のボンバージャケットを含むこのコレクションは、今も代表作として高く評価されている。
この時期、彼は教壇にも立っている。
2000年から2005年まで、ウィーン応用美術大学のファッション学科教授を務めた。
正規のファッション教育を受けなかった男が、ファッションを教える側に回ったわけだ。

商業メゾンへ——Jil Sander、Christian Dior、Calvin Klein
2005年7月、彼はJil Sanderのクリエイティブ・ディレクターに就き、2012年2月まで率いた。
ここでメンズとアクセサリーを手がけ、成功したウィメンズラインを新たに立ち上げている。
メンズ専門という印象は、この時点で崩れている。
次がChristian Diorだった。
2012年4月から2015年10月までアーティスティック・ディレクターを務め、最初のオートクチュール(2012/13AW)を同年7月に発表した。
独学のメンズデザイナーが、オートクチュールという権威の中心へ踏み込んだ。
そしてCalvin Klein。
2016年8月から2018年12月まで、チーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めた。
彼はランウェイラインを「Calvin Klein 205W39NYC」へと改名し、アメリカ的な記号を美術的に組み替えようとした。
評価は高かった。
2017年のCFDAアワードで、彼はCalvin Kleinのウィメンズとメンズ両部門のデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞したとされ、翌2018年もウィメンズで連覇した。
ただし、2017年のメンズ部門については記録が割れている。
受賞者をSimonsとする資料と、Supremeとする資料があるのだ。
ウィメンズでの受賞は一致するが、メンズの帰属は一枚岩ではない。
評価の頂点でも、任期は短かった。
Calvin Kleinは約2年で終わっている。

メゾンの外で——コラボレーションと美術家との協働
彼の仕事はメゾンの中だけでは語れない。
Eastpak、Fred Perry、Adidas、Kvadratといったブランドとコラボレーションを重ねてきた。
街着やスポーツの記号を、自身の文脈に引き込む作業だ。
美術家との協働も深い。
Sterling Rubyらと組み、コレクションやセットデザインを手がけている。
服を単独の作品ではなく、空間や美術と地続きのものとして扱う姿勢は、家具を学んだ出自とつながって見える。
日本との縁もあった。
自身のブランドの世界初の旗艦店は、2008年に東京にオープンしている。

なぜ彼は自分のブランドを畳んだのか
その東京の旗艦店は、長く続かなかった。
2010年10月末に閉店している。
世界初の旗艦店を日本に置いたという事実の華やかさと、わずか2年で閉じたという事実が、同じ場所に同居している。
ブランド運営の商業的な持続は、彼にとって容易ではなかったようだ。
そして2022年11月21日、彼は自身の名を冠したブランド「Raf Simons」の終了を発表した。
2023SSが最後のシーズンとなった。
なぜ畳んだのか。
彼のキャリアを追うと、一つの矛盾が見えてくる。
彼は移ろう若さの一瞬を取り逃すまいと服を作り続けた。
だが自分の名を背負ったブランドを維持し続けることは、別種の重圧を伴う。
一瞬を追う感性と、持続する事業の運営は、必ずしも同じ方向を向かない。
最終的に彼が手放したのは、他人のメゾンではなく、自分の名のほうだった。

Pradaという、もう一つの答え
ブランド終了の2年前、彼はすでに別の形を選んでいる。
2020年、Miuccia PradaとともにPradaを率いる共同体制に入った。
最初の成果は、同年9月にミラノで発表された2021SSウィメンズである。
これは異例だった。
単独の作家としてメゾンを染めるのではなく、もう一人の作家と並んで立つ。
彼のキャリアを振り返ると、この選択には伏線がある。
Jil Sanderではそのミニマリズムの純度を引き継ぎ、Christian Diorではオートクチュールの伝統を自身の構造感覚で再解釈した。
彼は既存メゾンを力づくで自分色に塗り替えるより、その文脈と交渉する姿勢が目立つ。
共同作家という形は、その延長に見える。

神話と、その裏側
彼にはいくつかの神話がある。
一つは、Margielaのオールホワイトのショーがデザイナー転身の決定的瞬間だった、という逸話。
もう一つは、正規のファッション教育を受けない独学者という経歴そのものだ。
どちらも事実に根がある。
だが神話として語られるとき、肝心の年が揺れている点は見落とされがちだ。
インターン開始年もショー観覧年も、資料間で食い違う。
独学という経歴は、既成の格付けや権威主義的な正統性への距離を物語る。
彼が拒んだのは、装飾のための装飾や権威づけられた豪奢だった。
その出自と独学の経歴が、既存の序列への態度をそのまま示している。
こぼれ話
彼の両親は、陸軍の夜警とハウスキーパーだった。
モード界の内側からではなく、その外から来た人物であることを、この出自は端的に語っている。
2003年11月29日には、スイスのルツェルンで開かれたコンテンポラリー・デザイナーコンクールでグランプリを受賞している。
独学の出発から8年ほどで、国際的な評価を得ていたことになる。
そして2023〜2024年のDOVER STREET MARKET GINZAでのアーカイブ展示販売。
「Riot! Riot! Riot!」のボンバーをはじめ、彼の過去作はコレクターズアイテムとして流通している。
一瞬を留めようとした服が、時間を経て蒐集の対象になった。
彼が最初に抱えた問い——移ろう若さと持続する形式は両立しうるのか。
その一つの答えがここにある。
服そのものは留まり、値を付けられ、売買される。
だが、あの白いショーの年が今も定まらないように、留めきれなかった一瞬は、やはりどこかで揺れ続けている。
彼の仕事を貫くのは、ユースカルチャーの美学化という主題だった。
音楽と若者文化を服に不可分な要素として組み込み、それをテーラリングという持続的な形式へ接ぎ木する。
その延長に、ミニマリズム、アーカイブと蒐集、そしてPradaで選んだ共同作家性がある。
FAQ
Q. Raf Simonsはファッションの学校を出ているのか。
いいえ。
学んだのはゲンクのLUCA School of Artsで、専攻は工業デザインと家具デザインだった。
1991年に卒業している。
正規のファッション教育は受けておらず、デザイナーとしては独学の道を歩んだ。
Q. 自身のブランドを立ち上げたのはいつか。
1995年。
最初のコレクション(1995AW)はランウェイではなくビデオプレゼンテーションで発表された。
パリでの最初のランウェイショーは1997AWである。
Q. どのメゾンを率いてきたのか。
Jil Sander(2005〜2012)、Christian Dior(2012〜2015)、Calvin Klein(2016〜2018)を歴任し、2020年からはMiuccia PradaとともにPradaを共同で率いている。
自身のレーベル「Raf Simons」は2022年11月に終了を発表し、2023SSが最後のシーズンとなった。
Q. デザイナー転身のきっかけと言われるMargielaのショーは何年のことか。
記録が食い違っている。
1990年とする資料と1991年とする資料があり、断定できない。
師ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのスタジオでのインターン開始年も、1989年説と1991年説に割れている。
Q. 代表作とされるコレクションは。
2001AWの「Riot! Riot! Riot!」。
カモフラージュ柄のボンバージャケットなどを含み、今も象徴的なコレクションとして高く評価されている。
Q. 日本との関わりは。
自身のブランドの世界初の旗艦店は2008年に東京にオープンしたが、2010年10月末に閉店している。
近年では2023年末から2024年初頭に、DOVER STREET MARKET GINZAでアーカイブの特別展示販売が行われた。



