【Louis Vuitton|Pharrell Williams期】音楽家が引いた、バージニアとパリを結ぶ一本の線

2023年のバレンタインデー、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)は、一枚のヒット曲も手がけていない領域——服のクリエイティブディレクターに、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)を据えた。
ファッションの正規教育を受けていない音楽家が、故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の後を継いだ。
この起用が語るのは、いまのメゾンが「服の作り手」ではなく「物語と現象を起こす者」を求めているという事実である。
彼が最初にしたのは新しいシルエットの発明ではない。
自分がどこから来たかを、キャンバスの上に描くことだった。
音楽家に託されたのは、服ではなく物語だった
まず、この人事の異様さを直視したい。
世界で最も評価額の高いラグジュアリーメゾンのメンズを、縫製も型紙も知らない人物に任せる。
普通なら賭けにもならない。
ただ、それを「素人の抜擢」と読むと本質を外す。
ファレルは長年、川久保玲やアディダスと組み、自身のブランドも動かしてきた。
服の言語を知らないわけではない。
知らないのは、パリのオートクチュールが積み上げてきた文法のほうだ。
そしてメゾンが欲しがったのは、まさにその外側の視点だったように見える。
前任のヴァージル・アブローが持ち込んだのは、ストリートとラグジュアリーを一枚に重ねる文法だった。
フランスのラグジュアリーメゾンで、ガーナ系アメリカ人として初めてアーティスティックディレクターに就いた人物である。
彼の起用は、服の話であると同時に、誰がこの椅子に座れるのかという問いだった。
ファレルは、Louis Vuittonでクリエイティブディレクターの称号を持つ二人目の黒人男性である。
一人目がアブローだった。
つまり、椅子は空いていたのではない。
引き継がれた。
問題は、引き継いだ者が何を上書きするかだ。
ここに、この記事が追う線が現れる。
バージニアとパリ——描かれたのは、彼自身の来歴だった
2023年6月20日、パリのポン・ヌフ橋。
ファレルのデビューコレクションは、セーヌにかかる石橋の上で発表された。
2024年春夏メンズウェアである。
この立地選びからして、すでに一本の線が引かれていた。
コレクションの主役は、太陽の輝きのモチーフだった。
知識、成長、愛を象徴するという。
ここまでは、抽象的な祈りのように聞こえる。
だが彼の設計図はもっと具体的だ。
ファレルは、自身の誕生地であるアメリカ・バージニア州とパリとのあいだに、比喩としての一本の線を引くことでインスピレーションを得た。
これは重要な転換である。
創業者ルイ・ヴィトンその人が、13歳(一説に14歳)で家を出て、約470キロを2年かけて歩き、16歳でパリに着いた——移動の物語からこのメゾンは始まっている。
徒歩でパリを目指した少年。
ファレルが引いた線は、この起源神話の構造を、そのままなぞっているように見える。
出自の地から、パリへ。
一人の身体が越える距離。
ただし、なぞりながら、決定的に違う。
創業者の移動は生きるための現実だった。
ファレルのそれは記号としての移動、物語としての越境である。
歩いた少年の話が、いまや橋の上のショーとして再演される。
ここに後で戻る。

ダモフラージュ——市松模様が、ゲームの画面と出会う
線の引き方を、素材の側から見る。
デビューコレクションには「ダモフラージュ(Damoflage)」があった。
Louis Vuittonのダミエパターンと、Minecraft風のカモフラージュを組み合わせた図像である。
ダミエとは、市松模様のことだ。
1888年に模倣品対策として発表されたこの格子柄は、そもそも日本の市松模様(ichimatsu moyo)に着想を得ている。
日本の伝統文様がパリで登録商標になり、それが今度はデジタルゲームのブロック状の迷彩と掛け合わされる。
この一つの図像に、いくつもの往還が畳み込まれている。
日本とパリ。
手仕事とデジタル。
防犯のための記号と、遊びのための画面。
ファレルは、模倣に抗うために生まれた最も古い図像を選び、そこに自分の世代の視覚言語を差し込んだ。
図像は動かない。
だが、その来歴は動き続けている。

高校のジャケットが、ラグジュアリーの語彙になる
もう一つの引用が、アメリカの高校生のワードローブだった。
「LV Lovers」と書かれたカレッジ風ジャケットが、その代表である。
アメリカの十代が着る、あの襟付きのスタジアムジャンパー。
地元の学校、地元のチーム、地元の恋人。
ローカルで、量産品で、パリのラグジュアリーからは最も遠いところにある衣類だ。
ファレルはそれをそのまま持ち込んだ。
バージニアの高校の廊下を、ポン・ヌフの上に置き直したのだ。
たしかに、これは「アメリカの引用」として片づけられる。
しかしここで見たいのは、引用の方向である。
従来のラグジュアリーは、パリを頂点に置き、地方や大衆を見下ろすか、素材として吸い上げてきた。
ファレルの高校ジャケットは、頂点から見下ろしていない。
彼自身が実際に育った場所の服を、そのまま格上げしている。
見下ろしではなく、来歴の提示だ。

Speedy——構造を、柔らかさへほどく
引用と記号の話が続いたので、服そのものの手つきに一度戻る。
Speedyバッグの新しい解釈が、このコレクションでは豊富に披露された。
1930年に生まれたこの定番の、あの張りのある構造的な形状を、ファレルは柔らかい革で再構築した。
骨格を保っていた鞄を、ほどいて、しなやかにする。
これは小さな操作に見えて、実は彼の全体の主題と響き合っている。
硬いものを柔らかく。
既成の型を、身体になじむものへ。
橋の上の再演も、市松の掛け合わせも、高校ジャケットの格上げも、どれも「固まった記号を、もう一度動かす」という同じ手つきだ。
先送りにした問いに、ここで半分だけ答えておく。
創業者の移動が現実で、ファレルの移動が記号だとして、では記号をなぞるだけなら、それは博物館の再演にすぎないのではないか——柔らかく再構築されたSpeedyは、その反論への最初の返答である。
動かない記号を、もう一度手に取れるものへ戻す。
残りの半分は、最後に返す。
Jay-Z、Rihanna——動員されたのは、現象そのものだった
なぜ音楽家だったのか。
その答えは、服の外側にはっきり出ている。
Jay-Zが、ファレルの初のメンズウェアショーを音楽パフォーマンスで締めくくった。
ティーザーキャンペーンにはRihannaが起用され、モノグラム入りSpeedyの新色を披露した。
橋の上のショーは、コレクション発表であると同時に、一夜の文化的イベントだった。
ここで思い出したいのは、アブローのデビューだ。
2019年春夏、パレ・ロワイヤルの庭。
Kanye West、Rihanna、Kim Kardashian、A$AP Rocky、Takashi Murakami——著名人がゲストに並び、ショーの終わりにアブローはKanye Westと抱擁を交わした。
デザイナーの交代であると同時に、一つのシーン全体の到来だった。
ファレルはこの構造を引き継いだ。
むしろ徹底した。
音楽家が指揮を執り、音楽家が客席と舞台を埋める。
服が現象の中心にあるのではない。
現象の中心に人がいて、その周囲に服が配置される。
Louis Vuittonがファレルに求めたのは、この配置を作れる者だった。
だから「服の人」でないことは弱点ではなく、要件だったのだ。
外部の異物を吸収してしか、旅は続かない
一段引いて、このメゾンの癖を見る。
Louis Vuittonは、外から異物を招き入れることで、繰り返し自らを更新してきた。
- Marc Jacobsは1997年、初のプレタポルテを発表し、革製品メーカーを時代を定義する現象へ変えた
- 彼はStephen Sprouse、Takashi Murakami、Richard Prince、Yayoi Kusamaを招き、モノグラムを美術の文脈に接続した
- Nicolas Ghesquièreは2014年、服そのものによる再定義を担った
- Virgil Ablohはストリートと、人種・出自という問いを持ち込んだ
これらを並べると、ひとつの型が浮かぶ。
Jacobsのアート協業は、鞄をキャンバスに変えた。
Ghesquièreは、外部の才能ではなく服の内側から更新を試みた例外だ。
アブローは、椅子に座れる者の範囲そのものを押し広げた。
そしてファレルは、更新の担い手をついに服の外——音楽と個人史——から連れてきた。
外部を吸収することでしか、このメゾンは旅を続けられない。
それが宿命であるかのように見える。
もっとも、これを「越境の連続」と美談で閉じるわけにはいかない。
市松模様も、日本の家紋も、アメリカの高校の服も、元は誰かのローカルな文化だ。
招き入れることは、しばしば借用と紙一重である。
ファレルの強みは、その借用の一つ——バージニアの十代の服——が、他ならぬ彼自身の来歴だという点にある。
外から取ってきたのではなく、内側から差し出した。
だが太陽やダミエやゲームの引用まで、すべてが彼の来歴とは言えない。
この越境が敬意なのか流用なのかは、コレクションごとに問われ続けるだろう。
そして、ここに最も深い皮肉がある。
「旅」を核に掲げるメゾンの象徴たるモノグラムやSpeedyは、いまや動かない都市の記号、地位のシンボルとして消費される。
模倣に抗うために生んだ図像が、世界で最も模倣される図像になった。
歩いてきた少年の道具は、資本の頂点に立つ記号へ変質した。
結び——橋の上で、線はまだ引かれている途中だ
冒頭の異様さに戻る。
曲の作れる人物が、服の椅子に座った。
だがポン・ヌフの上で起きたのは、素人の実験ではなかった。
歩いてパリに着いた少年の起源神話を、バージニアからパリへの線として引き直す作業だった。
創業者の移動は現実で、ファレルの移動は記号だと、途中で書いた。
残りの半分をここで返す。
柔らかくほどかれたSpeedyが示したのは、記号を再演するだけでなく、もう一度手に取れる身体の道具へ戻そうとする意志だった。
動かない記号を、また動かす。
それは、歩いた少年が始めたことの、遠い反復である。
ファレルの在任は現在進行形だ。
この線がどこまで伸び、何を借り、何を差し出すのか——それはまだ、橋の上で引かれている途中にある。
FAQ
Pharrell Williamsはいつ、どんな立場でLouis Vuittonに就任したのか
2023年のバレンタインデーに、メンズのクリエイティブディレクターに任命された。
デビューコレクション(2024年春夏メンズ)は、同年6月20日にパリのポン・ヌフ橋で発表された。
故Virgil Ablohの後任にあたる。
なぜファッションの専門教育を受けていない音楽家が起用されたのか
本文で見たとおり、いまのメゾンが求めたのが「服の作り手」ではなく「物語と現象を起こす者」だったからだと考えられる。
Jay-ZのパフォーマンスやRihannaを起用したティーザーが示すように、音楽とセレブリティの動員力そのものが要件とされた。
「ダモフラージュ」とは何か
Louis VuittonのダミエパターンとMinecraft風のカモフラージュを組み合わせた図像である。
ダミエはもともと日本の市松模様に着想を得た格子柄で、そこにデジタルゲームの迷彩が掛け合わされている。
日本とパリ、手仕事とデジタルが一つの図柄に畳み込まれている。



