ヴァレンティノのロックスタッズとは──ローマ建築から生まれた鋲の代名詞、その誕生と現在

2026.10.04 Valentino 編集部
ロックスタッズが素材やシルエットを変えず、縁に鋲を打つ『足し算の装飾』であり、製品を横断する記号であることを理解させる

ピラミッドの形をした金属鋲を、等間隔で並べる。
それだけのモチーフが、なぜヴァレンティノ(Valentino)という赤のメゾンの代名詞になったのか。
答えを先に言う。
ロックスタッズ(Rockstud)は2010年の秋冬コレクションで生まれた比較的新しい記号で、着想源はローマの石積み建築に見られる装飾、ブニャート(bugnato)だった。
ローマという都市の記憶を、靴やバッグの縁に翻訳したのである。

まずは、それが何なのかから。

ロックスタッズは「尖った鋲を規則的に並べる」ただそれだけの装飾

ロックスタッズの正体は、ピラミッド型のスタッズ(鋲)を規則的に配したディテールである。
パンプスのトゥの縁、ストラップの上、バッグのフラップ——輪郭をなぞるように金属の粒が並ぶ。
足し算の装飾だ。
素材そのものを変えるのでも、シルエットを壊すのでもない。
縁に鋲を打つ。
それだけ。

だからこそ応用が利いた。
靴に、鞄に、ベルトに、同じ文法を移植できる。
ヴァレンティノの製品群を横断して「これはヴァレンティノだ」と言わせる、記号としての強度がそこにあった。

ただ、記号が強いことと、それが思想であることは別の話だ。
鋲を並べただけのものが、なぜローマと結びつくのか。
ここが肝心なところで、少し遡る必要がある。

2010年、二人の共同体制が生んだモチーフ

ロックスタッズが世に出たのは2010年の秋冬コレクション。
手がけたのは、当時メゾンの共同クリエイティブ・ディレクターだったマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)とピエルパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)の二人である。

この二人組の立ち位置を確認しておきたい。
創業者ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)が第一線を退いたのは2007年(2008年とする資料もある)。
後任のアレッサンドラ・ファッキネッティ(Alessandra Facchinetti)を経て、2008年からキウリとピッチョーリがメゾンを率いた。
つまりロックスタッズは、創業者という巨大なカリスマが去った直後の、まだ不安定だったはずの時期に生まれている。

創業者なきメゾンが、創業者の名ではなく、新しい記号で自分を語り直そうとした。
そう読むこともできる。

ヴァレンティノといえば、普通はあの赤を思い浮かべる。
1959年の最初のコレクション、”La Fiesta”のドレスとともに生まれ、やがてPantoneに「Valentino Red」という固有色として登録されるに至った、マゼンタ100%・イエロー100%・ブラック10%の、あの赤だ。
色がブランドの魂そのものになった稀有な例である。

その赤のメゾンが、創業者引退後の再出発で打ち出したのは、色ではなく金属の鋲だった。
ここは少し立ち止まる価値がある。

創業者カリスマが去った直後の不安定な時期に、二人の共同体制が新しい記号でメゾンを語り直そうとした歴史的文脈を理解させる

着想源はローマの石積み、ブニャート

ロックスタッズの背景にあるのは、ローマに見られる建築装飾ブニャートだと説明されている。
石を粗く積み、表面に凹凸を残して量感を見せる、あの石積みの意匠だ。
ルネサンス期以降のローマの宮殿やファサードに、いくらでも見つかる。

ヴァレンティノは徹底してローマのメゾンである。
1959年、創業者はローマのコンドッティ通りに最初のアトリエを構えた。
登記上の本社はミラノにあるものの、クリエイティブの拠点とヴァレンティノ財団は今もローマのパラッツォ・ガブリエッリ=ミニャネッリに置かれている。
アトリエ文化も、オートクチュールの伝統も、この都市に根を張っている。

だから、鋲の着想がローマの石にあるというのは、後付けの美談ではなく、メゾンの立地と呼応している。
石の表面の角張った凹凸を、金属のピラミッドに置き換える。
都市の記憶を、身につけられるサイズの装飾に縮める。
そういう翻訳だったわけだ。

もっとも、ここで一つ引っかかりが残る。
ブニャートは「量感」「重さ」「権力の誇示」のための石積みである。
それを靴の縁に移したとき、残ったのは意味なのか、形だけなのか。
この問いは後でもう一度返したい。

鋲の着想がローマの石積み建築ブニャートにあり、都市の記憶が身につく装飾へ翻訳されたメゾンのDNAを理解させる

2021年、ピッチョーリが鋲を肥大させた──Roman Stud

ロックスタッズの物語には続きがある。
2021年、今度は単独体制となっていたピッチョーリが、春夏のランウェイで「Roman Stud」を打ち出した。

これは古典的なロックスタッズを拡大したバージョンだ。
小さな粒を規則的に並べる元のモチーフに対し、Roman Studは鋲そのものを大きくし、面として見せる。
名前に「Roman」を冠した点も見逃せない。
ローマという出自を、商品名のレベルで明示したのである。
着想の背景にあったものを、そのまま記号の名前に昇格させた。

ピッチョーリはこの時期、色についても大胆だった。
2022年には「Pink PP」と名づけたショッキングピンクに、プレタポルテのコレクションをほぼ丸ごと捧げている。
創業者のValentino Redという神話的な一色に対して、後継者が新しい一色をぶつける。
伝統を守るのではなく、同じ手つきで更新してみせる。
鋲でも色でも、彼がやっていたことは一貫していた。

キウリとピッチョーリの共同体制は2016年まで。
以降、ピッチョーリは2024年3月まで単独でメゾンを率いた。
在籍は25年に及んだ。

Roman Studが古典ロックスタッズを拡大し、面として見せ、名前に出自ローマを昇格させた更新であることを理解させる

そして現在地──ミケーレ体制への交代

ピッチョーリの離脱で、ヴァレンティノは再び創業者交代と同じ問いの前に立たされている。
記号は人を超えて生き延びられるのか、という問いだ。

2024年秋のコレクションは、全身を黒で統一したものだった。
これがピッチョーリにとって最後の仕事になった。
赤のメゾンの長い担い手が、無彩色で幕を引いたことになる。
離脱の余波は大きく、メゾンは2024年6月に予定していたメンズとオートクチュールのショーを中止している。

後任はアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)。
クリエイティブ・ディレクターとしての役割は2024年4月2日に正式に始まり、最初のコレクションは2025年春夏、同年9月のパリ・ファッション・ウィークでのデビューが見込まれた。
ミケーレにとって、ここで初めてオートクチュールのコレクションを手がけることになる。

経営の構図も押さえておきたい。
メゾンはカタールのMayhoola for Investmentsの傘下にある。
2012年に約7億ユーロで買収された後、2023年にはKeringが30%の株式を17億ユーロで取得した。
合意には、Keringが2028〜29年までに全株式を取得できる選択権が含まれている。
ローマの石と手仕事の物語を掲げるメゾンが、所有という水準では国境を越える資本の論理のなかにある。

鋲一つの話が、最後は資本の話に行き着く。

鋲は、意味なのか形だけなのか

先に開けておいた問いに戻る。
ブニャートの「重さ」を、靴の縁に移したとき、残ったのは意味か、形だけか。

正直に言えば、ロックスタッズを身につける人の大半は、ローマの石積みを思い浮かべてはいないだろう。
残ったのは形である。
金属のピラミッドという、識別可能な記号だけが流通した。

だが、それこそがこのモチーフの達成だったのかもしれない。
創業者なきメゾンが、創業者の名でも赤でもなく、新しい記号を一から育て、商品群を横断させ、Roman Studへと拡大させ、担い手が交代してもなお「ヴァレンティノらしさ」の一部であり続けている。
意味が抜けても、形が残り、形が残れば、メゾンは続く。

ローマの石の記憶は薄れても、鋲は残った。
ピラミッドの形をした金属の粒。
それだけのものが、一人のカリスマから独立して、メゾンそのものの署名になった。
赤が一人の情熱から生まれて制度になったように、鋲もまた、誰のものでもない記号になろうとしている。
その行方を、今はミケーレが握っている。

FAQ

ロックスタッズはいつ誕生したのですか?

2010年の秋冬コレクションです。
当時の共同クリエイティブ・ディレクター、マリア・グラツィア・キウリとピエルパオロ・ピッチョーリによって生み出されました。

Roman Studとロックスタッズの違いは?

Roman Studは、2021年にピッチョーリが春夏のランウェイで発表した、古典的なロックスタッズの拡大版です。
小さな鋲を規則的に並べる元のモチーフに対し、鋲そのものを大型化し、名前にも出自であるローマを明示しています。

ロックスタッズの着想源は何ですか?

ローマに見られる石積みの建築装飾、ブニャート(bugnato)だとされています。
ヴァレンティノは1959年にローマのコンドッティ通りにアトリエを構えて以来、ローマに根ざしたメゾンであり、その都市性がモチーフの背景にあります。

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