エルメスのシェーヌ・ダンクル(Chaîne d’ancre)とは──錨の鎖を宝飾に変えたRobert Dumasの発想

シェーヌ・ダンクルの造形が装飾ではなく係船用の錨の鎖という機能から生まれたことを理解させる
モチーフは装飾ではなく、係船のための金具である

答えを先に言う。シェーヌ・ダンクルとは、船の錨(いかり)をつなぐ鎖の環をそのまま宝飾に写しとった、エルメス(Hermès)のブレスレットである。考案したのはロベール・デュマ(Robert Dumas)。ケリー(Kelly)バッグやスカーフ・カレのシリーズでもメゾンの骨格を作った人物だ。船具に見いだしたかたちを、なぜ腕に巻くものへと変えたのか。ここにこのメゾンの美意識が、ひとつの鎖のかたちに凝縮している。

モチーフは装飾ではなく、係船のための金具である

まず、名前が正体を語っている。「chaîne d’ancre」はフランス語で「錨の鎖」を意味する。港で船を岸につなぎ、錨を吊るすための鎖――その一環一環のかたちが、このブレスレットの造形そのものだ。

環の中央に横棒(スタッド)が渡されているのが特徴とされる。あれは意匠のための飾りではない。鎖の環が変形して外れないよう補強する、実用上の構造である。装飾から出発したのではなく、力を受け止めるために生まれたかたちだった。

つまり出発点に「美しくしよう」という意図はない。

この順序が肝心だ。まず機能があり、その機能が生んだ輪郭を、あとから美として引き受ける。エルメスがくり返してきた身ぶりが、ここにも見える。もっとも、それを最初に言葉にするより先に、誰がいつ作ったのかを押さえておきたい。

誰が作ったのか──ロベール・デュマという設計者

考案者はロベール・デュマである。創業家に婿として入り、のちにメゾンを率いた人物だ。彼の仕事を並べると、シェーヌ・ダンクルが偶然の思いつきでなかったことがわかる。

  • 1937年、スカーフ「Jeu des omnibus et dames blanches」を手がけ、以後長く続くカレのシリーズの第一号を作った
  • 1930年代にのちのケリーとなるバッグを設計した(「Kelly」の名は1956年、グレース・ケリーが手にした姿が撮られて定着する)
  • 1951年、エミール・エルメス(Émile Hermès)からメゾンの経営を継いだ

そしてシェーヌ・ダンクルのブレスレットも、彼の手から生まれている。

スカーフ、バッグ、宝飾。素材も用途も違う三つに、共通するものがある。既にある文化やモチーフ――絵画の主題、鞍を運ぶ道具、船の金具――を、饒舌にせずかたちだけ抜き出して製品に落とすやり方だ。ケリーが鞍を運ぶ発想の延長にあったように、シェーヌ・ダンクルは港の鎖の延長にあった。デザイナーというより、道具のかたちを翻訳する設計者。それがロベール・デュマだった。

では、なぜ船具だったのか。それを言う前に、エルメスがそもそもいつ宝飾に踏み出したかを見ておく必要がある。

Robert Dumasが道具や文化のかたちを製品へ翻訳する設計者であったことを理解させる

1927年、鞍のメゾンが宝飾に入った

エルメスが宝飾を始めたのは1927年である。翌1928年には時計とサンダルが続いた。

思い出しておきたい。この会社は1837年、ティエリ・エルメス(Thierry Hermès)がパリで開いた馬具工房から始まっている。鞍と馬具。皮革と、二本の針で一本の蝋引き麻糸を往復させる縫い(couture sellier)。それが原点だ。1900年には鞍を運ぶための最初のバッグ、オー・タ・クロワ(Haut à Courroies)を出し、1925年には最初の紳士既製服としてゴルフジャケットを作った。皮革から布へ、道具から服へと、少しずつ領域を広げていた時期にあたる。

宝飾への一歩も、その流れの一環だった。

ここで注意したいのは、エルメスが宝飾に入ったとき、宝飾の常識に従わなかったことだ。宝飾とは本来、貴石を主役にし、その希少性と輝きを見せる領域である。装飾を誇示するための工芸と言ってもいい。ところがシェーヌ・ダンクルには、主役になる石がない。あるのは金属で作られた鎖の輪郭だけだ。

宝飾の入口に、宝飾らしくないものを置いた。この選択は奇妙にも見える。ただ、馬具から出発したメゾンが宝飾を語ろうとするなら、石よりも金具のほうが自分の言葉に近かったのだろう。

馬具から出発したメゾンが宝飾へ踏み出し、石より金具の論理を選んだ流れを理解させる

誇示しないための、道具由来のかたち

シェーヌ・ダンクルが体現するのは、装飾を誇示せず、道具のかたちに機能美を見いだすという文法である。この一本の鎖に、エルメスの思想の核が凝縮されている。

なぜそう言えるのか。三つの点で確かめられる。

第一に、モチーフの出自だ。宝石でも紋章でもなく、港の作業道具の一部品を選んだ。豪奢さの記号ではなく、力を支える構造から出発している。

第二に、造形が機能に忠実であることだ。環の横棒は飾りではなく補強である。美しさは機能の副産物として現れている。

第三に、饒舌でないことだ。石の煌めきで視線を奪うのではなく、鎖の連なりというリズムだけで成立している。声を張らない宝飾、と言ってもいい。

この三つは、鞍作りの論理とそのまま重なる。鞍は見せびらかすためのものではなく、馬と人を支えるための道具だ。そこで磨かれた「機能が美を保証する」という考え方が、皮革を離れて金属に、道具を離れて装身具に移されたとき、シェーヌ・ダンクルになった。

もっとも、ここに逆説がないわけではない。

機能が美を保証するという文法が鞍作りから鎖へ移されたことを理解させる

沈黙が、いちばん雄弁な記号になるとき

反誇示を思想とするこのメゾンで、製品が結果として強いステータス記号になってきたのは事実である。ケリーやバーキン(Birkin)がその典型だ。バーキンは1984年、女優ジェーン・バーキンに献じて生まれ、クロコダイルやリザード、オーストリッチを用いた個体は10万ドルを超える。誇示を嫌う文法から、最も雄弁な富の記号が育った。

シェーヌ・ダンクルも、この逆説の外にはいない。石を持たず声を張らない造形が、かえって「わかる人にはわかる」帰属の記号として流通してきた側面がある。ロゴを掲げずに帰属を示すという、屈折した記号論。ここでの語り口を「地味だから慎ましい」と読むと、それは違う。石を外したのは慎ましさのためではなく、石なしで成立させるだけの造形の強さを持っていたからだ。饒舌をやめることが、別の雄弁になる。この転倒が、エルメスの製品にはくり返し現れる。

港の鎖に美を見た目は、たしかに機能を美へ翻訳する目だった。ただ同時に、その翻訳がのちに何を帯びるかまでは、おそらく最初の設計者には見通せていなかった。

シェーヌ・ダンクルは今も作られ続けている。道具のかたちが、時を経て名を帯び、記号になり、それでもなお最初の輪郭を変えずに残る。冒頭の問い――なぜ船具を腕に巻くものへ変えたのか――に、鎖はいまも同じ答えを返している。飾るためではなく、支えるためのかたちだったから、と。

FAQ

シェーヌ・ダンクルの「chaîne d’ancre」とはどういう意味ですか

フランス語で「錨(いかり)の鎖」を指します。船を岸につなぎ、錨を吊るすための鎖の環がモチーフです。環の中央の横棒は、もともと鎖を補強するための構造でした。

誰がいつ考案したのですか

エルメスの創業家に婿入りし、のちにメゾンを率いたロベール・デュマの考案です。彼はケリーバッグやスカーフ・カレの第一号(1937年)も手がけた人物で、道具や文化のかたちを製品へ翻訳する設計者でした。

なぜ宝飾なのに宝石が主役でないのですか

エルメスは1837年に馬具工房として始まり、1927年に宝飾へ入りました。石の輝きを見せる宝飾の常識よりも、鞍作りで培った「機能が美を保証する」という論理に忠実だったためです。石を外しても成立する造形の強さが、シェーヌ・ダンクルの核にあります。

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