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名前だけ残った「Yves Saint Laurent Beauté」——アパレルがKering、化粧品がL’Oréalに分かれた統治の実態

2026.08.26 Saint Laurent 編集部
改名という表面的事件の下に、所有権の分割という真の構造が先行していたことを理解させる

ひとつのメゾンの名が、いま二つの資本の下でべつべつに生きている。
服を売る会社の看板は「Saint Laurent」、口紅を売る会社の看板は「Yves Saint Laurent Beauté」。
同じ三文字の組み合わせなのに、片方は創業者の名を落とし、もう片方は落とさなかった。
この差は趣味の問題ではない。
誰がどの権利を、いつ、いくらで買ったか——その順序が、そのまま二つの名前に化石として残っている。

順を追って掘る。
掘れば、なぜ化粧品だけが古いモノグラムを守れたのかがわかる。

まず確かめたいのは、分裂が「デザイナー交代」ではなく「所有権の分割」だったこと

結論を先に言う。
この二重統治は、エディ・スリマン(Hedi Slimane)がロゴを変えたから起きたのではない。
彼が2012年に手をつけたときには、化粧品はすでに別の会社のものだった。
順序が逆なのだ。

多くの読者は、2012年の改名を分裂の起点だと思っている。
無理もない。
あの年、プレタポルテのラインは「Yves Saint Laurent Rive Gauche」から「Saint Laurent Paris」へと名を縮め、ロゴはカサンドル(Cassandre)の絡み合う三文字から、そっけないブロック体のHelveticaへ替わった。
強烈な断絶に見える。

ただ、その改名が及んだのはアパレルだけだった。

化粧品ラインの「Yves Saint Laurent Beauté」は、名も、カサンドルのモノグラムも、指一本触れられなかった。
触れられなかったのではない。
スリマンには触れる権利がなかった。
2008年、化粧品はすでにロレアル(L’Oréal)のものだったからだ。

1993年——負債を抱えたメゾンが、まず薬品会社に買われた

分裂の第一歩は、香水でも口紅でもなく、負債だった。

1993年、多額の負債を抱えたグループ・イヴ・サンローラン(Groupe Yves Saint Laurent)は、エルフ・サノフィ(Elf-Sanofi)に買収される。
石油系のコングロマリット傘下の医薬・化粧品部門、のちのサノフィ・ボーテ(Sanofi Beauté)である。
ファッションのメゾンが、薬をつくる資本の下に入った。

奇妙に見えるが、ここには筋が通っている。
イヴ・サンローランという事業体の稼ぎ頭は、この時期すでに服ではなかった。
1964年の「Y」に始まり、1971年の「Rive Gauche」、1977年の「Opium」——香水こそが世界中で回る現金だった。
1978年に加わった化粧品ラインも同じ収益構造に属する。
医薬・化粧品の会社が欲しかったのは、この匂いと色のビジネスだ。

服は、いわば付いてきた。

ファッションのメゾンが医薬・化粧品資本の下に入った歴史的転機と、香水こそが現金を生んでいた収益構造を理解させる

1999年——PPRがサノフィごと呑み、ここで初めて所有権が割れた

そして分岐点が来る。
所有権が二つに割れた瞬間を、正確に押さえておきたい。

1999年、サノフィはピノー・プランタン・ルドート(Pinault-Printemps-Redoute、PPR)に買収された。
だがPPRはグループ全体を一枚岩のまま抱えたのではない。
プレタポルテの「Rive Gauche」と化粧品の「Beauté」を切り出し、傘下のグッチ・グループ(Gucci Group)へ移したのである。

この「切り出し」が肝だ。

服のライン(Rive Gauche)と匂い・色のライン(Beauté)は、この時点では同じ屋根の下——グッチ・グループ内——にあった。
まだ分裂はしていない。
ただ、両者は別々に扱える資産として、法的に切り分けられた。
後年の分割の下ごしらえは、ここで済んでいた。

翌2000年、Rive Gaucheのクリエイティブ・ディレクターにトム・フォード(Tom Ford)が就く。
奇縁だが、彼の下で紳士服を担当していたのが、かつてのエディ・スリマンだった。
名前は、まだ一つだった。

同じ屋根の下で服と化粧品が法的に切り分けられ、後年の分割の下ごしらえが済んだことを理解させる

2008年——化粧品だけがロレアルへ渡り、名前が二つに裂けた

創業者が亡くなった年に、名前は物理的に二つの資本へ裂けた。

2008年6月1日、イヴ・サンローランが脳腫瘍で世を去る。
享年71。
同じ年、化粧品ライン「Yves Saint Laurent Beauté」はロレアルに買収された。
世界最大の化粧品会社が、色と匂いの権利ごと、この名前の半分を手に入れたのである。

服はPPR/グッチ・グループ側に残った。
化粧品はロレアルへ移った。

ここで初めて、「Saint Laurent」という一つのメゾンは、二つの独立した所有者を持つ二つの事業になった。
片方は服の帝国の資産、片方は化粧品の帝国の資産。
両者を束ねる単一の意思決定者は、もういない。

だから2012年、スリマンがアパレルの看板をいじったとき、彼の手はロレアル領には届かなかった。

創業者の死の年に、一つのメゾンが二つの独立した資本へ物理的に裂けた瞬間を理解させる

2012年——スリマンは、自分の持ち場だけを削った

改名は破壊行為ではなく、権限の輪郭をなぞる行為だった。

2013年にPPRはケリング(Kering)へと社名を改め、Saint Laurent(アパレル)はその子会社となる。
その前年、スリマンはプレタポルテを「Saint Laurent Paris」と改称し、ロゴをブロック体のHelveticaへ替えた。
創業者の名「Yves」を落とし、カサンドルの絡み合う三文字を、無機質な活字に置き換えたのだ。

たしかに大胆な断絶に見える。
しかし、彼が変えられたのはケリングが所有する範囲——服とその周辺だけだった。

化粧品の「Yves Saint Laurent Beauté」は、名もモノグラムもそのまま残った。
1963年にカサンドルがフルール・ド・リス(百合の紋章)に着想して組んだとされる三文字は、いまもリップの筒とファンデーションの箱の上で生き続けている。
守られたのではない。
別の会社の資産だったから、スリマンの改名が届かなかっただけだ。

一つのロゴが古いまま、別のロゴが新しい。
その分かれ目に、所有権の境界線がそのまま透けている。

二つの名前が語る、統治の非対称

同じ三文字が、いま二つの異なる論理で運用されている。
それぞれの持ち場に、一つずつ着地させておく。

  • 服=Saint Laurent(ケリング傘下):創業者の名を落とし、Helveticaで再出発した。2016年からはアンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)が指揮を執り、世界300店超、2023年時点で年商およそ31億ユーロ。かつてイヴ・サンローランがLe Smokingやパンツスーツで挑んだ階級とジェンダーの規範は、いまや巨大なラグジュアリー機構の資産として運用されている。反抗の記号が、資本の商品になった。
  • 化粧品=Yves Saint Laurent Beauté(ロレアル傘下):創業者の名も、カサンドルのモノグラムも温存した。理由は敬意ではなく、権利の帰属だ。ロレアルが2008年に買ったのはこの名前とこの紋章であり、それを変える動機がなかった。古いロゴが残ったのは、守られたからではなく、別の資本に囲われて手つかずだったからである。

眼鏡はまた別で、ケリング・アイウェア(Kering Eyewear)がSaint Laurent名義のコレクションを手がける。
名前は同じでも、統治の系統はさらに枝分かれしている。

ここまでの話を「化粧品は伝統を、服は革新を選んだ」と読まれると、それは違う。
どちらも選んでいない。
1993年から2008年にかけて誰が何を買ったかという、資本の移動の結果が、二つの看板に別々の顔として貼りついているだけだ。

一つの名前が、二人の主に仕える

思い出してほしい。
冒頭で引いた、口紅の筒と服のタグの食い違いを。

あの差は、デザイナーの美学でも、伝統への態度でもなかった。
1993年に負債ごと薬品会社へ売られ、1999年にPPRへ移り、そこで服と化粧品が切り分けられ、2008年に化粧品だけがロレアルへ渡った——その順序が、そのまま二つの名前に刻まれている。
片方が「Yves」を捨てられたのは、もう片方に「Yves」を捨てる権利が及ばなかったからだ。

かつて喪失から解放を鋳造した一人の作家の名は、いま二つの巨大資本のあいだで分割統治されている。
古いモノグラムが生き延びたのは、忠誠のためではない。
ただ、境界線の向こう側にあっただけだ。

FAQ

なぜ化粧品のロゴだけが古いモノグラムを守れたのですか?

2008年にロレアルが化粧品ライン「Yves Saint Laurent Beauté」を買収した時点で、そのラインは名前もカサンドルのモノグラムも含めてロレアルの資産になっていたからです。
2012年にロゴをHelveticaへ変えたエディ・スリマンはアパレル(ケリング傘下)の担当であり、ロレアル所有の化粧品ラインには権限が及びませんでした。

服と化粧品はいつ別々の会社のものになったのですか?

法的な切り分けは1999年です。
この年、サノフィを買収したPPRが、プレタポルテのRive Gaucheと化粧品のBeautéをグッチ・グループへ移しました。
その後2008年に化粧品だけがロレアルへ売られ、服はPPR(2013年にケリングへ改称)側に残ったことで、二つの独立した所有者に分かれました。

「Saint Laurent」と「Yves Saint Laurent」はどう使い分けられていますか?

服のラインは2012年以降「Saint Laurent(Saint Laurent Paris)」と創業者の名を落とした表記で、ケリング傘下です。
化粧品のラインは「Yves Saint Laurent Beauté」とフルネームを保ち、ロレアル傘下です。
同じ三文字でも、所属する資本が異なります。

この記事について

本記事は、公開されている一次情報を多言語で収集し、記述ごとに出典と突き合わせて検証したうえで執筆しています。裏が取れなかった事項は断定せず、資料が食い違う点は両論を併記します。編集部の二段階の査読(事実の正確性/編集としての品位)を経て公開しています。

執筆・編集:REPOSITORY ONE 編集部

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